(平川克美 講談社現代新書)

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数年前まで、経済成長はすべての病を癒すなどといい、政治家は、改革なくして成長なしと連呼していた。そのためには規制を撤廃すること。何よりも効率と、その効率を最大化する合理性が重視された。人間は自由に職業を選択し、自由に働き方を選べるようにしなければならないとも言われた。金で買えないものはないと豪語するものが、国政選挙にまで担ぎ出された。

そんな「バカ野郎が威張っていられる時代」(@小津安二郎)が、このたびの金融崩壊とそれに続く経済的混乱により、いよいよ終焉を迎えようというときになって、

そのような時代の背景にあった、欲望を肯定する「威張った」言説を、「バカな」人間の戯言だったと、外部から眺めて評論して見せることは容易だが、

「ほんとうは、誰もが、それを嬉々として受け容れたのである」

つまり、自分も「どこかでこの時代の加担者であった」という「心理的立ち位置」に立たなければ、そのことに無自覚な言説は喚起力をもちえない。

「現場で生きている私たちに必要なことは、歴史を解釈することではなく、歴史の加担者である自分たちについて理解を深めることである」

アメリカ証券会社最大手のリーマン・ブラザーズが破綻した、というニュースが飛び込んできたときの、最初の感想が、

「だからなんだ。金で金を売り買いして肥えてきた会社が、金で躓き、金に行き詰ったという話じゃないか」という著者にしてみれば、

「こんなことが永遠に続くと考える方が不自然である」

経済成長そのものは、社会の発展プロセスのひとつの様相であり、おそらくは発展段階に起こる様々な問題を解決してゆくだろう。しかし、経済均衡もまた社会の発展プロセスのひとつの様相であるに違いない。その段階において無理やり経済成長を作り出さなければならないという呪縛から逃れられないことこそ、私たちの思考に取り憑いた病であると思うのである。

それは「経済成長という病」だというのだった。

「反戦略的ビジネスのすすめ」(洋泉社)

「株式会社という病」(NTT出版)

に続く「病」シリーズの第3弾。

友人の内田樹に言わせれば、次はいよいよ「平川くんの徹底した批評性を勘案すると、『病という病』というタイトルもありのような気もするんですけど・・・」ということになるのだが、

7千億円の紙切れではなく、700円のコンビニ弁当のような、労働者の汗が染みこんだ商品と交換できる「小さな経済」のほうにこそ、「神は宿る」と考える著者の姿勢は、一貫してぶれることもなく、

「自社の苦難を分割せよ。そうすれば、捨てても構わないじゃないかと思えるような無理や無駄に、どれほどこだわっていたのかに気づくかもしれない。」

という中小・零細企業への優しい眼差しは、このたびの不景気に打ちひしがれそうな親父の胸に深くしみわたるのだった。

私たちは、ひたすら時代の進化を求めながら、退化を生きていると考えてみる。それで何かが解決されるわけではないけれど、経済成長が成し遂げたものが何であり、何でなかったのかを考えるとき、成長の光景から目を転じて、退化の光景を眺めなおしてみる価値はあるだろうと、私は思うのである。

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