(内田樹 釈徹宗 東京書籍)

我々の聖地巡礼におけるテーマは「場と関係性」である。単に宗教性が高い場所へとおもむくだけではない。そこで展開されている儀礼行為や舞台装置などにも注目している。また、その場に関わってきた俗信や習慣、権力や政治的な要素も合算して、全体像に向き合おうとしている。

それは、近代のキリスト教的視点により、内面的精神状態の信仰に限定され、特化されてしまった「宗教」を無効化しようという試みとして、

<構成要素を細かく分析するよりは、そこにある「場と関係性」に心身をチューニングすることを優先している>のだという、如来寺住職・釈徹宗と、

大阪上町台地縦走の旅からこの企画ははじまりましたけど、そのときに釈先生と二人で繰り返し嘆いたのは、「大地の持つ豊かな霊力に祝聖された空間は、そこに生きる人たちの生きる力を賦活する」という自明のことを現代人は忘れてしまっているということです。

「他の場所とは違う感じがする」ということ自体を感じられなくなってしまった現代人は、もう新たな聖地を発見する力も、作り出す力も失ってしまったのだから、

聖地に満ちた日本の山河の、聖地が破壊されたり、穢されたりすることはあっても、「新しい聖地」が加わることはないという重い事実に警鐘を鳴らす、内田樹と。

『聖地巡礼 ビギニング』(大阪・京都・奈良)

に続く、待望の第二弾は、近代の知性によって彩られた宗教概念では読み解くことはおろか、その正体に近づくことすらできない、最大規模の聖地・熊野辺路への旅だった。

内田 何となく僕はいま、熊野=バリ説に傾きつつありまして(笑)。・・・バリにいて、裸になって寝転がって、バリの大地から伝わってくる波動に身を委ねていると、それだけで細胞が賦活する感じがする。何か身体が「ゆるむ」んです。
釈 熊野=バリ説ですか(笑)。なるほどなぁ。そういえばインドネシアって全体がイスラム化されていますけど、バリ島だけがヒンドゥー教なんですよね。あのエリアの宗教性は古層がむき出しのままです。


などなど、内田先生の<霊的直観にもとづく言説の暴走>は相も変わらず、

陶酔感に満ち溢れた「大人の遠足」の魅力にやられてしまうと、「行かずばなるまい」という思いは募るばかりなのであるが、

目的地到着と同時に、「先に御朱印を押してもらわねば」と駆け出していく、<御朱印部>がいつの間にか派生してしまったという<巡礼部>の現況を聞くと、

二の足を踏んでしまう今日この頃なのではある。

(2015年5月)

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