(片岡義男 ちくま文庫)
英語による世界と接するとき、その接点の最突端を顕微鏡的に見ると、そこに見えるのは、ひと言、というものではないか。・・・そしてひと言を論理的につなげてかたち作るのが、文章だ。
<こうしたひと言というものは、勉強の対象になるのではないか>という考えから、まったくランダムに、誰の日常にもあるようなひと言を百例つまみ出せば、
日本語で言うときの日本語らしさと、英語での言いかたをつらぬく英語らしさの、両方の核心の針先と言っていい部分に、指先を触れるような体験ができるかも・・・
というのが、日系3世の小説家・写真家としての傍ら、英語を母語とする者から見た日本語についての考察を深めてきた、手慣れの英語使いの感触なのである。
たとえば、TVのニュース番組で、スタジオからアンカーが現場の記者に対して「状況を説明してください」と尋ねる場面。
“Please explain the situation.”
と、そのままほぼ自動的に日本語から英語へと置き換えるスタイルは、日本人の得意とするところだが、もう少し引き締まった言い方をしたほうがいいという。
“Put me in perspective.”
<explain>では、あなたの喋ったことが説明不足だという意味になるので、その問題の正しい遠近法の中に私を置いてくれないかというのが、英語的なのだ。
「この話を私から聞いたなんて、誰にも言ってはいけないのよ」
なんて、きわめて日常的で平凡な言葉のなかに、英語としてのものの言い方を点検することが、やがて英語に関する勘のようなものを育んでくれるという。
“Don't tell anybody I told you this.”
英語のできる人なら、この程度の言いかたは無理なくできるに違いないが、「それをするな」という直接的な禁止の命令を、「そうさせるな」とするのが英語的だ。
“Don't let anybody know I told you this.”
<let>するなという、一度だけ折れ曲がった経路を設けて、命令を相手に作用させる。こういう言い方が、英語にはたいへん多いそうなのである。
<英語能力の習得に向けて勉強していくとき、すべての基本となる最重要なものは、日本語の能力だ。>
およそなにを理解するにしても、それは日本語能力によって培われた自分の頭の中でなされるのだから、高度な英語能力を身につけるには、日本語能力は必須である。
英語らしい言いかたのなかで実現される、英語という言葉の機能のしかたを、自分の日本語能力と不可分なひとつのものとして、習得しなくてはならないのだ。
日本語ならではの言いかたと、英語でこその言いかたとのあいだにある距離を、自分の内部に全面的に引き受ける、おそらく終わることのない作業の積み重ねだけが、日本語能力のなかに英語能力を効果的に移植する。
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<こうしたひと言というものは、勉強の対象になるのではないか>という考えから、まったくランダムに、誰の日常にもあるようなひと言を百例つまみ出せば、
日本語で言うときの日本語らしさと、英語での言いかたをつらぬく英語らしさの、両方の核心の針先と言っていい部分に、指先を触れるような体験ができるかも・・・
というのが、日系3世の小説家・写真家としての傍ら、英語を母語とする者から見た日本語についての考察を深めてきた、手慣れの英語使いの感触なのである。
たとえば、TVのニュース番組で、スタジオからアンカーが現場の記者に対して「状況を説明してください」と尋ねる場面。
“Please explain the situation.”
と、そのままほぼ自動的に日本語から英語へと置き換えるスタイルは、日本人の得意とするところだが、もう少し引き締まった言い方をしたほうがいいという。
“Put me in perspective.”
<explain>では、あなたの喋ったことが説明不足だという意味になるので、その問題の正しい遠近法の中に私を置いてくれないかというのが、英語的なのだ。
「この話を私から聞いたなんて、誰にも言ってはいけないのよ」
なんて、きわめて日常的で平凡な言葉のなかに、英語としてのものの言い方を点検することが、やがて英語に関する勘のようなものを育んでくれるという。
“Don't tell anybody I told you this.”
英語のできる人なら、この程度の言いかたは無理なくできるに違いないが、「それをするな」という直接的な禁止の命令を、「そうさせるな」とするのが英語的だ。
“Don't let anybody know I told you this.”
<let>するなという、一度だけ折れ曲がった経路を設けて、命令を相手に作用させる。こういう言い方が、英語にはたいへん多いそうなのである。
<英語能力の習得に向けて勉強していくとき、すべての基本となる最重要なものは、日本語の能力だ。>
およそなにを理解するにしても、それは日本語能力によって培われた自分の頭の中でなされるのだから、高度な英語能力を身につけるには、日本語能力は必須である。
英語らしい言いかたのなかで実現される、英語という言葉の機能のしかたを、自分の日本語能力と不可分なひとつのものとして、習得しなくてはならないのだ。
日本語ならではの言いかたと、英語でこその言いかたとのあいだにある距離を、自分の内部に全面的に引き受ける、おそらく終わることのない作業の積み重ねだけが、日本語能力のなかに英語能力を効果的に移植する。
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