(Rカーヴァー 中央公論新社)

彼女の仕事の最後の日、盲人は彼女に向かって、君の顔をさわらせてはくれないだろうか、とたずねた。どうぞ、と彼女は言った。盲人は彼女の顔じゅうに指を走らせた。鼻とか、それから首までもだ!

前の夫との結婚前に、新聞の求人広告で見つけた盲人のための代読作業をしていた妻は、その出来事をいつまでも覚えていて、それについての詩まで書いていた。

彼女と盲人とはそのあとも十年に及ぶ交流を続け、孤独な結婚生活、自殺未遂、離婚、そして私と付き合い始めたことも、テープに吹き込んでやり取りしてきたのだ。

<ところが今回、そのわけのわからない盲人が私の家に泊まりに来るというわけだ。>

という表題作『大聖堂』を締めとして、カーヴァーの作品の中では「最も粒の揃った」(訳者・村上春樹評)十二編の名篇を収録した短篇集である。

夕食に招待された同僚夫婦の家には、奇妙な孔雀と不細工な赤ん坊がいた。しかし、彼らなりに幸せな家族のありように感化され、自分たちもと決意するのだったが、

その後、待望の子供が生まれるが、私にとってそれは裏目に出てしまう。何が原因だったのかはわからないが、あの夜のことを思い出すのだ。
(『羽根』)

誕生日の朝、登校中に交通事故にあい意識不明となってしまった子供に、付き添っている両親が交替で自宅に着替えに帰ると何度もかかってくる不審な電話。

それは注文したケーキを「取りに来い」というパン屋からの催促だった。お互いの誤解が解けた時差し出されたのは、焼き上がったばかりのシナモン・ロールだった。
(『ささやかだけれど、役にたつこと』)

アルコール中毒療養所で出会ったJPは、煙突掃除の娘と結婚し、煙突掃除人となって幸福な人生を送っていたのだが、突然強い酒に溺れるようになってしまった。

そんなJPの元へ面会に訪れた妻との温かな触れ合いがあって、ぼくは躊躇っていたガールフレンドへの電話をしようと思うのだ。「やあ、僕だよ」
(『ぼくが電話をかけている場所』)

など、誰もが「うまくいかない人生」を抱えながら、懸命にもがいているようなお話しばかりなのだが、それを見つめる作者の優しい視線が心をほっこりさせてくれる。

「もしあなたに友だちがいて、その人がうちに来るとしたら、それがどんな人だろうが私は温かく迎えるわよ」
「僕には目の見えない友だちなんかいないぜ」
「どんな友だちもいないくせに」

と友だちの来訪に妻が舞い上がり気味なのが、なんとなく面白くないのは、二人の仲を疑っていることもあるが、目が見えないということが実感できないからだった。

しかし、一緒に酒を飲み、マリファナを吸っているうちに次第に打ち解け、たまたまテレビに映し出された「大聖堂」の画面の説明をすることになって事態は動く。

「うまく説明できないや」という私に、「紙とペンを持ってきて、二人で一緒にその絵を描いてみよう」と盲人は言ったのだ。「さあ、目を閉じて」

私の指の上には彼の指がのっていた。私の手はざらざらとした紙の上を動きまわった。それは生まれてこのかた味わったことのない気持ちだった。・・・「たしかにこれはすごいや」と私は言った。
(『大聖堂』)


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