(梯久美子 角川書店)

さまざまな名で呼ばれ、何度も国境線が変わり、いまも帰属の定まらない島。同じ土の上に流された異なる民族の血が歴史の地層をなす場所。それでも、まばゆく光る雲の下、境界をこえて、汽車は走る。

<サハリンで鉄道に乗りたい。できれば廃線跡もたどりたい。そんなシンプルな動機で始まった旅だった。>

というこの本は、橋梁派の廃線ファンだと自称する「乗り鉄」の著者による、かつては大日本帝国最北端であった地の記憶を巡る鉄道紀行というスタイルなのだが、

あの名著『狂うひと』など、綿密な資料の読み込みによる事実確認を怠らないノンフィクション作家なのであれば、話は紀行だけでは収まらないのである。

(ちなみに、前回ご紹介の『熱源』と中味がかぶる部分が結構あるのだが、これは偶然のなせる技で、たまたま同時期に読んだにすぎない。セレンディピティ?)

途中駅の白浦(現在のヴズモーリエ)駅に停車中、芙美子はホームで「パンにぐうぬう。パンにぐうぬう」と呼び売りをしているロシア人を見る。

「このパン屋は、なかなか金持ちだそうです。美味しいパンだと聞いておりましたが、あまり美味しいパンだとは思いませんでした。」(林芙美子『樺太への旅』)

第1部は、冬の樺太を寝台特急に乗って縦断し最北駅ノグリキへと向かう、4泊中2泊が車中泊という「この列車に乗るのが第一目的」の旅である。

今回の水先案内は林芙美子だが、それより9年も前に樺太を旅した北原白秋が同じパン屋の住まいを訪れている。当時は、各界名士による国境見学が流行りだったのだ。

1934年には車でしか行けなかった旧国境を結局見ずに戻った芙美子とは違い、早朝の闇の中を列車で通過した著者は、無事最果ての終着駅のノグリキに辿り着く。

その後は、お目当ての廃線跡探索。ロシアの手でサハリン最北端のオハまで延長されたオハ鉄道の廃線跡と、スターリンが架け替えたトラス橋などを見て帰国した。

鉄道に揺られてたどり着いた海岸で、サガレン(賢治はこの地をそう呼んだ)という土地の何かが、憔悴しきった心に、新鮮な風を吹かせたのではないか。

「まっ赤な朝のはまなすの花です/ああこれらのするどい花のにほひは/もうどうしても 妖精のしわざだ/それにあんまり雲がひかるので/たのしく激しいめまぐるしさ」(宮沢賢治『オホーツク挽歌』)

第2部は、1923年に樺太を旅した宮沢賢治を水先案内に、その行程をたどる夏の旅。『銀河鉄道の夜』のモチーフとなったといわれるこの旅はまた、

前年に亡くなった最愛の妹トシの魂を追いかける旅でもあった、というのが定説らしいのだが、樺太に縁もゆかりもない妹の魂がなぜ北へ向かわねばならないのか。

賢治の詩だけを頼りに、彼の足跡を追いかける謎解きの旅が続けられる。(サハリン鉄道が工事中で全島運休のため、車で移動するというハプニングはさておき。)

「僕もうあんな大きな闇の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」(『銀河鉄道の夜』のジョバンニの言葉)

<賢治は自分の魂の一部をこの島に残していて、深く問いかければきっと答えてくれると思うようになった>というのが、この旅を終えた著者の発見なのである。

かれらの声に十分に耳を傾けたとはいえない。列車の揺れは心地よく、目にうつるものはみな面白く、空も海も雪も、工場の廃墟でさえ、信じられないほど美しかった。旅そのものが与えてくれる幸福が大きすぎたのだ。

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