(古市憲寿 新潮新書)

ただ「強いリーダー」を待望するだけで、なかなか自分では動き出さない。「クール・ジャパン」や「おもてなし」と言いながら、内実は古臭い「挙国一致」の精神論。これからは実力主義の時代だと煽りながら、結局はひとを学歴や社歴でしか判断できない。自分ではそれほどITを使えないのに、やたら「ネット」や「ソーシャル」の力を信じている。・・・国や企業の偉い人たちのこうした考え方は、往々にして、ピントがズレていたり、大切な何かが欠けていたりする。

<なぜこの国はいつも大事なときにズレてしまうのか?>

『絶望の国の幸福な若者たち』を出版してから、「若者」が「若者」について語るという意味で、「若者」代表としての発言を求められるようになったのは、

「若者のことがわからない」にもかかわらず、いやそれ故にこそ、この国の大人たちが「若者」のことを知りたがってくれているからなのだろうが、

そんな自分にとっては、「大人たちの世界」のほうがよほど謎に包まれたものだった、という著者は、

日本が抱える大きな「ズレ」に焦点を当て、そんな「ズレ」の中でもがき苦しむ「若者」たちを描き出すことで、

この様々な「ズレ」を放置し続ければ、結果、この国はどうなってしまうかという「2040年の未来図」を突きつけ、警鐘を鳴らして見せる。

<「強いリーダー」なんていらない>

いなくても大丈夫なくらい、豊かで安定した社会を築き上げてきたことを、むしろ誇るべきだ。

<オリンピックさえ開催されれば「日本は復活する」なんてことはない>

東日本大震災以降、あまりにもみんなが「ニッポンが一つにまとまること」や「絆」の大切さを訴えすぎた。

<「テクノロジー」だけで未来はこない>

誰もそんなの欲しがっていないから、「スマート家電」が全然スマートじゃない。

<「ノマド」とはただの脱サラである>

「安定」が本当に脅かされる時、もはやただ「自由」の賞賛や、「スタイル」の話をしている余裕なんてなくなる。

<「若者」に社会は変えられない>

社会を変えられるのは、若者よりも人脈もお金も経験も、あらゆるリソースを多く持っている「おじさん」のほうだ。

「おじさん」とは、いくつかの幸運が重なり、既得権益に仲間入りすることができ、その恩恵を疑うことなく毎日を過ごしている人のことである。

もちろん、堅牢だと思い込んでいた「おじさん」の世界自体が崩壊しつつあることに気付いてはいるが、

その解決策がまた「おじさん」流で、「見果てぬ夢」を追い続けんがため、取り返しのつかない「ズレ」を引き起こすこともになる。

「おじさん」は、「今ここにないもの」に過剰に期待してしまい、「今ここにあるもの」に潜んでいるはずの様々な可能性を見過ごしてしまっているのだ。

人は、今いる場所を疑わなくなった瞬間に誰もが「おじさん」になる。

(2014年6月)

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