(北上次郎 本の雑誌社)

それにしても、私の文庫解説は問題が多い。岡嶋二人の『どんなに上手に隠れても』徳間文庫版の解説を今読み返すと、他の小説に触れることが多く、その『どんなに上手に隠れても』に触れたのは全体の5分の1にすぎない。これでいいのかね。

<ようするに私、その作品だけでなく、他の作品についても、自分が気になることについて、一度に全部書きたいのだ。>

というこの本は、「本の雑誌」の実質的編集長として独自の眼力で書評誌を主催してきた目黒考二が、別名で各誌に発表してきた書評、20年分の集大成である。

取り上げられたのは108人の日本作家で、作家単位、作品単位で3〜5ページの書評が,氏名のアイウエオ順に列挙されていくのだ。

うまい小説だ。再読してまた唸っている。浅田次郎の世界を語るのに、これは恰好のテキストだと思われるので、本稿はこの小説から入ることにする。

主人公が永田町のプラットフォームで、幼い日に地下鉄開通を見に行ったことを思い出しているシーンから始まる、たった6ページのプロローグだけで、

生まれ育った複雑な家庭と、華々しい活躍をしている同級生たちに比べて見栄えのしない現在の鬱屈を、短い挿話を重ねて巧みに提出してしまう、

まことに秀逸な人物造形だが、それが他の作品にも散見できるところが興味深いという、浅田次郎『地下鉄に乗って』から、

横山秀夫の小説が決定的に新しかったのは、警察小説でありながら捜査畑の人間を主人公にしなかったことだ。

犯人を捜し出すことが目的ではない管理部門の人間にとっては、「事件」はいつも警察内部に起き、それが表に出る前になんとか内部で処理せねばならず、

派手な事件は滅多に起きないが、それでもミステリーは成立し、謎はむしろ人の心の中にこそあることを鮮やかに描き出してみせた。

このような物語の結構を持つことで、それまでの私たちが知らなかった決定的に新しいドラマが立ち上がってきた、横山秀夫『陰の季節』まで。

既読の作家の作品に対する、新たな視点からの楽しみ方に気付かせてもらえることはもちろん、まったく知らない作家の作品についても、

これはぜひとも読まずにはおられないと、ただでさえ溢れている本棚に、新たな積読本を増やしてしまう、これがこうした書評本の困ったところなのである。

ちなみに、この本は20年くらい前に購入しており、あまり使用していないトイレに置いてあったものを、ちびちびと読んできたものなので、

紹介されている本も、随分古いものばかりではあるのだが、紹介本への溢れんばかりの書評者の熱情が、時間の壁を軽く乗り越えて、私たちの胸に響いてくる。

付録として収録された「この30年間の面白本ベスト30」も、<その時の気分で選んだ>ものとはいえ、それだけに臨場感満点の逸品となっている。

う〜む、困った。残された時間が限られている暇人にとって、ますます、読む時間が足らなくなってしまった。

実を言うと、エンターテインメント小説の書評は、そのときどきで消費されればそれでいいと考えている。その本を買うかどうか迷っている読者の指針になれば、それで充分だ。あとからこうして一冊の本にまとめなくてもいいのだ。

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