(平川克美 ミシマ社)

小商いとは何か。
小商いとは、「いま・ここ」にある自分に関して、責任を持つ生き方だということです。


それはしかし、グローバリストが言うところの「すべては市場の原理によって適切に調整されるべきだ」という<自己責任>論などとは、思想的にも位相的にも正反対に位置するものであり、

本来自分には責任のない「いま・ここ」に対して責任を持つという、合理主義的に考えれば、不合理極まりない損な役割を演ずることで、

「いま・ここ」で生きることに誇りをもち、「いま・ここ」に対して愛情をもつ生き方なのだ。

そして、そのような「責任がないことに、責任を持つ」、つまり「リターンを期待しない贈与」ができるのは、

我慢をすることもなく、さらに成長をのぞもうとさえしている、今の日本国家のメンバーの主流たる、我慢できない<こども>たちなどではなく、

<おとな>だけだというのである。

総人口の減少局面に入った日本が、その大きな曲がり角を曲がり終わるまでは、様々な混乱を乗り越えて行かなければならいだろうということを、

戦後日本の歴史を振り返りながら考察してみせた、『移行期的混乱』(筑摩書房)の著者が、

3.11の大津波と原発事故という、この長期的な混乱の過程を一気に凝縮してしまうような出来事に遭遇する中で自らに問い直した、

「わたしたちは、個人的な生活や、会社や、社会や、それらを貫く経済や、哲学について、これまでのやり方の延長でやっていけるのか、それともこれまでとは違うやり方を見出さなければならないのか」

という喫緊かつ重要であり、同時に答えることが非常に困難な「問い」に対する、

それが「答え」だというのだった。

それでは、具体的な<小商い>のイメージとは、いったいどのようなものになるのか。

それは「存続し続けることが、拡大することに優先するような商い」のことであり、

「自分が売りたい商品を、売りたい人に届けたいという送り手と受け手を直接的につないでいけるビジネスという名の交通であり、この直接性とは無縁の株主や、巨大な流通システムの影響を最小化できるやり方」なのであれば、

「技術者たちが技術することに深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的」という設立趣意に基づいて、

「経営規模としてはむしろ小なるを望む」とした、井深大・創業期のソニーの精神などは、まさに「小商いマニフェスト」とでも呼ぶべきものになるだろうという。

そして、そんなソニーですらが、市場原理主義的な経済競争が渦巻く世界へとその舞台を移す中で、時価総額経営という短期的利益至上主義に舵を切ったとたん、その企業としての魅力を喪失してしまったことに象徴されるように、

「わたしたちの誰もが、商品経済の進展に対しては加担者であり、その商品経済というシステムが膨張してやがては、地球規模にまで蔓延していること、そのプロセスの中で様々な欲望が人間性を棄損し、自然を破壊していることに対しても、どこかで私たちは加担者である」のだから、

「小商い」こそが、人間が生きているかぎり生きつづけねばならない<哲学>になるということなのだろう。

時間軸を長めにとってみれば、どんな苦境も、人間が作り出したものであり、それゆえに身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受けることだけが、この苦境を乗り越える第一歩になると、わたしは確信しています。

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