(竹村公太郎 PHP文庫)

この広重の絵(『山王祭ねり込み』)には、祭行列が江戸城に繰り込む様子が描かれている。・・・しかし、今まで私は、この絵の重要な部分を見落としていた。・・・祭行列が江戸城に入る「土手」が今と同じなのだ。・・・祭行列が堀を渡ろうとしているのは「橋」ではなく「土手」であった。

「半蔵門の土手は江戸時代からあった!」

世界の城を見回しても、敵の攻撃を防ぐのが役目であるはずの堀をわざわざ土手で埋めるなど、常軌を逸しているといわざるを得ない。

これは、「絶対にこの土手を守ってみせる」という、徳川幕府の覚悟の表明であるに違いない。

私たちが一般的に皇居の正門として認識しているのは、正月の一般参賀が行われる「二重橋」や、各界の要人が宮内庁訪問の際に利用する「大手門」であり、

これらの反対側に位置する「半蔵門」は、その名称(忍者・服部半蔵に由来する)からも脱出用の門という、いかにも裏口のイメージである。

ところが、その裏門を天皇・皇后両陛下はお通りになって、出入りされているのだから・・・

「半蔵門は江戸城の正門だった」

これが、元建設省河川局長として、地形と気象だけは人に負けないほどの知識と経験があると自負する著者が、

江戸城の地形などから推理してみせた、胸のすくような結論だった。

<関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか>
―巨大な敵とのもう一つの戦い―

<なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか>
―地形が示すその本当の理由―

<なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか>
―日本史上最も狭く小さな首都―

などなど、18章にも及ぶ歴史ミステリーの謎を解く。

この本は、「素人が何を言うか」という歴史の専門家からの叱責を覚悟しながら、

地形と気象という「ぶれない事実」を解釈の根拠として、今まで定説と言われていた歴史の常識を覆して見せようという、まことにスリリングな試みなのである。

さて、半蔵門は江戸城の大切な正門であったから、その半蔵門の土手を防御するために、幕府は四ツ谷見附から江戸城までの郭内に御三家や親藩の屋敷を配置し、

戦闘集団の旗本たちを住まわせると同時に、賑わう麹町の商店街には密偵をくまなく張り巡らしていた。

しかし、江戸で最も警備が厳重なこの麹町に、副官の吉田忠左衛門、武闘派急先鋒の原惣右衛門をはじめとして16名もの赤穂浪士が潜伏していた。

ひょっとして「赤穂浪士は江戸幕府に匿われていた」のではないか?

徳川家の真の狙いは、「吉良家の滅亡」だったのではないか?

<なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか>
―徳川幕府百年の復讐―

後は自分で読んでください。

(2014年2月)

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング