(九段理江 文藝春秋)

まだ起こっていない未来を、実際に見ているかのように幻視する。何も知らない人たちは、これを才能だとか超能力だとかアーティスティックなインスピレーションだとか言おうとするけれど、もちろんただの職業病の一種に過ぎない。

<私には未来が見える。>

と豪語する、37歳にして世界的な独身女性建築家・牧名沙羅は、新宿御苑に建設予定の「新形態刑事施設」という「塔」の設計コンペへの参加を要請される。

建設予定地の目の前には、ザハ・ハディドが東京五輪のために遺した流線型の巨大な創造物である「国立競技場」が女神のような美しい姿で屹立していた。

「シンパシータワートーキョー」と名づけられたその施設は、憐れむべき罪人たちを上っ面の言葉のみならず、より具体的かつ積極的な形で同情し支援するために、

タワーマンション並みの豪華な設備を具えた、要するに「世界一幸せな日本の刑務所」=<ホモ・ミゼラビリスのユートピア>だった。

本年度『芥川賞』受賞作品。

「私はあくまで、実際に手で触れられ、出入り可能な、現実の女でありたいということです。みずから築いたものの中に、他人が出たり入ったりする感覚が、最高に気持ちよいのです」

と、ドローイングと建築の違いについて聞かれるたびに、際どいメタファーで答えてきた沙羅は、外来語由来の言葉への言い換えが横行する風潮に違和感を覚え、

コンペ参加に向けてその名前に拘り続けていたが、15歳年下の新しい友人、建築としてのヒトのフォルム・テクスチャーが完璧なショップスタッフ・東上拓人が、

「東京都同情塔」(トーキョートドージョートー)

とその場で不意に思いつき言い直してみせたことに感動し、コンペへの参加を決めるのだった。参加しさえすればコンペを勝ち抜くのは、彼女にとっては必然だった。

建築家の女の人は口の中でぶつぶつ言いながらスケッチブックをめくり、一番最後のページに字を書き散らしていく。

そのページに既に書き込まれている猫のひっかき傷みたいなでたらめな線が、実は全部ちゃんと意味を持ったカタカナの単語であることに気付いた拓人は胸を痛め、

不憫なカタカナの増殖を食い止めようとするかのように沙羅の背中を抱きしめ、その手から鉛筆を引き離す。その肌には手作りの巣のような温もりがあった。

彼女が住んでいるのは言葉で出来た家なんかじゃなく、牢獄なんだ。窓もついていない、換気もできないような不衛生な刑務所。看守が常に彼女の話す言葉を見張っている、監獄。

訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質で、スマートでポライトな体裁を取繕うばかりのAIを嫌っている沙羅ではあったが、

知らない間に自身の頭の中にも、オートモードでワードチョイスの検閲者が成長を遂げており、何かを言おうとしてもうまく言葉が出てこないことに疲れを覚える。

そんな彼女の積み上げる言葉が何かに似ているような気がして記憶を辿った拓人は、それがAIの構築する文章であることに思い当たるのだった。

牧名(Machina)による<バベルの塔の再現>。それは・・・

やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。大独り言時代の到来。

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