(Dグロスマン ちくま学芸文庫)

第二次大戦中の戦闘では、アメリカのライフル銃兵はわずか15から20%しか敵に向かって発砲していない。・・・日本軍の捨て身の集団突撃にくりかえし直面したときでさえ、かれらはやはり発砲しなかった。

<問題は、なぜかということだ。なぜ兵士は発砲しなかったのか?>

というこの本は、元米国陸軍将校で退役後は大学で軍事学教授として教鞭を執った経歴を持つ著者が、兵士で科学者で歴史学者である<三角関係>を生かして、

戦闘における殺人というタブー扱いのテーマを5年計画で掘り下げ明らかにしてみせた、これは戦慄の研究成果のお披露目なのである。

発砲しない兵士たちは、怯えて逃げ隠れしたわけでなく、多くの場合、戦友を救出したり、武器弾薬を運んだり、伝令を務めたり、むしろ危険の大きい仕事をしていた。

<ただ、敵に向かって発砲しようとしないだけなのだ。>

1個中隊の兵士が同数ほどの敵に対して、15歩と離れていない所から何度も一斉射撃を繰り返したにもかかわらず、ただの一人も死傷者が出なかったこともある。

殺傷能力と実績とがそのまま結びつかないのは、標的と違い生きて呼吸している敵に相対すると、兵士の圧倒的多数が敵の頭上めがけて発砲してしまうからだった。

<ほとんどの人間の内部には、同類たる人間を殺すことに強烈な抵抗感が存在する。>

あまりに当然の話だと思うかもしれない。「私はどんなことがあっても人を殺すことはできない」と。だが、それは間違っていると、この歴戦の強者は断言する。

次に示すように、適切な条件付けを行い、適切な環境を整えれば、ほとんど例外なく誰でも人が殺せるようになるし、また「実際に殺すものだ」というのである。

<権威者の要求>――兵士が発砲する最大の理由は、敬意を払う権威者から「撃てと命令されるから」だった。

<集団免責>――戦友に対する強力な責任感のため「一人では殺せないが、集団なら殺せる」のである。

<心理的距離>――文化的、倫理的、社会的、機械的距離の存在が「俺にとってやつらは畜生以下だった」と信じさせるのだ。

第二次大戦以後、心理学は科学技術の進歩に劣らぬ絶大な影響を戦場にもたらし、現代戦は新たな時代の幕を開けることになる。

<脱感作>――敵は自分とは異質な人間だ
<条件付け>――標的はできるだけ人間らしく
<否認防衛機制>――実際の殺人をある程度否認する

「心理戦の時代」の到来。それは敵に対してではなく、自国の軍隊に対する心理戦であり、その結果、ベトナム戦争における兵士の発砲率は95%に急騰した。

<訓練によって、平均的兵士の殺傷能力は高まったかもしれない。だが、そのためになにが犠牲になったのだろうか。>

ベトナム帰還兵に見る恐るべき自殺の頻発、痛ましいほどのホームレス化、薬物の乱用率など、これらの統計がはっきり物語っているのは、信じられないほど異質な現象が起きているということだ。第二次大戦をはじめとして、わが国が経験してきたどんな戦争のあとにも、このような現象はかつて起きたためしがなかった。

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