(東山彰良 講談社)

1975年はわたしにとって、あらゆる意味で忘れられない年である。
大きな死に立てつづけに見舞われたのだが、そのうちのひとつは家の門柱に国旗を掲げなければならないほど巨大なものだった。さらにそれよりはずっと取るに足らないが、わたしにしてみればやはり「人生を狂わされた」としか言いようのない不運な出来事があった。


1975年、台湾。

国民党の総統・蒋介石が亡くなったその年に、17歳の高等中学生だった葉秋生(イェチョウシェン)は、大好きだった祖父を喪った。

大陸で国民党の遊撃兵として、共産主義者殲滅の戦いに従軍し、死線をかいくぐってきた伝説の戦士・葉尊麟(イェヅゥンリン)が、

逃れ落ちた台湾で営むことになった布屋の浴槽の中で、体を「く」の字に曲げて、水の底に沈んでいるところを、発見したのは、孫の秋生だった。

「お狐様がついとるかぎり、わしは不死身よ」と嘯いていた祖父は、あれから30年近くも経過した今ごろになって、なぜ惨殺されねばならなかったのか?

祖父の死の謎の真相を知るために、台湾から日本、そして中国へと、秋生の長い探索の旅が始まった。

と書くと、これはミステリー作品だと思われるだろうし、確かに物語のクライマックスでは、意外な殺人の経緯も明かされることにはなるのだが、

探偵役の秋生は、替え玉受験発覚による高校退学、街のチンピラ達との喧嘩沙汰、兵役による軍隊入営、初恋の成就と破綻などなど、

幼馴染の悪友・趙戦雄(ジャオジャンション)が持ちこんでくる、ろくでもない面倒事などにも振り回されて、

自らの青春ドラマを謳歌することのほうが忙しく、肝心の謎解きのほうには、なかなか手が回らないという有様なのではあった。

本年度「直木賞」受賞作品。

豚肉を揚げる安物の油の臭いや、吐き出されたビンロウの唾にまみれた猥雑な台湾の街を、

二人乗りのバイクでガソリンを撒き散らしながら疾走するかのような、ドライブ感に溢れた青春の軌跡。

この先になにが待っているのか、すべての騒動が終わり、大学の文学部に入って小説家になり、この物語を書いた<わたし>にはわかっていた。

しかし、それを語れば、この幸福な瞬間を汚してしまうことになるのだから、今はただこう言っておこうと、

まことに美しい一節で、この煌くような物語は締め括られているのだった。

<あのころ、女の子のために駆けずりまわるのは、わたしたちの誇りだった。>

自動ドアが開き、十月のまばゆい光に包まれる。
ふりむくと、妻がそこにいて、にっこり笑って手をふっていた。うつろいゆく人の流れのなかで、彼女は笑っていた。
わたしはそういうふうに彼女のことを憶えている。


(2015年12月)

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