(Sフィッツジェラルド 中央公論新社)

僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」


60歳になったら翻訳を始めようと心に決め、それまではしっかりと神棚に載っけて、ときどきちらちらと視線を送りつつ、人生を過ごしてきた、

それほどまでに、自分にとってはきわめて重要な意味を持つ作品だと考えていた村上春樹が、

「僕ももうそろそろギャツビーを手がけられるくらいの段階に来たんじゃないかな」という手応えのようなものに支えられて、満を持して挑んだという、

これは1925年に刊行されたフィッツジェラルドの哀しくも美しい名品の新訳なのである。

声をかけてみようかと思った。ミス・ベイカーが夕食の席で彼の話を持ち出していたし、それが自己紹介のきっかけになるだろう。でも結局声はかけなかった。というのは、彼がそのときにとった突然の動作によって、この人物は一人でいることに満ち足りているのだと察せられたからだ。

高級住宅地イースト・エッグの対岸、ウェスト・エッグの岸辺に立って、イースト・エッグの桟橋の先端につけられた緑の灯火に向けて両手を差し出し、身体を震わせていたのは、

5年前に身分の違いから仲を引き裂かれたデイジーを「愛する資格」を得るために、涙ぐましい努力を重ねて成り上がってみせたギャツビーだった。

すでに人妻となっていたデイジーの邸宅の対岸に豪邸を構え、毎夜大盤振る舞いのパーティーを繰り広げることで、ようやく二人は再会を果たすことになるのだが、

ギャツビーが愛していたのは、デイジーそのものではなく、その「社会的地位」という記号にすぎず、

つまり、自分はそんな彼女を愛するために努力を重ねることに、生きることの意味を見出しているにすぎないのではないか、という疑念が芽生えるようになった時、

物語が哀しい結末を迎えざるをえないことは、ギャツビーにもわかっていたに違いない。

これは、そんなギャツビーが両手を空に向けて差し延べている束の間に見た、ひと夏の淡い夢のような物語なのである。

そこに座って、知られざる旧き世界について思いを馳せながら、デイジーの桟橋の先端に緑色の灯火を見つけたときのギャツビーの驚きを、僕は想像した。彼は長い道のりをたどって、この青々とした芝生にようやくたどり着いたのだ。夢はすぐ手の届くところまで近づいているように見えたし、それをつかみ損ねるかもしれないなんて、思いも寄らなかったはずだ。その夢がもう彼の背後に、あの都市の枠外に広がる茫漠たる人知れぬ場所に――共和国の平野が夜の帷の下でどこまでも黒々と連なり行くあたりへと――移ろい去ってしまったことが、ギャツビーにはわからなかったのだ。

「でもまだ大丈夫。オールド・スポート」

明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・そうすればある晴れた朝に――

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