(内田樹 釈徹宗 東京書籍)

「もしかしたら、いまの日本人に必要なのは、傷ついた人々や悲しんでいる人々を支える聖地の持つ力じゃないのか。そんな視座もあって、さらに宗教的な場への思いを強くしているんです。」(釈)

だから「聖地」という<なすべきもない悲しい出来事を求心力に変える装置>に目を向け、その土地に眠っている霊性を感じること、

そんな、現代人でも無意識に感じていることを、あえて意識化させていくような作業をする必要があるんじゃないか。

と、東日本大震災という事態に直面したことを発端として、日本の聖地を巡ることを企画することにした、浄土真宗本願寺派・如来寺住職の釈徹宗に対し、

「大阪に元気がなくなったのは、本来この土地が持っていた霊的エネルギーを賦活する装置が機能しなくなったからだっていうのが僕の持論なんです。」(内田)

大阪に元気がないのは、<土地が持っている霊力を侮った罰だ>と喝破するのは、思想する武道家・内田樹で、

<霊的感受性>を敏感にして、「霊的なものの切迫を触覚的に感じること」をとりあえずの目的に据え、

釈の水先案内に引っ張り出されて、道を歩き、神社仏閣を巡りながら、つまりA地点からB地点に移動しながらの、釈との対談を挙行する。

人間というのは移動しながらおしゃべりをしていると、「突拍子もないこと」を思いつく傾向があるから・・・というのである。

釈 今日はいわば大阪の宗教ラインを先端から中ほどまで歩いてみたわけですけど、先生は何か水路のように歩けるとおっしゃってましたね。
内田 ええ。ただ、流れを妨害しているものもあると感じました。霊的な水脈があることは間違いないんです。でも、ノイズも強い。本来であればああいう霊的な水脈が流れているところでは、流れを妨げないようにという無意識の気遣いができるはずなんですけど、・・・都市住民たちはもうそういう感覚をなくしちゃったんでしょうね。


よほどこちらの感度を上げねば、大阪の地が持つ高い宗教性を、もはや感知できなくなってしまったことを確認することになった、大阪・上町台地の縦走。

内田 このあたりで異界への扉がぱかっと開くような気がしますねえ。
釈 この磐座を自分の「扉」「入り口」と決める人は結構いるような気がします。
内田 ここはすごく空気に透明感があります。不思議だな。町の音も聞こえない。


蓮台野(船岡山)から鳥辺野(六道辻)まで、古代からの葬送地を歩く京都の「異界」巡りでは、「お、ここだ」という境界線感覚を、身体で実感することになる。

「登拝中は録音や写真撮影は禁止」

つまり足を踏み入れたが最後、しゃべることさえできない、奈良飛鳥・大神神社のご神体「三輪山」登拝を終えた後の、晴れ晴れとした達成感まで含めて、

これは是非とも後追いせずばなるまいと思わせてくれること請け合いの、『関西アースダイバー』ガイドブックなのである。

「おお、来ますね」「来ましたか」というように僕と釈先生がパワースポットでの「ざわざわ感」を語り合っておりますが、このような感覚にはもちろんいかなるエビデンスも存在しません。ですから「勝手なこといってないで、どこがどう『ざわざわ』するのか、科学的エビデンスを出せ」というような野暮をいわれても困る。(内田)

(2013年9月)

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング