(Vウルフ 岩波文庫)

「そう、もちろんよ、もし明日が晴れだったならばね」とラムジー夫人は言って、つけ足した。「でも、ヒバリさんと同じくらいに早起きしなきゃだめよ」

と、夫人が6歳の末息子ジェイムズを喜ばせようとしたのは、孤島の別荘から沖に見える灯台への初めてのピクニックが、雨で中止になることを慮ってのことだった。

ナンシーはお昼のサンドイッチを頼んでおくのを忘れる始末で、ラムジー氏はひどく腹を立て、ドアをバタンと閉めて出て行ってしまった。

「行きたくないのかね?」

と、ラムジー氏が怒鳴り声を響かせてしまったのは、肝心のジェイムズがぐずぐずし続けていたからだ。しかし、楽しみにしていたはずなのになぜ?・・・かといえば、

この両日の間には、10年の年月が流れ去っており、ラムジー夫人も亡くなってしまっていたからだ。16歳のジェイムズはしぶしぶ「行きたいです」と答えたのだ。

というわけで、<両大戦間の混迷の時代に新しい文学の可能性を求めた実験的な作家(訳者あとがき)>ウルフの代表作とも賞されるこの小説は、

スコットランドの孤島の別荘に暮らす気難しい哲学者ラムジー氏と、8人の子供を持ちながら類まれなる美貌を誇る妻が、「灯台へ」行こうとする第1部の一日と、

子どもたちが巣立ち、ひとりは戦死し、夫人も亡くなって、空き家となってしまった別荘の荒れ果てていく様子が描かれる、ごく短い第2部の十年間を挟んで、

十年後再び別荘に戻ってきた家族が、今度こそ本当に「灯台へ」行く約束を果たすことになる、という第3部の一日の、わずか2日だけの物語なのである。

「そんな話のどこがおもしろいのか?」と思ったかもしれない。確かに大した事件が起きるわけでもないのだが、たとえばラムジー夫人の心模様が描かれる場面では、

明日灯台へなど行けるわけがないじゃないか、とラムジー氏は癇癪を起して、吐き捨てるように言う。そうかしら、と夫人は答える。風向きなんて、よく変わるものですよ。

という表向きのシーンに続けるように、

妻の言葉の途方もない不合理さ、女たちの考えの愚かしさが、彼を苛立たせた。わしは死の谷を駆け抜けた挙げ句、打ち砕かれもし、震えあがる体験もしてきた。そこへ今度は妻が公然たる事実に逆らって、子どもたちに問題外のこと、いや嘘としか言えぬことを信じさせようとしている。

とその裏側に潜んでいる「意識の流れ」が描かれるのだが、これは誰の意識なのか?ラムジー氏か、それともラムジー夫人が推し量ったものなのか?

「明日、灯台へなど行けるわけがないじゃないか」
「そうかしら。風向きなんて、よく変わるものですよ」
「何てことだ!」

(だが待てよ、そもそも妻は何と言ったというのか?明日は晴れるかも、と言っただけじゃないか。そしてそうなるかもしれないのだ。)

ことほどさような次第で、ありきたりのように見える日常の中で、様々な登場人物の心の中に起こっている無数の出来事を、一つ残らず書き尽くそうとするのだ。

ラムジー夫人という主人公を失った第3部では、夫人に思いを寄せる女性画家リリー(ウルフ自身を仮託)が、ラムジー一家の「灯台訪問」を見届けることになる。

その時突然激しい思いにかられ、一瞬はっきりそれを見届けたかのように、キャンバスのちょうど真ん中に、リリーは一本の線を描いた。できた、とうとう終わったわ。極度の疲れの中で絵筆をおきながら、彼女は思った、そう、わたしは自分の見方をつかんだわ。

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