(Eラーソン ハヤカワNF文庫)
19世紀末のシカゴ、工場の煙と汽車の喧騒のさなかに二人の男が住んでいた。二人ともブルーの目をしたハンサムな男で、ともにみずから選んだ職業に並はずれた腕前をもっていた。
一人は建築家のダニエル・バーナム、ワシントンのユニオン・ステーションなどアメリカの有名な建築を数多く手がけてきた、高層建築の先駆者だった。
そしてもう一人はホテル経営者のマジェット、自らのホテルを改造してH・H・ホームズの名で容赦なく多くの人々の命を奪った、連続猟奇殺人犯だった。
彼ら二人が顔を合わせたことは――少なくとも公式には――一度もなかったが、彼らの運命は一つの魅惑的なイベントによってつながっていた。
それが、南北戦争に匹敵するほどの変化をアメリカ社会にもたらしたといわれたイベント、1893年に開催を迎えようとしていたシカゴ万国博覧会である。
というこの本は、史上最大規模のイベントに沸き立つシカゴを舞台に、そんな二人の人生を巧妙に縒り合わせた、複雑なタペストリーを織り上げることで、
「底知れぬ恐怖と歴史の感動とをもたらす一種のノンフィクション・ノヴェル」(解説:巽孝之)なのであり、エドガー賞(犯罪実話部門)受賞に輝いている。
万博会場建設の準備から、ようやく迎えたオープニング、そして波乱万丈の閉幕に至るまで、様々な建築家が入り乱れる、光り輝く<ホワイトシティ>の物語と、
若い女性を次々におびき寄せ、毒牙にかける殺人鬼となっていく様が、息つかせぬほどスリリングに描かれていく、暗く怪しい<ブラックシティ>の物語と。
平行して進行していくどちらの物語も、読み応え十分なのだが、期待に反してまったく交差することはないため、別々の作品でもよかったのではと思わないでもない。
暇人は一応専門が建築なので、パリ万博のエッフェル塔にまさるものをと、衆知を集めて挑んだというシカゴ万博の大観覧車のエピソードが興味津々だった。
「シカゴ世界博覧会で大きなプロジェクトを手がけることになった。縦に回転する直径75メートルの輪っか(ホイール)を建設する予定だ」
この輪っかには36台のゴンドラがついていて、それぞれはブルマンの客車にほぼ等しい大きさで60人が乗れるようになっており、ランチカウンターもついている。
最大の関門は8本の支柱の上に巨大な回転軸を据える作業だった。付属品を含めて回転軸の重量はおよそ64トンにもなる。
<そんなに重いものをこれほどの高さまでもちあげる工事は過去一度もなかった。>・・・
さて、なぜ人は与えられたごく短い生涯をかけて不可能なことを可能にしようと挑戦し、またある人は哀しみを生み出そうとするのか。
高度資本主義市場においてプライヴァシーがいかに巧妙に搾取され商品化されてきたかを活写した『裸の消費者』でデヴューした著者が、この本で問いかけようとし、
<流血と煙と土埃のなかで語られるのは、生命のはかなさについてである。>
つまるところ、それは二つの力――善と悪、光と闇、純白の都会(ホワイトシティ)と暗黒世界(ブラックシティ)――のあいだに起こる避けがたい衝突なのだろう。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
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19世紀末のシカゴ、工場の煙と汽車の喧騒のさなかに二人の男が住んでいた。二人ともブルーの目をしたハンサムな男で、ともにみずから選んだ職業に並はずれた腕前をもっていた。
一人は建築家のダニエル・バーナム、ワシントンのユニオン・ステーションなどアメリカの有名な建築を数多く手がけてきた、高層建築の先駆者だった。
そしてもう一人はホテル経営者のマジェット、自らのホテルを改造してH・H・ホームズの名で容赦なく多くの人々の命を奪った、連続猟奇殺人犯だった。
彼ら二人が顔を合わせたことは――少なくとも公式には――一度もなかったが、彼らの運命は一つの魅惑的なイベントによってつながっていた。
それが、南北戦争に匹敵するほどの変化をアメリカ社会にもたらしたといわれたイベント、1893年に開催を迎えようとしていたシカゴ万国博覧会である。
というこの本は、史上最大規模のイベントに沸き立つシカゴを舞台に、そんな二人の人生を巧妙に縒り合わせた、複雑なタペストリーを織り上げることで、
「底知れぬ恐怖と歴史の感動とをもたらす一種のノンフィクション・ノヴェル」(解説:巽孝之)なのであり、エドガー賞(犯罪実話部門)受賞に輝いている。
万博会場建設の準備から、ようやく迎えたオープニング、そして波乱万丈の閉幕に至るまで、様々な建築家が入り乱れる、光り輝く<ホワイトシティ>の物語と、
若い女性を次々におびき寄せ、毒牙にかける殺人鬼となっていく様が、息つかせぬほどスリリングに描かれていく、暗く怪しい<ブラックシティ>の物語と。
平行して進行していくどちらの物語も、読み応え十分なのだが、期待に反してまったく交差することはないため、別々の作品でもよかったのではと思わないでもない。
暇人は一応専門が建築なので、パリ万博のエッフェル塔にまさるものをと、衆知を集めて挑んだというシカゴ万博の大観覧車のエピソードが興味津々だった。
「シカゴ世界博覧会で大きなプロジェクトを手がけることになった。縦に回転する直径75メートルの輪っか(ホイール)を建設する予定だ」
この輪っかには36台のゴンドラがついていて、それぞれはブルマンの客車にほぼ等しい大きさで60人が乗れるようになっており、ランチカウンターもついている。
最大の関門は8本の支柱の上に巨大な回転軸を据える作業だった。付属品を含めて回転軸の重量はおよそ64トンにもなる。
<そんなに重いものをこれほどの高さまでもちあげる工事は過去一度もなかった。>・・・
さて、なぜ人は与えられたごく短い生涯をかけて不可能なことを可能にしようと挑戦し、またある人は哀しみを生み出そうとするのか。
高度資本主義市場においてプライヴァシーがいかに巧妙に搾取され商品化されてきたかを活写した『裸の消費者』でデヴューした著者が、この本で問いかけようとし、
<流血と煙と土埃のなかで語られるのは、生命のはかなさについてである。>
つまるところ、それは二つの力――善と悪、光と闇、純白の都会(ホワイトシティ)と暗黒世界(ブラックシティ)――のあいだに起こる避けがたい衝突なのだろう。
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