(村木嵐 幻冬舎)
「越前殿は長福丸様の御姿を拝したことがおありであろう。歩くには足を引き摺っておられ、乳母を務めた妾でさえ、お言葉がよう聞き取れませぬ」
生まれつき身体に麻痺があり、片手片足はほとんど動かせず、口もきけなかった14歳の長福丸は、将軍継嗣に相応しい扱いを全く受けてこなかったのだが、
江戸町奉行・大岡越前守忠相が江戸城中奥で、かつては長福丸(後の九代将軍家重)の乳母だった上臈御年寄・滝の井から聞かされたのは、思いもよらぬ話だった。
「長福丸様の御言葉を聞き取る少年が現れたのです」
その少年の名は16歳の大岡兵庫。忠相の遠縁にあたるといい、小姓に取り立てるので「決して出過ぎた真似をせぬよう」言い聞かせてほしいというのである。
五代綱吉が創った側用人制度の歪みを正すため、八代吉宗が英断した幕政改革。口のきけぬ将軍に、一人だけ言葉の分かる小姓が侍れば、側用人制の復活も危惧された。
忠相はすぐに兵庫(後の大岡忠光)を呼びつけ、その人となりを見定めると、長福丸のただ一人の通詞として生きていくための覚悟を授け、送り出した。
「そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ・・・長福丸様は、目も耳もお持ちである。そなたはただ、長福丸様の御口代わりだけを務めねばならぬ」
やがて小姓として城に上がった兵庫は、慎み深くて知恵も回ると評判をとるほどの働きぶりを見せるのだが、蔭で聞こえよがしにつぶやく、ある幕閣の言葉を耳にする。
「汚いまいまいつぶろもおったものよ」と。
頻尿のうえ尿を堪えることができない長福丸は、長々と座敷に座らされ皆の前を歩いて戻る時など、かたつむりが這ったように、跡が残っていることがあったのだ。
それでも兵庫が忠相の助言を守り、長福丸にご注進に及ぼうとしなかったのは、そんな間者のような真似をすれば、自分の方が小姓の座を追われることになるからだ。
もちろんそれは自らの保身や、出世を考えてのものではない。そうなれば、長福丸は再び不自由な暮らしを強いられる。それだけはさせたくないという思いからだった。
というこの本は、古くはNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』で中村梅雀が、最近ではNHKドラマ10『大奥』で三浦透子が熱演した(とはいえ脇役だったのだが)、
「小便公方」家重を主役に、言葉が伝わらぬゆえ幕閣からは無能と侮られながら、実は非常に聡明であった家重と、それを支えた人々の格闘を描いた感動の物語である。
家重の身体のことも知らされず嫁いできて、初めのうちは嘆くことも多かったが、やがて人の痛みを感じることのできる本当の優しさに触れ、家重を愛した比宮増子。
忠光の存在により家重の本来の英邁さを知り、誰よりも名君になれると勇気づけ、臨終の床で「本気で将軍を目指してもよいか」とまで言わしめた老中・酒井忠音。
取り巻く人々の温かさが心に染みる名シーンの存在が、長福丸が将軍家重へと成長していくために歩んでいく道の険しさを、折に触れて解きほぐしていくのだが、
圧巻は何と言っても忠光の存在である。自らの身を省みることもなく、家族までも犠牲にして、あくまで「口」として家重に寄り添い続けた忠光にとって、
自らが病を得、もはや「口」の務めを果たせないと悟った時、将軍職を辞して忠光に語りかけた家重の言葉こそ、最後にして最大のご褒美であったに違いない。
「まいまいつぶろじゃと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのおかげで、私はそなたと会うことができた。・・・もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光と会えるのならば」
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
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「越前殿は長福丸様の御姿を拝したことがおありであろう。歩くには足を引き摺っておられ、乳母を務めた妾でさえ、お言葉がよう聞き取れませぬ」
生まれつき身体に麻痺があり、片手片足はほとんど動かせず、口もきけなかった14歳の長福丸は、将軍継嗣に相応しい扱いを全く受けてこなかったのだが、
江戸町奉行・大岡越前守忠相が江戸城中奥で、かつては長福丸(後の九代将軍家重)の乳母だった上臈御年寄・滝の井から聞かされたのは、思いもよらぬ話だった。
「長福丸様の御言葉を聞き取る少年が現れたのです」
その少年の名は16歳の大岡兵庫。忠相の遠縁にあたるといい、小姓に取り立てるので「決して出過ぎた真似をせぬよう」言い聞かせてほしいというのである。
五代綱吉が創った側用人制度の歪みを正すため、八代吉宗が英断した幕政改革。口のきけぬ将軍に、一人だけ言葉の分かる小姓が侍れば、側用人制の復活も危惧された。
忠相はすぐに兵庫(後の大岡忠光)を呼びつけ、その人となりを見定めると、長福丸のただ一人の通詞として生きていくための覚悟を授け、送り出した。
「そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ・・・長福丸様は、目も耳もお持ちである。そなたはただ、長福丸様の御口代わりだけを務めねばならぬ」
やがて小姓として城に上がった兵庫は、慎み深くて知恵も回ると評判をとるほどの働きぶりを見せるのだが、蔭で聞こえよがしにつぶやく、ある幕閣の言葉を耳にする。
「汚いまいまいつぶろもおったものよ」と。
頻尿のうえ尿を堪えることができない長福丸は、長々と座敷に座らされ皆の前を歩いて戻る時など、かたつむりが這ったように、跡が残っていることがあったのだ。
それでも兵庫が忠相の助言を守り、長福丸にご注進に及ぼうとしなかったのは、そんな間者のような真似をすれば、自分の方が小姓の座を追われることになるからだ。
もちろんそれは自らの保身や、出世を考えてのものではない。そうなれば、長福丸は再び不自由な暮らしを強いられる。それだけはさせたくないという思いからだった。
というこの本は、古くはNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』で中村梅雀が、最近ではNHKドラマ10『大奥』で三浦透子が熱演した(とはいえ脇役だったのだが)、
「小便公方」家重を主役に、言葉が伝わらぬゆえ幕閣からは無能と侮られながら、実は非常に聡明であった家重と、それを支えた人々の格闘を描いた感動の物語である。
家重の身体のことも知らされず嫁いできて、初めのうちは嘆くことも多かったが、やがて人の痛みを感じることのできる本当の優しさに触れ、家重を愛した比宮増子。
忠光の存在により家重の本来の英邁さを知り、誰よりも名君になれると勇気づけ、臨終の床で「本気で将軍を目指してもよいか」とまで言わしめた老中・酒井忠音。
取り巻く人々の温かさが心に染みる名シーンの存在が、長福丸が将軍家重へと成長していくために歩んでいく道の険しさを、折に触れて解きほぐしていくのだが、
圧巻は何と言っても忠光の存在である。自らの身を省みることもなく、家族までも犠牲にして、あくまで「口」として家重に寄り添い続けた忠光にとって、
自らが病を得、もはや「口」の務めを果たせないと悟った時、将軍職を辞して忠光に語りかけた家重の言葉こそ、最後にして最大のご褒美であったに違いない。
「まいまいつぶろじゃと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのおかげで、私はそなたと会うことができた。・・・もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光と会えるのならば」
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