(川越宗一 文春文庫)

「お前、学校で勉強ができたら褒められるだろう。なぜだかわかるか。それはお前が、大人ほど勉強ができないと思われているからだ。大人の望むことをしたからだ」「だめなのかい?」

「俺たちアイヌは子供じゃないし、和人どもの望むようになってやる義理もない」

北海道アイヌが勧業博覧会に出品した村の産品で表彰されたことを喜ぶ孤児のヤヨマネクフに、育ての親である若き頭領チコビローの答えはなぜか苦みに満ちていた。

「文明ってのに和人は追い立てられている。その和人に、おれたち樺太のアイヌは追い立てられ、北海道のアイヌはなお苦労している」

日露双方の取り決めでロシアのものとなったため、生まれ故郷の樺太から北海道へと移住させられたアイヌたちは、石狩川沿いの原野を開拓し、対雁村が誕生した。

ヤヨマネクフら子どもたちは、そこにできたばかりの教育所で、和人の言葉での読書、手習い、算盤、地理、そして農業の実習を学ぶことになったのだが、

「諸君らは、立派な日本人にならねばなりません。そのためにはまずは野蛮なやりかたを捨て、開けた文明的な暮らしを覚えましょう」

と、学校ではことあるごとにそう説かれるものの、“文明”とは何なのか、そもそも“ニッポンジン”というのがどういうものか、まるで想像がつかないのだった。

「俺たちはロシアの役人の言うことは聞かないといけないらしいが、難しくて言っていることがわからない。同じ苦労を子供にかけさせたくない。だからあんたは、俺の子にロシア語を教えろ」

「あなたたちに興味がある。あなたたちのことを教えてほしい」

流刑地サハリンで出会った原住民たちの、凍てつく島で生きる姿から、再び生への情熱を取り戻したピウスツキの問いかけに、そのギリヤークは交換条件を出してきた。

ロシア皇帝暗殺の企てに巻き込まれ流罪となった、ロシアの学生ピウスツキもまた、帝政ロシアとの併合により母国語を奪われたポーランドのリトアニア人だった。

自らの名を“ピルスドスキー”とロシア語風に呼ばれるたびに、母語を守る国を失った民であることを嘲笑れているようで、ピウスツキは灼けるような反感を覚えた。

やがて懲役囚身分のまま、サハリン民俗学研究の成果を上げたピウスツキは、地理学協会に招聘され講演を行うことになるのだが、講演を締めくくるにあたり、

優れた人種が劣った人種を憐れみ教化善導するという、ヒューマニズムを装った支配の名分が支配する、その場の雰囲気に愕然としながら、語気を強めることになる。

「我々には、彼らの知性を論ずる前にできることがあります。豊かな者は与え、知る者は教える。少なくとも、私は支えられました。流刑の絶望から這い上がり、いまここでみなさんの前に立てている。生きるための熱を分けてもらった」

帝国に<故郷>を奪われ、無理やり組み入れられることに抗った二人が守ろうとしたものは、<言葉>と<名前>という民族の誇りだったのだろうか。

そんな二人の数奇な運命の軌跡が、樺太/サハリンという極寒の地で交わるとき、そこに生み出される「人間」の物語は、計り知れない「熱」を帯びてくる。

「弱ければ食われ、滅びる。だから我が国は強さを目指した。そして強くなった。きみらはどうする。強くなるか?日本を食うか?」という大隈重信の問いかけに、

「人の世界の摂理なら、人が変えられる」と答えたピウスツキに対し、「俺たちはどんな世界でも生きていく。」アイヌは人という意味だからと言ったヤヨマネクフ。

この第162回「直木賞」受賞作品は、「ちょっと史実が多すぎて疲れるくらい」(解説:中島京子)という、史実に基づくフィクションの逸品なのである。

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