(中島岳志 文藝春秋)

<同志の頭数が十人、それから拳銃の数が十丁、是で出来るだけ多くの者を倒す、支配階級の主立った者を出来る限り倒す、さうすると一人で一人を受持つと云ふことにしなければいけない、さうすれば其の人間、相手をはっきり決めることが出来る、十人全部倒すと云ふことは出来ないにしても、半分やったら五人だ、さうしたら改造は之に依って成就するかも知れない、五人倒せば我々も倒れるかも知れぬけれども、支配階級としては大恐慌だ>(井上日召『公判記録』)

1932(昭和7)年、元大蔵大臣・井上準之助と、三井財閥総帥・団琢磨が、連続テロによる凶弾に倒れた。

それぞれ単独で暗殺を実行した小沼正と菱沼五郎の両名は、共に茨城県大洗周辺出身の幼馴染の青年集団「血盟団」の仲間だった。

経済的不況による庶民の生活苦や農村社会の疲弊に対し、まったく無策で、互いに足を引っ張り合うばかりの政党政治に対する不信。

既得権益に胡坐をかき、資本独占によって庶民との格差は広がるばかりの、一部特権階級に対する憤り。

暗い世相と閉塞感の中で、若者たちの抱える不満は、ふつふつと煮えたぎろうとしていた。

「一人一殺」というスローガンを掲げて、そんな若者たちを感化し主導していったのは、カリスマ的日蓮主義者・井上日召である。

若い時からの生に対する煩悶の末に、独自の修行を繰り返し、神がかり的体験をもとにカリスマ宗教家へと転身していた井上は、

「お前は救世主だ。一切衆生のために立ち上がれ!」

という天の声を聞いて、国家改造運動へと舵を切り、悩める若者たちを従えていくことになったのである。

その運動に枠組みを与えたのが、日蓮の教えだった。井上のスピリチュアリズムと国家主義は、日蓮主義を媒介として融合し、独自の革命理論を構築した。

そんな日召のもとには、安岡正篤の金鶏学院に集まっていた東京帝大・七正社の学生たちや、交流のあった海軍の青年将校たちなど、

大洗の農村青年たちとは、まるで接点を持たないようなエリートの集団も引き寄せられるように顔をだし、国家改造計画を練っていくことにもなるのだが・・・

テロ後の政権がいかなるものになるかなど、考える必要はない。政権構想を抱くと、それが我欲に直結する。自分のポジションや利害関係がせり出してしまう。どうしても計らいが顔を出す。自分たちが捨てなければならないのは、我欲そのものである。徹底した自己犠牲の精神によって突破口を開き、あとは天意に任せる。それしかない、ただ命を投げ出すしかない。それが求道者の道であり、大乗的精神である。宇宙と一体化する信仰者の歩みである。

テロ後の構想を捨て、共に理想のために「捨石」とならんとした井上の決意に、迷うことなくつき従うことができたのは、大洗の農村青年たちだけだった。

後に続いて蹶起する勢力の存在を確認することもなく、ただ命を捨て、テロを実行し、後のことはすべて「天に委す」という、

農村青年に求めた「捨石」の覚悟を、エリート集団にも期待することは、ついに出来なかった。

こうして、世にいう『血盟団事件』はいささか唐突に幕を閉じることになったわけなのではあるが、

彼らエリート達にしたって、本当はただ「捨石」になることができるならどんなに気が楽かと、地団駄を踏むような思いで煩悶していたに違いないと思うのである。

星子(後に「血盟団」に合流した京都帝大グループの星子毅)は井上に「暖いものを求め」た。井上と同志たちの関係が羨ましかった。しかし、井上は素っ気なかった。星子はどうしても「暖みが欲しくなり」、酒の勢いで井上の体に「しがみ付いた」。しかし、井上の「気持に入る事が出来なかった」

(2014年4月)

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