(與那覇潤 文藝春秋)

本書でいう「中国化」とは、そういう現実の日本と中国のあいだの力関係のことを指すのではなく、「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」を意味します。

つまり、日本が「中国化する」といったところで、それはなにも、

「尖閣諸島を皮切りに中国軍の侵略がはじまって日本が占領される」とか、
「華僑系ハゲタカファンドの敵対的買収で日本企業が食い荒らされる」とか、
「媚中的な反日教科書の歴史記述に日本の子供たちが洗脳される」とか、
「帰化や外国人参政権を道具にした中国人に日本が乗っ取られる」とか、

そんな、あなたが期待したような意味ではないのである。

今より1000年と少し前の西暦960年、中国大陸に「宋」という新たな王朝が生まれました。この王朝の下で、中国社会のしくみは一度きりの大転換を遂げ、転換後のしくみは現在に至るまで変わっていない

戦前の東洋史家・内藤湖南をして、「中国史を一か所で区切るなら、唐(中世)と宋(近世)の間で切れる」(『宋代以降近世説』)と言わせしめた、

宋という王朝は、「科挙」と「郡県制」の採用により、「貴族制度を全廃して皇帝独裁政治を始めた」ことにおいて、画期的な王朝であった。

そして、その宋において世界で初めて導入された「近世」の社会のしくみが、中国でも(日本以外の)全世界でも、現在に至るまで続いているとさえ言えるということなのであれば、

<なぜ、「近代化」も「西洋化」もちっとも捗っていないはずだったあの中国が、妙に最近また大国らしき座に返り咲いているのか?>

などという、「逆転の不安に怯える」日本人たちの発しそうな<問い>はむしろ、

<なぜヨーロッパのような「後進地域」が、宋朝中国という「先進国」を奇跡的に逆転して産業革命を起こせたのか?>

という、「よりグローバルな問題のたて方」で捉え直してこそ、初めてプロレベルの解答も得られるだろうと、この新進気鋭の近代史家は言っているのだ。

すでに宋の時代において、「近世」への大転換を遂げていた中国には、改めて「近代化」や「西洋化」を果たす必要が無かったのに対し、

唐の時代までは「遣唐使」など、中国を意識的に模倣していたはずの日本は、なぜかこの宋朝以降の「近世」を受け入れようとはせず、

「身分制度」と「封建制」を温存し、欲を張らずそれさえ愚直に維持していさえすれば子孫代々そこそこは食べていける「江戸時代」という、中国とはまったく別の「近世」を選んだのだというのであり、

中国とは真逆の方向を向いてスタートしたのが日本の「近世」なのだという、この事実さえ受け入れることができるなら、

日本の歴史は、「中国化」を目指そうとする動き(明治維新など)と、「再江戸時代化」に揺り戻そうとする動き(昭和維新)という切り口で、鮮やかに料理することができるというわけなのだった。

ところが、今や様々な理由によって、その日本独自の「近世」である江戸時代のやり方が終焉を迎えた結果、日本社会がついに宋朝以降の「中国の近世」と同じような状態に移行――「中国化」しつつある、というのが、本書のタイトルの本当の意味になります。

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