(赤松明彦 中公新書)

ギリシア語を話すギリシア人やペルシア語を話すペルシア人はいても、サンスクリット語を話すサンスクリット人は今もいないし昔もいなかった。どうしてだろうか。

<「サンスクリット」が、言語に付けられた名称だからである。>

この言語が「サンスクリタ(完全なものにされた)」と呼ばれるのは、紀元前350年頃にパニーニの手になる「文法」によって、その体系が形作られたからだ。

つまり、サンスクリットという奇妙な言語は文法が先にある言語なのであり、それを学ばないと習得できないため、母語として自然に身につける人はいないのである。

さて、天平年間の8世紀前半に、仏典とともに日本に伝えられた「悉曇文字」と共に、「梵語(サンスクリット)」を本格的に身につけたのは、「空海」だった。

「空海」こそ日本史上「最高の知性」であると尊崇する暇人が、サンスクリットの世界を覗きみてみたいという思いに駆られたのには、そんな理由があった。

文字と発音(もちろん梵字は無理なので、ローマ字表記で写してある)や音声規則などの説明の後、いよいよ具体的な文例で文法事項を学んでいくことになるのだが、

aham brahmasmi. アハム ブラフマースミ
外連声をはずして単語に分けて書くと、次のようになる
aham + brahma + asmi.


「私はブラフマンです。」という1人称の例文から始まって、2人称「君はそれである。」、3人称「叡智はブラフマンである。」と、淡々と解説される中で、

「aham」という1人称の代名詞には、主格、対格、具格、与格、奪格、属格、処格、呼格の8つの格と、単数、両数、複数の3つの数の組み合わせがあり・・・

「合計24の変化形がある」という変化表が、これ以降の例文のすべてについて回ってきて、「生のサンスクリットを学んで欲しい」という本気度が伝わってくる。

もとより、軽い気持ちで齧ろうとした身としては、語形変化どころか、見慣れぬ語彙のオンパレードに、身のほど知らずの挑戦であったかと、後悔もしかけたのだが、

na ca drstad garistham pramanam asti.
そして、見られたことよりも重大な認識手段(プラマーナ)は存在しない。


「重い」の最上級 garistha- が訳では「より重い」となっているのは・・・という形容詞の比較級と最上級の解説のための例文であることは置いておいて、

なんとこれは、世親(ヴァスバンドゥ)の『倶舎論』からの引用なのであり、他にも『マハーバーラタ』や『マヌ法典』などが、原文で味わえるのが嬉しかった。

「仏」→「buddha 仏陀」、「僧」→「samgha 僧伽」など、実は日本語の中に取り入れられたサンスクリットの語彙は数多くあるわけだが、

最近では英語その他の欧米語を経由して日本語に入ってきた、「ジャングル」→「jangala 乾燥した」などのサンスクリットもあるという。

インターネットの仮想空間での自分の分身を「アバター」と言うが、これは「avatara 権現」から来ている。「アヴァターラ」は、ヴィシュヌ神がクリシュナのような人間の姿をとって地上に顕現することを言うものである。

本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

人気ブログランキング