(高樹のぶ子 日経プレミアシリーズ)

業平のさまざまな交友関係を通じて、彼がなぜあれほどまで女人の心を掴み、友人たちに親しまれ頼られ、ひとつ間違えれば当時の宮廷社会から弾き出され、不遇の中に死んでいっても不思議ではないはずなのに、歌人として日本の文芸史に名を残し、彼自身にとっても穏やかに満足して命を終えることができたかを、解きほぐしていくことができれば、現代に生きる人にも、何かの参考になるかもしれませんね。

<ひと言で言えば在原業平、「思うに任せぬことの多かった生涯」を、「思うに任せぬことをも愉しみながら」生き抜いた人と申せます。>

というこの本は、平安時代初期に成立したあくまで歌が主役の歌物語『伊勢物語』の、章段の書き出しに「むかし男在りけり」として登場する、この「むかし男」を、

確かにあの色男・業平が主人公であるとして、『小説伊勢物語 業平』という一代記に仕立て上げてみせた作家による、創作ノート風の裏メニューなのである。

在原業平といえば名うてのプレイボーイというのが通り相場だが、それは千年以上もの長きに渡って、間違って語られてきたイメージではないかという。

<月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして>

梅の香だけを残してあの人が消えてしまった春の宵。この月は、この春は、いつぞやの月や春とは違うのか。私ひとりは元のまま、何も変わってはいないというのに。

なんて、一瞬の切ない想いを真っ直ぐに吐露するような歌を繰り返し味わうたびに、業平には女性に寄り添える感性が備わっていることが分かるというのである。

(まあ、でもそれこそが「モテ男」の最大の強味じゃあなかろうかと、「非モテ」の典型男は思わないでもないんだけどね・・・)

天皇の外戚として権力を伸ばしていく藤原氏に対する、臣籍降下した直系血族としての複雑な思いと、世渡り上手な兄・行平への屈折した感情を・・・

<咲く花の下に隠るる人を多み 在りしにまさる藤の蔭かも>

業平に恋い焦がれたあまり病いに臥せったと聞き、病床を訪れた業平の腕の中で息絶えてしまった蛍の方に、叶わなければ飽きもない、そういう縁もあると・・・

<ゆくほたる雲のうへまでいぬべくは 秋風ふくと雁につげこせ>

清和天皇の女御となる運命を背負った藤原高子との禁断の恋。破局に終わり「東下り」から戻って再会した業平は、「お懐かしうございます」と声を掛けられ・・・

<花にあかぬなげきはいつもせしかども 今日の今宵に似るときはなし>

御簾の中の高子は深く頷き、業平は「これでよろしいのですね。」と自らに言いきかせる。これからの半生の生きる目的が、この日、こうして定まったのだ。

相手をとことん追い詰めない、早々に決着をつけない、短絡的に勝者と敗者を分けてしまわない。一見曖昧にも見える振る舞い、考え方、余裕のある性格。

業平の生き方、人間性、対人関係を見るとき、ようやく「雅」とは何かということが見えてくるというのだ。

そこに「歌」が生まれるのだろう。

「業平の心に戀わびはあっても、好色のすきはない。すきものであったことを否定はしないが、このすきは西鶴の好色物の人物とはまるで違ふ。ここには一種のきよらかなあはれがある」(『無用者の系譜』唐木順三)

無常について考えた唐木順三らしい卓見です。彼の言う「きよらかなあはれ」こそ、平安の雅の本質であり、現代にも通じる「誠」の姿なのです。

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