(氏家幹人 講談社現代新書)

かゝる女に命棄つる者もあるかと思へば、今までわが婆の「饅頭の干物」、「鮪の剥身」などと言ひしは、いとも畏く、あら有難や勿体なやと、天にも地にもあらず嬶を尊く思へば、かく敬うなり。

と、日頃「悪口」を言ってからかっていた美人妻に、突然恭しく土下座して驚かせてしまったのは、幕末の名勘定奉行としてその名も高い川路聖謨である。

奈良奉行時代に不倫相手殺害の罪で白洲に引き出された女性が、さぞかし若くて美人に違いないという期待に反して、すでに四十過ぎの珍しいほどの「醜女」だった。

「これにて人一人死せしや」としばし感慨に耽り、我が身が美人妻に恵まれていることがこの上もなく尊く感じられて、思わず頭を下げてしまったというのである。

ところで、ここで「みな飯をふきたり」と聖謨の日記『寧府紀事』にはあるので、潤いを失った女性器を揶揄する言葉は一家団欒の食事時に吐かれたことになる。

というわけでこの本は、前にもご紹介した『江戸奇人伝』―旗本・川路家の人びと―の猥談部分にスポットを当て(実はこちらの方が先著なのだが)、

江戸から明治時代における日本人のおおらかな「性」に対する認識を、「日記」という等身大の現実の世界から照らし出して見せた力作なのである。

あな惜し。御運あらば天子・将軍の「角のふくれ(男根)」にもあき給ふべきに、老尼の「未通女(ヲトメ)」にて終せ給ひし御事よ。此強飯よく回向していただき候へといふに、みなみな笑ふ。

浄観院(12代将軍家慶の室)の姉君、円照寺の宮の一周忌の強飯が届けられた時の話である。天皇か将軍の妻になっていれば、性の喜びも享受できたのに、

「ああ、もったいない」と、幕臣として異例なほど天皇家を尊重する気持ちの強い人だった聖謨も、こと「性」の話(下ネタ)となると豹変するのだ。

元々は中国で皇太子の性教育のテキストとして作成されたものが、より豊かな性生活を享受したり、オナニーの友として活用されるようになった「春画」の話。

太平の気分が蔓延する中、闘争と流血の日常的な緊張感から解放された男たちの間で、“あぶない恋”として敬遠され始めた武士型「男色」の変容の話。

なぜ江戸時代の人々は、情死という破滅的な結末にかくも多大な関心を注ぎ、しばしばこれを美化し、腐乱していく死体の見物に列をなしたのかという「心中」の話。

そして、明治に入り・・・

Madam(柱:細君と同じ)の陰毛を撫でておると、到頭慾を発し、後ろから犯す。精液がどろどろ、快甚だし。(9月3日)

と、夫人との“愛の語らい”を毎回欠かさず日記に記録していたというのは、小説『不如帰』や数々の名随筆で知られる明治の文豪・徳富蘆花だが、

それはさておき、「養生」(健康維持)のために性交の記録を残した人々のお話。はたして、セックスの回数は何歳でどのくらいが妥当だったのか、などなど。

<江戸時代とはどういう時代であったのか?>

少なくとも性愛の領域において、その等身大の姿はほとんど明らかにされていない、というのがこの著者の主張なのである。

意外な発見?いいえ、私たちは当時の様々な記録により細やかな眼差しを注ぐことによって、同様の(あるいはさらに豊かな)事例に数多く遭遇できるのではないでしょうか。

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