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スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計により、昭和6年に竣工している。木造平屋建てで、上部に十字架を頂く尖塔型の屋根の下には、鐘楼がある。側面窓、高窓のステンドグラスが美しい。(かなざわまち博公式ガイドブック)
金沢聖霊病院に隣接する「金沢聖霊修道院聖堂」の内部には、実は今回、生まれて初めて入ったのですが、
「ブロック型柱頭を持つ正確なロマネスクの列柱」は金沢の伝統工芸「黒漆塗り」で、
「連続する横断アーチ」も金沢の伝統的色彩「群青」で彩られ、金箔工芸の「金色」で縁取られており、
父と子と聖霊の「三位一体」の壁画が、敬虔な信者たちをやさしく包み込んでくれるかのようでした。
床が半分だけ「畳敷き」なのは、お年寄りのために後から畳にしたのではなく、逆に最初は全部畳敷きだったのを、半分だけ椅子式に替えたものなのだそうです。
というわけで、お馴染みのかなざわの町並み巡り、今回は「土塀と用水の街―長町・長土塀」を探訪しました。
大野庄用水のせせらぎと、藩政時代の武家屋敷の面影を色濃く残す町並み「長町武家屋敷群」は、金沢の風情を感じさせてくれる場所として、観光客には人気のスポットとなっていますが、そのザワザワとした賑わいが苦手という方々には、
聖霊修道院から長土塀にかけての大野庄用水沿いの方が、地元の生活に密着した鄙びた味わいがあって、お奨めのスポットではないでしょうか?
少なくとも、私にはこちらの方が好ましく感じられました。
探訪の最後は、長町武家屋敷群のど真ん中に戻り、九谷焼窯元「鏑木商舗」の八代目当主、鏑木基由さんに「九谷焼」のお話を伺いました。
「窯元」というのは本来「窯元締め」、つまり「職人さん」を束ねて作品を生み出す「プロデューサー」のことを言うので、そういう意味で「九谷の窯元」と呼べるのは、今では「鏑木」だけになってしまった。
「伝統工芸」が壊滅的な状況に追い込まれているのは、日本人の生活文化が崩壊してしまったことが大きい。経済は米国追従でも、伝統文化は欧州を見習うべきだった。米国には伝統や文化などというものが存在しないのだから。
食の安全等の過剰な重視による規制で、伝統工芸を支えてきた材料や工法が継承できなくなってきている。最後の職人さんが存命している今が、技術を遺す最後のチャンス、後継ぎを持たない高齢の名匠たちは、喜んで自らの匠の技を若手に教えてくれるはず、等々。
私が頭に思い描いていた「九谷焼」のお話(悪くいえば、観光客相手の土産物屋のお話のような、そうでなくとも「なんでも鑑定団」の骨董と偽物のお話のようなもの)という、浅薄な予想をあざ笑うかのような、とても刺激的なお話を伺うことができました。
懇親の宴は「おいしいいっぷく鏑木」
そう、こちらでは、素晴らしい「日本庭園」のお庭を眺めながら、素敵な器に盛られた「和食」のコース料理を味わうこともできるのでした。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
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スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計により、昭和6年に竣工している。木造平屋建てで、上部に十字架を頂く尖塔型の屋根の下には、鐘楼がある。側面窓、高窓のステンドグラスが美しい。(かなざわまち博公式ガイドブック)
金沢聖霊病院に隣接する「金沢聖霊修道院聖堂」の内部には、実は今回、生まれて初めて入ったのですが、
「ブロック型柱頭を持つ正確なロマネスクの列柱」は金沢の伝統工芸「黒漆塗り」で、「連続する横断アーチ」も金沢の伝統的色彩「群青」で彩られ、金箔工芸の「金色」で縁取られており、
父と子と聖霊の「三位一体」の壁画が、敬虔な信者たちをやさしく包み込んでくれるかのようでした。
床が半分だけ「畳敷き」なのは、お年寄りのために後から畳にしたのではなく、逆に最初は全部畳敷きだったのを、半分だけ椅子式に替えたものなのだそうです。
というわけで、お馴染みのかなざわの町並み巡り、今回は「土塀と用水の街―長町・長土塀」を探訪しました。
大野庄用水のせせらぎと、藩政時代の武家屋敷の面影を色濃く残す町並み「長町武家屋敷群」は、金沢の風情を感じさせてくれる場所として、観光客には人気のスポットとなっていますが、そのザワザワとした賑わいが苦手という方々には、
聖霊修道院から長土塀にかけての大野庄用水沿いの方が、地元の生活に密着した鄙びた味わいがあって、お奨めのスポットではないでしょうか?少なくとも、私にはこちらの方が好ましく感じられました。
探訪の最後は、長町武家屋敷群のど真ん中に戻り、九谷焼窯元「鏑木商舗」の八代目当主、鏑木基由さんに「九谷焼」のお話を伺いました。「窯元」というのは本来「窯元締め」、つまり「職人さん」を束ねて作品を生み出す「プロデューサー」のことを言うので、そういう意味で「九谷の窯元」と呼べるのは、今では「鏑木」だけになってしまった。
「伝統工芸」が壊滅的な状況に追い込まれているのは、日本人の生活文化が崩壊してしまったことが大きい。経済は米国追従でも、伝統文化は欧州を見習うべきだった。米国には伝統や文化などというものが存在しないのだから。
食の安全等の過剰な重視による規制で、伝統工芸を支えてきた材料や工法が継承できなくなってきている。最後の職人さんが存命している今が、技術を遺す最後のチャンス、後継ぎを持たない高齢の名匠たちは、喜んで自らの匠の技を若手に教えてくれるはず、等々。
私が頭に思い描いていた「九谷焼」のお話(悪くいえば、観光客相手の土産物屋のお話のような、そうでなくとも「なんでも鑑定団」の骨董と偽物のお話のようなもの)という、浅薄な予想をあざ笑うかのような、とても刺激的なお話を伺うことができました。
懇親の宴は「おいしいいっぷく鏑木」
そう、こちらでは、素晴らしい「日本庭園」のお庭を眺めながら、素敵な器に盛られた「和食」のコース料理を味わうこともできるのでした。
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