(石田英敬 東浩紀 ゲンロン叢書)

コンピューターの思想的発明というところに戻れば、記号論はその出発点にある学問であり、世界自体がコンピューター化するということは、世界が「記号論マシン」によって覆われた、つまり普遍記号論化したということになります。ところが・・・

<世界そのものが「記号論」化しているのに、学問としての記号論は影を薄くしている。いったい、それはなぜなのか。>

という大きな謎の問いかけに、石田が駒場の授業で初めて会った時から既に、「深くてスピードのある洞察力になんて頭のいいやつなんだ」と舌を巻かせたらしい東は、

いずれにせよ、まずはバロック記号論があり、つぎに現代記号論がある。そして今日の石田さんのお話は、さらにその現代記号論が「終わった」時代から振り返ってつくられているということですね。

<つまり、これからのお話は、現代記号論をアップデートしてスマホやネットについて語りましょうというものでは「ない」んです。ここが大事です。>

といささか先走りながらも、専門知識をもたない聴衆にも理解できるようにと、(ただし、本当にそれが理解できるかは別の問題だが)丁寧に噛み砕いて解説する。

これは、一般市民を対象に2017年の2月から11月まで、当初1回の予定が白熱のあまり3回に及んだという、噂の公開講義の実況中継なのである。

どんな文字もその要素は3ストローク内で書け、その出現頻度を統計処理すれば、どの文字・記号システムでも同じように形の要素が分布していることがわかった。

この「ヒトはみな同じ文字を書いている」という知見に驚くなど、人文科学は脳科学と出会うことで「一般文字学」の再構築に向かわねばならない。

という、第1講義「記号論と脳科学」。

脳の部位と言語の個々の機能を対応させる「言語装置」論を批判し、複数の部位が機能連合するという構造論的なモデルを仮想すること。

「言語装置」の批判的考察から「心的装置」の解明へとつなげたフロイトは、ヒトの心は「メディアのかたち/脳のかたち」をしていることを見抜いていた。

という、第2講義「フロイトへの回帰」

「心の装置」は脳神経系の回路からなり、信号化された「文字」が書き込みと転写を行っている。この洞察を、さらにアップデートしなければならない。

すべてが伝わり(スピノザ)、すべてがデータとなり(パース/フッサール)、ネットワーク化されたとき(タルド/ドゥルーズ=ガタリ)、なにが伝わっているのか。

という、第3講義「書き込みの体制2000」

「1900年の書き込みシステムでさえ学問的に消化できていないのに、学外では2000年の書き込みシステムが吹き荒れている」(東)

すべてがデータベースと化し、いたるところでネットにつながれ、いくつもの情報オントロジーによぎられる生活を、否応なく強いられる毎日の中で、

心理的・集団的個体化のための<自己のプラットフォーム>をどうしたらつくれるか、ということこそが21世紀を生きる我々に課せられた命題だというのである。

石田氏の目標は、20世紀後半に華開いたものの、いまではすっかり影響力を失ってしまった大陸系哲学の伝統――日本ではおおざっぱに「現代思想」などと呼ばれているもの――を、21世紀のサイエンスとテクノロジーを参照して新しいものに蘇らせ、ふたたび影響力のあるものにすること、つまりは、この金融資本主義とソーシャルネットワークと人工知能の時代にふさわしい、新しい人文学をもういちど打ち立てることにある。それはじつに壮大で、野心的な試みである。ぼくはその野心に共鳴して、石田氏に講義を依頼した。

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