(馳星周 中央公論新社)

「そなたの新しい名前だ。等しく比(なら)ぶ者なき。そなたに相応しい名前ではないか。これより、その名を使うがよい」(中略)
軽(かる)は英邁だ。だが、まだ若い。その若さが屈託のない信頼となって史(ふひと)に向けられる。なにもかもが真っ直ぐなのだ。その軽を、史は己の行く道を塞ぐ邪魔者になるかもしれぬと考えていた。


「身に余る光栄にございます」
史=不比等(ふひと)は静かな声で言った。

中大兄(天智天皇)より藤原の姓を賜るほどに寵愛され、その右腕として辣腕を揮った、英傑・中臣鎌足の息子であったが故に、

天智亡きあと、その後継者・大友皇子との乱を制し大王の座についた、弟の大海人(天武天皇)には疎まれることとなり、

朝堂に出仕することもままならずに、無為の時を過ごしてきた藤原不比等が、ようやくその傑出した政治力を発揮することができるようになったのは、

30歳になるまで舎人として懸命に仕えることで、その信頼を得てきた天武の子息・草壁皇子が、帝位に就くことなく早世してしまったからだった。

草壁の母・讃良(ささら)大后は、まだ幼い草壁の息子・軽皇子を帝位に就けたい一心で、

両刃の剣となることも承知の上で、不比等の策に頼ることとし、自らが即位(持統天皇)して、孫を擁護する道を選んだのである。

「天照大神という神がおります。その名のとおり、太陽のごとくこの世を照らす神です。男神なのですが、我らはこれを女神にしようと思っております」
「なるほど。天皇が天照大神ですな」
人麻呂の目に光が宿った。
「はい。天照大神は天上にあって天上の世界を統べております。そして、地上にあるこの国を統べさせるために、孫を送り込むのです」


「新しい神話を作らせている」
不比等は声を低めた。

それまでは、豪族たちの合議によって選ばれていた大王を、徳と智によってこの国に君臨する天皇という血筋として、その正統性を保証してしまうこと。

代々の天皇が神の子孫であるという前提を覆されぬよう、蘇我馬子が遺した業績を厩戸皇子の業績に置き替え、その生々しい記憶と共に葬り去ってしまうこと。

不比等が主導した、この国初の正史『日本書紀』の完成は、嘘であれ戯言であれ、正式な史書として詔されることで、覆すことのできない歴史となってしまったのだが、

それと引き換えに、天皇家が差し出すことになったものは、取り返しのつかないほど大きな代償だったと言わねばならない。

軽皇子(文武天皇)の夫人となった不比等の娘・宮子が産んだ、首(おびと)皇子(聖武天皇)に、不比等と橘三千代の娘・安宿媛(あすかべひめ)が嫁ぐ。

こうして、皇族でない女性として初めて皇后となった安宿(光明皇后)が産んだ男子が、藤原家の血筋を引く初めての天皇となる。

その天皇に藤原の娘を嫁がせ、子を産ませ、またその子を天皇にする。藤原の家が未来永劫栄え続ける、遠大なる戦略。

これこそが、壬申の乱で失われてしまった、鎌足の氏族の威光を取り戻さんとした、不比等の一念だったのだ。

「不比等とは吾のことだけを申すのではない」
不比等の声は歌を詠んでいるかのようだった。

「不比等とは藤原の家のこと。等しく比ぶ者なき氏族。それが藤原の家だ。皇族ですら藤原の家の前では色褪せる。それが藤原の家だ」

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