(21世紀研究会編 文春新書)

名前とは何だろう。
さまざまな国、さまざまな時代に、親は子供たちにどのような名前をつけてきたのだろうか。


9世紀から極北の海を渡ってイギリスへと移動し、侵略を開始したヴァイキングたちは、ゲルマン起源の名前(ウィリアム、ヘンリーなど)をイギリスにもたらした。

ある時代に、ドイツの領主たちはユダヤ人に禁じられていた姓を「売った」が、すぐに区別できるよう植物(リリエンタールなど)と金属名しか使わせなかった。

アフリカの奴隷は元の名を奪われ、奴隷貿易の港町ブリストルといった地名や、所有者たちの皮肉でプリンス(王子)やデューク(公爵)と名づけられもした。

などなど、人名の世界地図の上には、民族間のたびかさなる抗争、大移動、宗教、文化の広がりが数千年におよぶ長い影を投げかけている。

<いまこそ、人名という泉の底に降りて、そこにどのような意味がひそんでいるのかを探ってみたい。>

たとえば、ピーター(Peter)という英語名は、新約聖書のペテロ(Petero)に由来する名前で、キリスト教世界では長寿をもたらす者として信仰されているので、

ドイツでは、ペーター(Peter)ペトリ(Petri)
フランスでは、ピエール(Pierre)
イタリアでは、ピエトロ(Pietro)
スペインでは、ペドロ(Pedro)
ロシアでは、ピョートル(Pyotr)

と、キリスト教文化圏に共通した命名習慣として、各言語に適応した形で定着し、何世紀にもわたって使われ続けることになった。

聖人の名にあやかって命名するという西洋文化の発想は、社会で共有される記憶の結晶であり、親が願いを込めて創ってしまう日本の命名習慣とは異なっているという。

中国人が本名以外にいくつもの名前を持っているのは、「実名敬避」(相手の本名を口にするのは失礼なので避ける)という習俗が存在するからだ。

たとえば、孔子の「姓」は孔、「名」は丘、「字」は仲尼、「外号」(あだ名)は孔老二、「尊称」が孔子で、それ以外に「諡号」が10以上もあった。

幼いときには「小名」、成年に達すると「字」、死んでからは「諡号」というように、名前はその人のライフステージや社会的地位の高さを示す指標でもあったのだ。

我が日本においても、人生に“いくつも名前がある”時代はあったが、それは「身分」という「支配」との関係に基づく社会的地位を示すものであったことは、

『壱人両名』―江戸日本の知られざる二重身分―でご紹介した通りで、公に認められていたのは「人別」に記載された「通称」一つだけだった。

翻って今の日本では、颯琉(そうる)、月(るな)など、フリガナを付けなければ読めないような、キラキラネームを頻繁に目にするようになってきた。

どうして、ごくフツーの親だと思われるような人たちが、わざわざこんな名前をわが子に付けるようになってしまったのだろうか。

(参照:『キラキラネームの大研究』

あらゆる国には、人名にまつわるさまざまな伝説がある。その名は、時代によって変容をうけながらも、長い歳月に耐えて生き残っている。ただ、そうした伝統名も、その名前が本来もっていた意味は失われ、言葉の響きのよしあしや有名人の名にあやかって名づけられることが多くなったという。

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