(塩野七生 新潮文庫)
イタリアを統一して、そこに自らの王国を創立しようとした彼の野望は、今日にいたるまでの500年間、歴史が彼を、ルネサンス時代の「メフィストフェレス」として弾劾してきた理由となった。
<しかし、メフィストフェレスの魅力は不滅である。>
カトリック教理では、聖職者の妻帯は許されていない。だから、法王の息子というキリスト教世界における「異端児」として生まれたチェーザレ・ボルジアが、
父である法王アレッサンドロ6世から、法王に次ぐ権威をもつ枢機卿に任命され、“緋の衣"を着けることになったことは、反法王派の枢機卿たちの反感を買った。
にもかかわらず、ローマ教会と法王という最高の権威を徹底的に利用し、姻戚関係を結んだフランス王ルイ12世の全面的援助も受けて、のし上がったチェーザレが、
一度は身にまとった、生涯の栄誉と安定を保証する“緋の衣”を惜しげもなく脱ぎ捨てたのは、「イタリア統一」という野望に向けての準備が整った23歳の時だった。
というわけでこの本は、たった4年でロマーニャからラツィオまで、イタリア半島のほぼ3分の1手中に収めながら、あと一歩というところで暗転した、
チェーザレ・ボルジアの31年という短い生涯の、「冷えた鋼塊のような存在感と、その奥にひそんだ昏い狂熱を鮮明に描き出した」(@沢木耕太郎)快著である。
チェーザレが、その短い一生のうちでかかわりを持った二人の偉大なルネサンス人が、マキアヴェッリとレオナルドである。
ニッコロ・マキアヴェッリは、新たに君主になった者が見習うべき人物としてチェーザレを取り上げ、その理念に火を点けられるようにして『君主論』を残した。
<私は、用意周到であるよりも、むしろ果断である方が良いと考える。なぜならば運命の神は女神であるから、・・・冷静なやり方をする者より、こういう人たちに勝利を得させるようである。>(『君主論』より)
その関心の中でも最大のものは国土計画にあった、レオナルド・ダ・ヴィンチは、チェーザレに理想的な君主を見出した。パトロンではない。
チェーザレを各人の才能と願望を十分に発揮しながら共同の目的を遂行できる友人と見做してくれた、レオナルドの天才はチェーザレにとっても貴重なものだった。
<なによりもまず行動の人であった。>
内面を想像させる手がかりをほとんど残さなかったチェーザレ・ボルジアの、その姿を浮き彫りにするかのように、その行動の軌跡のみを浮き上がらせた、
これは、後に『ローマ人の物語』などイタリアの歴史を紐解く作品で知られることになる塩野七生の、その後を予感させるような力作なのである。
チェーザレ自身は、生前ただの一度も自分を弁護しようとはしなかった。自分の悪業に対する彼の弁解は、それが策として有効であった場合にのみ限られる。彼は、自らを語ることの極端に少ない男であった。
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イタリアを統一して、そこに自らの王国を創立しようとした彼の野望は、今日にいたるまでの500年間、歴史が彼を、ルネサンス時代の「メフィストフェレス」として弾劾してきた理由となった。
<しかし、メフィストフェレスの魅力は不滅である。>
カトリック教理では、聖職者の妻帯は許されていない。だから、法王の息子というキリスト教世界における「異端児」として生まれたチェーザレ・ボルジアが、
父である法王アレッサンドロ6世から、法王に次ぐ権威をもつ枢機卿に任命され、“緋の衣"を着けることになったことは、反法王派の枢機卿たちの反感を買った。
にもかかわらず、ローマ教会と法王という最高の権威を徹底的に利用し、姻戚関係を結んだフランス王ルイ12世の全面的援助も受けて、のし上がったチェーザレが、
一度は身にまとった、生涯の栄誉と安定を保証する“緋の衣”を惜しげもなく脱ぎ捨てたのは、「イタリア統一」という野望に向けての準備が整った23歳の時だった。
というわけでこの本は、たった4年でロマーニャからラツィオまで、イタリア半島のほぼ3分の1手中に収めながら、あと一歩というところで暗転した、
チェーザレ・ボルジアの31年という短い生涯の、「冷えた鋼塊のような存在感と、その奥にひそんだ昏い狂熱を鮮明に描き出した」(@沢木耕太郎)快著である。
チェーザレが、その短い一生のうちでかかわりを持った二人の偉大なルネサンス人が、マキアヴェッリとレオナルドである。
ニッコロ・マキアヴェッリは、新たに君主になった者が見習うべき人物としてチェーザレを取り上げ、その理念に火を点けられるようにして『君主論』を残した。
<私は、用意周到であるよりも、むしろ果断である方が良いと考える。なぜならば運命の神は女神であるから、・・・冷静なやり方をする者より、こういう人たちに勝利を得させるようである。>(『君主論』より)
その関心の中でも最大のものは国土計画にあった、レオナルド・ダ・ヴィンチは、チェーザレに理想的な君主を見出した。パトロンではない。
チェーザレを各人の才能と願望を十分に発揮しながら共同の目的を遂行できる友人と見做してくれた、レオナルドの天才はチェーザレにとっても貴重なものだった。
<なによりもまず行動の人であった。>
内面を想像させる手がかりをほとんど残さなかったチェーザレ・ボルジアの、その姿を浮き彫りにするかのように、その行動の軌跡のみを浮き上がらせた、
これは、後に『ローマ人の物語』などイタリアの歴史を紐解く作品で知られることになる塩野七生の、その後を予感させるような力作なのである。
チェーザレ自身は、生前ただの一度も自分を弁護しようとはしなかった。自分の悪業に対する彼の弁解は、それが策として有効であった場合にのみ限られる。彼は、自らを語ることの極端に少ない男であった。
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