(Mチャンギージー ハヤカワNF文庫)

人間にとって読む能力が本能であるはずはない。なにしろ、文字はごく新しく、数千年前に発明されたばかりだ。ほんの何世代か前まで、人類の大半には読み書きの能力が根づいていなかった。

<だから、脳の中に文字を読むためのメカニズムが内蔵されているとは考えにくい>

という着想から、<文字>は私たちが自然界を認識する能力をそのまま転用できるようにデザインされており、「ヒトはみな同じ文字を書いている」と看破したのが、

『新記号論』のご紹介の時にも出てきた、チャンギージーの前著『ヒトの目、驚異の進化』だった。(ゴメンナサイ、まだ積ん読段階で、後先で次に読む予定です。)

読み書きが本能に見えるのと同様、音声にかかわる二つの能力――話し言葉と音楽――も、本能のように感じられるものの、じつは言語や音楽など前提にしていない、人間が昔から持つ非常に効率的な脳のメカニズムを転用しているのではないか?

<話し言葉や音楽は、いったいどんな本能をどう活かしているのだろうか?>というのが、著者が挑んだ次なるテーマであり、今回辿り着いた革新的な仮説とは?

<書き言葉>の文字素が、自然界にある物体の輪郭線の結合部分の特徴的なパターンから生み出されてきたことを、示して見せた前著に対し、

「これは何か?」「どこにあるか?」という疑問に答えることに長けている視覚に較べて、聴覚は「何が起ったか?」をつかむのに向いているので、

<話し言葉>は、固体同士の物理的な相互作用から発生する音に似ており、“ぶつかる”、“すべる”、“鳴る”のたった3つの構成要素で成り立っているという。

私たちの脳に生まれつき組み込まれた言語本能などはなく、ヒトは自然界の音を真似ることによって、すでに備わった能力を流用して言語能力を発達させてきたのだ。

一方、<音楽>のほうは、人が動いたり何かをやったりするときの音に似ており、音量、音高、テンポ、リズムの4つの要素で成り立っているのだが、

これらは、人の動きの基本情報である、距離、移動方向、速度、挙動(足取り)にみごとに符合する。つまり、人間の歩行を模倣しているというのである。

例えば、音高が低いときは動作主が遠ざかりつつあり、高いときは近づきつつあるという、動作音のドップラー効果の痕跡がメロディーの流れの輪郭に残ることが、

『音楽主題事典』に収録された約1万の旋律の分析結果を通して解き明かされるなど、まことに根気よく、懇切丁寧に示されていく手際には、息を呑むものがある。

ヒトは新たな社会に溶け込むために使いこなすべき技能を、類人猿のころから得意な処理能力に結びつけて構築していかねばならなかった。

そのために一番確実な方法が、新しい技能を徹底的に自然界に似せることだったのだろう。

<言語は“ぶつかる”>、そして<音楽は“歩く”>。

文化が進化するにつれて、自然界を模倣しながら言語と音楽が形成されていき、おかげでホモ・サピエンスは現代人になったのである。

人間がどんな生き物であるかは、解剖したり生息環境を調べたりすればある程度まで判明するだろうが、さらに深く見ると、自ら生みだしてともに進化してきた事物ともからみ合っている。言語や音楽をはじめ、高度に文化的な進化を遂げた知識の総体が、遺伝子や生息環境と同じくらい、現代の人類を形成する素になっているのだ。ヒトの謎を解くための鍵は、言語などの文化的な所産の奥にも潜む。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング