(伊井直行 講談社)

いらっしゃいませ。まずはクリックを→人気ブログランキング

お母さんとお父さんが出会ったとき、お母さんは三十六歳だった。お母さんはわたしを生んだ後、三十八歳で亡くなった。

激流の川に分断された市(まち)の、右岸と左岸という性格を異にする町を、複雑に絡まり合う十数本もの鉄道や道路や歩道を一本に束ねた「異形の橋」がつないでいる。

そう、あの読売文学賞を受賞した、「濁った激流にかかる橋」が、この小さな恋の物語の舞台なのである。

磯谷健一と大島康明は、ものごころついた時からの親友で、右岸に住む17歳の高校生。大島は、同級生の中で目立つほど可愛い中子和美と付き合っていた。

ある日、キノコ騒ぎで停学処分となった磯谷と大島は、右岸の橋詰の広場で、背が高くてお洒落の仕方がスマートな「左岸風」の女性とすれ違う。

・・・お母さんだ!やっとお母さんが登場する。
お母さんは・・・まだお母さんではない、その女性は、大島と磯谷の目に、周囲から浮き上がって見える。
きれいだから?わたしもお母さんがその時、すごくきれいだったのだと思いたい。でも多分ちょっと、違う。お母さんはすごく美人だったわけではない。


その時、17歳の磯谷が一目惚れしてしまった、英語学校校長の小林由希子は36歳の独身で、10数歳も年上の妻子ある男、北沢秀史に恋をしているところだった。

というわけで、

この物語は、彼ら主要登場人物のそれぞれの視点に切り替わりながら、その都度様々なエピソードが積み重なり、錯綜した関係を絡みあわせて進んでいくことになるのだが、

それでは、そこに出来上がってくることになったそれぞれの関係や、その関係に対するそれぞれの人物の思い入れがいかほどのものであるか、ということになると、

これが、さっぱりわからないのである。

右岸と左岸を16本もの様々な通路でつないでいるという「異形の橋」が、その全貌を想像することさえ許さないように、

私たち読者は、語り手としての、まだ生まれていなかった「娘」の視点に立って、

きれいだったはずの「お母さん」と、素敵だったはずの「お父さんたち」の物語を、懸命に思いだそうとする以外にないのだった。

二パックの卵を割り尽くそうとする寸前、お母さんはついに一個だけきれいに割ることができた。
「やった」お母さんは少し大きな声を出した。
台所にお母さんの母親が入って来た。
「あなたたち、いったいいくつ卵を割ったの?それを全部プリンにするつもりじゃないんでしょ」
怒るというより、呆れているのだった。
すると、わたしがまた、くちゅくちゅと笑った。
お母さんは、首を小さく左右にふった。
そのときのお母さんの笑顔ほど美しいものを、ママはこれまで見たことがないのだそうだ。わたしは目をつぶり、懸命にお母さんの笑顔を思い出そうとする。


本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング