(石沢麻依 文藝春秋)

ゲッティンゲンに来てから、ここから離れた場所を襲った地震の記憶について、一度も耳にしたことはなかった。緑に包まれたあの東北の土地、まだ四季が境界をなしている場所の名前は、ここでは誰の耳をもすり抜けてゆく遠い言葉だったからだ、

<人気のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。>

ドイツのゲッティンゲンで西洋美術史の博士論文を準備している私を訪ねてきたのは、9年前の東日本大震災で行方不明となったままの友人、野宮の幽霊だった。

――野宮に変わりはありませんでしたか?

仙台から野宮の来訪をスカイプで伝えてきた澤田も、そして私も、野宮を死者としてではなく過去からの漂流者と思っている節があった。

<本年度芥川賞受賞作品>

「惑星の小道」と呼ばれる太陽系の縮尺模型が組み込まれ、ひとつの時間から別の時間へ、重ねられた記憶の中をすいすいと進んでゆくことができる、

「時間の縫い目が目立たない街」を野宮を案内して歩くのは、筋の通った静けさを馴染んだ服のようにまとっている印象の物理学者・寺田寅彦だった。

生きている者と死んでしまった者が交わり、パイ状に重ね合わさった時空間を自在に行き来して巧みに構築してみせた、これは「3.11」への鎮魂歌なのである。

――月沈原(ゲッティンゲン)でトリュフ犬に会いました。

海王星近くの森で、トリュフでも毒茸でも動物の死骸でもない「何かしら」を引っ張り出すという、奇妙な収集癖を示し始めたトリュフ犬のヘクトー。

杖、玩具の剣、ダーツの矢、羊の縫いぐるみ、錆にまみれた杯、取っ手が壊れたバスケット、塔の形をした人形の家。

落とし物とみなすにはあまりにも「森」という場所にそぐわない、誰かの生活に組み込まれながら、そこから引き離されてしまった物たち。

――この中には何か、あなた自身のものも含まれているのですか?

ただ話を聞くために「木曜の時間」を開放してきたウルスラが始めた発掘物の収集部屋は、小さな美術館の展示室の趣を醸し出していた。

部屋中にほぼ隙間なく並べられた断片たちは、場所に馴染まず、部屋の主を表すひとつの印象を作り出すこともなく、濃密な気配で眼差しを突き刺してきた。

蒐集された物は一枚の絵を完成させる断片とはなり得ず、それぞれが「誰か」の時間や記憶を主張して、その「誰か」が引き取りに来ることを待っているのだ。

――ただ抜けばいいでしょう。奥歯じゃなくてよかった。

ある朝、目が覚めると突然背中に生えていた前歯3枚と犬歯が2つ。私の中から生えてきた痛みが形をとった、これは野宮の歯なのだろうか。

<午後2時46分、と野宮は呟く。静かな透明な声。>

私には振り返り、確認することはできない。幾重にも幾重にも記憶と時間を結びつけたつぎはぎの記憶の襞に、その気配もまぎれて遠ざかっていった。そこに還ることを願うという祈りは、見えない糸となって記憶を固定した。野宮は、もうそこにいないのかもしれない。

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