(松岡正剛 米山拓矢編 工作舎)

そもそも日本の歌は時や所を超えて継承されていくものだ。心情や技法が継承されるのは当然だが、歌はもともと「うたた」するというものなのだ。「うたた」というのは「転」という漢字をあてる。うたた寝の「うたた」だ。

<歌は転々と「うたた」をしていくものなのである。>
(『万葉集の詩性』角川新書・2019)

と、博覧強記の編集工学者・松岡正剛が1979年から2019年にかけて著した、人知を超えるほど多種多彩なテーマに渉る著作群の中から、

「詩歌」について書かれた文章の、それも「日本のもの」のみを抜き出して「再編集」した、これは珠玉のリミックス本なのである。

こんな本を企画した、松岡が主宰するイシス編集学校の師範代・米山拓矢が、あとがき―「うまし言の葉」を編集工学で味わう―で述べるところによれば、

松岡さんの膨大な量の歌語りを精選して詞華集(アンソロジー)に編み直してみたら、これまでにないような通史的かつ編集工学的な歌論が浮かび上がってくるのではないだろうか。(編者あとがき)

「日本という方法」を語るために紹介してきた歌たちを、主客をひっくりかえして歌を主役にしてみたら、新しい「松岡日本論」が生まれるに違いないというわけだ。

つまりこの本は、「ぼくが書いたテキストがすべてもとになっているとはいえ、仕上がったものはまったく見違えるほどにおもしろく・・・」と松岡も驚いたように、

何百枚もの楽譜をおこして、美しい律動や平仄を揃えてみせた、編集者・米山(剛腕で最後の編曲をまとめ発刊にこぎつけた工作舎・米澤敬と)の手柄なのである。

本歌どりとは本歌に肖った歌なのだ。「あやかり」という編集技法なのだ。「あやかる」は「肖る」で、そのプロフィールやフィギュアをずらしながらもってくることをいう。このこと、「すがた」(姿形)をうつす、とも言った。姿は「す・かた」(素・型)のことである。

<もっと正確なことをいえば、たんに引用しているのではなく、引用したものに自分の好みを重ねたのだ。そして、本歌と自分の好みを競わせたのだ。>(『千夜千冊』ウェブサイト)

という意味で言えば、この本は松岡の十八番(おはこ)は実は「歌」だと確信する愛弟子が、師匠直伝の編集技法を駆使して「肖った」本歌どりの力作なのである。

「うたの苗床」とも言うべき音と声と霊の論証から始まって、古代・記紀万葉から平安・古今、中世・西行、近世・良寛まで。

良寛にとっての無常は外観に吹き荒れる動向です。その動向はもちろん自分にもさしかかっているのですが、それはどちらかといえば一般的な人生の姿にすぎません。ただ良寛は「無常まことに迅速、刹那刹那に移る」ということを告示したかった。

<良寛は書くことで、書くことを捨てている人です。>
『外は、良寛。』芸術新聞社・1993)

さらに、物語では源氏から浄瑠璃まで、歌謡では今様から念仏、端唄まで、「ひふみよいむな」の七章で展開される、日本の「うた」の絵巻模様の世界。

「たらちねの」で「母」という情報の束を、「ひさかたの」で「光」に関する情報が出てくる、枕詞のパスワードとしてのプロトコル能力の素晴らしさ。

約500種以上ある歌枕も、そこに行かずしてそこにまつわるイメージを喚起し、湧き出る感情まで表象できてしまう「和歌という方法」の論述。

ぼくは日本の和歌や物語は文芸というより、日本文化の大切なものを保持しておく情報編集装置だったと思っているし、文様や模様や色どりはそれを明示するための必要不可欠な表象だったと思っている。
『日本問答』岩波新書・2017)

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