―Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか―
(川添愛 東京大学出版会)
たとえば、誰かが「時は来た!」と言ったとしよう。日本語だし、何ら難しい用語なども入っていないので、意味自体は明確だ。しかし文脈によって、いったいその人が何について、またどういうつもりでそう言ったのかが大きく変わってくる。
<言葉の理解のために、文脈の理解は不可欠だ。>
もし予備校の熱血教師がそう言ったのなら、それは受験目前の生徒たちへの激励だろうし、自意識高めの社長が言ったのなら、新プロジェクト開始の宣言かもしれない。
実はこの本の内容にも、文脈が分からないと理解できない部分があるので、「言語学」という知的ワードに惹かれて読むとがっかりしてしまうに違いない。
言葉の本質を抽出した滋味溢れる文章など期待せず、最初から「箸休め的な内容しか載っていない」ことを了承した上で、読むかどうかを判断してほしい。
と随分控えめな「前書き」で始まったのは、これが東大出版会の月刊冊子『UP』の豪華執筆陣によるフルコースメニューに添えられた「お口直し」の連載だからだ。
とはいえ、『ヒトの言葉 機械の言葉』など、理論言語学で武装した作家が揮うペンの切れ味は、ますます研ぎ澄まされてきているようで・・・
何かを勘違いしたまま長い年月を過ごしてしまうというのはよくあることだ。私も今年になって、ユーミンこと松任谷由実の名曲について、30年以上勘違いしていた「あること」に気がついた。
<その曲の名は、『恋人がサンタクロース』である。>
「A{は/が}B」という形で、かつAおよびBが「名詞(句)」であるような文は、言語学においては「コピュラ文」と呼ばれるが、
「AはB」と言った場合は、「AとBは同一のものだ」という解釈とは別に、「BがAという役割をになっている」という解釈が成り立つのに対し、
「AがB」と言った場合は、「AとBは同一のものだ」という解釈は同じだが、「AがBという役割をになっている」と解釈が逆になることに注意せねばならない。
つまり、ユーミンが『恋人{は}サンタクロース』ではなく、『恋人{が}サンタクロース』というフレーズを選択することにしたのは、
「白髭のサンタクロース本人が恋人として登場する」のではなく、「ある特定の恋人がクリスマスの夜にサンタクロースとしてやってくる」ことを想定したからだ。
などなど、コミュニケーションにまつわる矛盾や誤解、副題にもある「意味」と「意図」のズレの問題などを、軽快な語り口とともに、教えてくれるのである。
ところで、<バーリ・トゥード>って、何?
<「バーリ・トゥード」とはポルトガル語で「何でもあり」の意味で、ルールや反則を最小限にした格闘技>
という言葉の説明をせずにタイトルに用いたことに対するウダウダとした釈明を読むだけでも、この著者の「一筋縄ではいかなさ」が明白なのだが、
要するに、それが耳慣れないと感じる人の方が多いということを忘れてしまうほど、「私は根っからの格闘技ファンです」と言いたいらしいのである。
もしプロレス好きの人が酒に酔って「時は来た!」と言っているのであれば、単に橋本真也のモノマネをしている可能性が高い。その場合は・・・すかさず「橋本の隣で笑いをこらえる蝶野」のモノマネをして返すのが最高の作法というものだ。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
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(川添愛 東京大学出版会)
たとえば、誰かが「時は来た!」と言ったとしよう。日本語だし、何ら難しい用語なども入っていないので、意味自体は明確だ。しかし文脈によって、いったいその人が何について、またどういうつもりでそう言ったのかが大きく変わってくる。
<言葉の理解のために、文脈の理解は不可欠だ。>
もし予備校の熱血教師がそう言ったのなら、それは受験目前の生徒たちへの激励だろうし、自意識高めの社長が言ったのなら、新プロジェクト開始の宣言かもしれない。
実はこの本の内容にも、文脈が分からないと理解できない部分があるので、「言語学」という知的ワードに惹かれて読むとがっかりしてしまうに違いない。
言葉の本質を抽出した滋味溢れる文章など期待せず、最初から「箸休め的な内容しか載っていない」ことを了承した上で、読むかどうかを判断してほしい。
と随分控えめな「前書き」で始まったのは、これが東大出版会の月刊冊子『UP』の豪華執筆陣によるフルコースメニューに添えられた「お口直し」の連載だからだ。
とはいえ、『ヒトの言葉 機械の言葉』など、理論言語学で武装した作家が揮うペンの切れ味は、ますます研ぎ澄まされてきているようで・・・
何かを勘違いしたまま長い年月を過ごしてしまうというのはよくあることだ。私も今年になって、ユーミンこと松任谷由実の名曲について、30年以上勘違いしていた「あること」に気がついた。
<その曲の名は、『恋人がサンタクロース』である。>
「A{は/が}B」という形で、かつAおよびBが「名詞(句)」であるような文は、言語学においては「コピュラ文」と呼ばれるが、
「AはB」と言った場合は、「AとBは同一のものだ」という解釈とは別に、「BがAという役割をになっている」という解釈が成り立つのに対し、
「AがB」と言った場合は、「AとBは同一のものだ」という解釈は同じだが、「AがBという役割をになっている」と解釈が逆になることに注意せねばならない。
つまり、ユーミンが『恋人{は}サンタクロース』ではなく、『恋人{が}サンタクロース』というフレーズを選択することにしたのは、
「白髭のサンタクロース本人が恋人として登場する」のではなく、「ある特定の恋人がクリスマスの夜にサンタクロースとしてやってくる」ことを想定したからだ。
などなど、コミュニケーションにまつわる矛盾や誤解、副題にもある「意味」と「意図」のズレの問題などを、軽快な語り口とともに、教えてくれるのである。
ところで、<バーリ・トゥード>って、何?
<「バーリ・トゥード」とはポルトガル語で「何でもあり」の意味で、ルールや反則を最小限にした格闘技>
という言葉の説明をせずにタイトルに用いたことに対するウダウダとした釈明を読むだけでも、この著者の「一筋縄ではいかなさ」が明白なのだが、
要するに、それが耳慣れないと感じる人の方が多いということを忘れてしまうほど、「私は根っからの格闘技ファンです」と言いたいらしいのである。
もしプロレス好きの人が酒に酔って「時は来た!」と言っているのであれば、単に橋本真也のモノマネをしている可能性が高い。その場合は・・・すかさず「橋本の隣で笑いをこらえる蝶野」のモノマネをして返すのが最高の作法というものだ。
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