(Mプイグ 集英社文庫)

「彼女は脚を組んでるの。靴は黒よ。ヒールの高くて太い。靴の先のところが開いていて、黒いペディキュアを塗った爪がのぞいてたわ。光沢のあるシルクのストッキングが肌にぴったりくっついてるものだから、肌がピンクなのかストッキングの方がピンクなのか区別できないのよね」
「すまないが、頼んだことを忘れないでくれ。刺激的な話はやめてほしいんだ。ここでやられたんじゃかなわない」


不眠に悩み寝物語を頼んでおきながら、その濃密な内容にいささか閉口しているようなのはバレンティン、彼は26歳のテロリストだった。

超B級映画『黒豹女』の筋書きを、思い入れたっぷりに語って聞かせているのはモリーナ、彼女は実は37歳のホモセクシャル、つまり中年男なのである。

この物語が、全編ほぼこの2人による会話のみで進められていくことになるのは、

マルクス主義革命を標榜する政治犯バレンティンと、未成年の子供への猥褻罪で懲役刑を受けたモリーナとが、同じ房に収監されることになったから。

そんなわけで、このお話はブエノスアイレスの刑務所が舞台となっているのであれば、

ごくノーマルな異性愛者であるバレンティンが、「ここでやられたんじゃかなわない」と悲鳴を上げるのも、無理のない話なのではあった。

男にキスをされると黒豹に変身してしまう自らの血筋にまつわる伝説におびえる『黒豹女』。

パリの有名な歌姫がナチスの青年将校を愛したがために命を落とす『大いなる愛』。

顔に恐ろしい傷を負ってしまった美貌の青年ととても醜い顔をしたメイドとの結婚を描いた『愛の奇跡』。

許婚者が抱える秘密も知らずカリブ海の島に嫁いだ娘を襲う恐怖の体験『甦るゾンビ女』。

それぞれの映画に自分なりの思い入れを込めて、ヒロインになりきって語り続けるモリーナに対し、

政治的な立場からどうしても合理的に解釈してしまい、余計な茶々を入れて興趣を削いでしまうバレンティン。

初めのうちはすれ違うことの多かった2人の会話も、密室での共通の時間を過ごすうちに、いつしかお互いへの理解も深まっていき・・・

「知りたいことがあるんだけど・・・あたしにキスするの、すごくいやなことだったの?」
「う〜ん・・・。きっと、あんたが黒豹にならないかと心配だったからだ、最初に話してくれた映画に出てくるみたいな」
「あたしは黒豹女じゃないわ」
「確かに、あんたは黒豹女じゃない」
「黒豹女だったらすごく哀れね、誰にもキスしてもらえないんだもの。全然」
「あんたは蜘蛛女さ、男を糸で絡め取る」


結局、保釈を餌にバレンティンから情報を聞き出すことを託されたモリーナは、その約束を果たすことなく当局の期待を裏切り、

囮として釈放されたことも知らず、バレンティンからの伝言を伝えようとして、逆に秘密の漏洩を恐れた彼の仲間たちに殺害されてしまうことになるのだが、

それは恐らく、愛する男のために命を捧げるという、モリーナが最も望んでいたヒロインとしての最期だったというべきなのだろう。

<聞きたくないわ、あなたの仲間の名前だけは>、マルタ、ああ、どんなに君を愛していることか!これだけが君に言えなかったんだ、おれはそれを君に訊かれないかと心配だった、そうしたら君を永久に失うんじゃないかと、<だいじょうぶよ、バレンティン、そんなことにはならないわ、だって、この夢は短いけれど、ハッピーエンドの夢なんですもの>

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