(Rペンローズ 講談社)

私が物理法則の記述を二つに、すなわち宇宙(the Large)と量子(the Small)の二つの章に分けることにした理由はいくつかあるが、その一つは、大スケールの振る舞いを支配する法則と、小スケールの振る舞いを支配する法則が、非常に異なるように見えることである。

大スケールの振る舞いを記述するのは「古典物理」で、

これにはニュートンの運動法則、マクスウェルの電磁場法則、そしてアインシュタインの相対性理論が含まれるが、

これら三つの法則は、大スケールに対してきわめて正確にあてはまる。つまり「古典物理」は、「計算可能性」を有する「決定論」的な性質を有する法則である。

一方、小スケールの振る舞いを記述するのが「量子力学」で、

こちらでは<粒子>と<波>の性質が同時に現れる「量子状態」を扱うために、私たちのような素人には、なんだか曖昧な世界だという印象があるが、

ここで用いられるシュレディンガー方程式は、それが量子レベルにとどまる限り、やはり「計算可能」で「決定論」的である、とペンローズは言うのである。

ところが、「量子力学」と「一般相対論」を結び付けようとすると、途端に「計算不能性」が出現し、「決定論」は破れてしまうことになる。

もし「量子」レベルが、猫のような「生物」のレベルにまで当てはまると考えるなら、

「シュレディンガーの猫」が「生きているのか、死んでいるのか」という有名な問いに対する答えは、

猫は生と死の確率的な「重ね合わせ」の状態で存在している、としか言えなくなってしまうのだった。

“The Large, the Small and the Human Mind”

が原題のこの本は、「宇宙」(The Large)と「量子」(the Small)を支配する二つの別の法則を、結び付けようとする時に出現する、

この「量子状態の収縮」と呼ばれる事情が、私たち「人の心」(the Human Mind)にも適用できるという驚くべき解釈を主張している。

人の脳内ニューロンには、二つの異なる構造で0と1を表現できる「微小管」(チューブリン)が非常に多く存在しており、それ自身がコンピューターのように振る舞うことができ、

さらにその形が「管」であるがゆえに、周囲のランダムな動きから隔離された微小管の内部で、「量子的干渉性振動」が発生する可能性を生みだしているというのである。

そして、この「量子的振動」が、微小管のすぐ外側にある「秩序化された水」の存在によって、「客観的収縮」(OR)を起こすことで、

「計算不能」であるにもかかわらず「決定論」的であるという、私たちの「意識」の特性が創発されるというのだった。

え?難しすぎてよく分からない?

どうぞ、ご心配なく。
世界に名だたる天才にだって、こんな「お話」はよく分からないらしいのである。

個人的に私は、人々、特に理論物理学者が意識について語ると、不安になる。意識は、外側から測定できる特質ではない。宇宙人が明日にでも玄関先に現われたとしても、彼は意識があって自己認識しているのか、あるいは単なるロボットなのか、それを見分ける方法を私たちは知らない。むしろ私は、外側から測定できる特質である知性について語りたいのである。(『恥知らずな反論』Sホーキング)

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