(Mエンデ 岩波少年文庫)

ある日のこと、廃墟にだれかが住みついたという話が、みんなの口から口へつたわりました。それは子どもで、どうも女の子らしい、すこしばかりきみょうなかっこうをした子なので、はっきりしたことは言えない、名前はモモとかなんとかいうそうな――こういう話でした。

背が低く、やせっぽちで、古ぼけただぶだぶの男物の上着を身にまとった、浮浪児で年齢不詳のその女の子を、町の人々はみんなで面倒を見てあげることにする。

大人たちは力を合わせて、モモの住処をできるだけ住みやすい所にし、そのあと今度は子どもたちが、食べ物のお裾分けを持ってやってくるようになった。

<こうして、小さなモモと近所の人たちとの友情がはじまったのです。>

親切な人たちのところに転がりこむことができて、モモはまったく運がいい子だと誰もが思っていたが、実は町の人たちの方こそ「運がよかった」ことに気付き、

時がたつにしたがい、「この子がいつかまたどこかに行ってしまいはしないか」と心配するほど、この小さな女の子がなくてはならない存在になっていった。

モモのところには、入れ替わり立ち代わりみんなが訪ねてきた。いつでも誰かがモモのそばに座って、なにか一生懸命に話し込んでいた。

モモは「相手の話を聞く」という、<それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。>

というこの本は、1974年にドイツ児童文学賞を受賞した児童文学の名作で、暇人の子どもたちも小学生の頃に読んで、感動していたような覚えがあるのだが、

今回なぜか読書会のテーマ本になり、暇人自身はまだ読んだことがなかったので、遅ればせながら読んでみることになった次第なのである。

さてそんなある日、町に時間貯蓄銀行の外交員を名乗る「灰色の男」たちがやって来て、無駄遣いしている時間を銀行に預けろと迫るようになり・・・

大人たちは必死で時間を節約し、追い立てられるようにせかせかと働き、子どもたちは「遊び方」まで教わるような暮らしを強いられるようになっていった。

誰も自分の所に来なくなった異変の中で、人間から奪った時間を糧としている「灰色の男」たちの企みを知ったモモは、不思議な亀カシオペイアに導かれて・・・

ここから始まる、「灰色の男」たちに奪われてしまった「時間」を取り戻そうというモモの大冒険の物語は、どうぞご自分で(お子様と一緒に)お読みください。

暇人は正直に言って、「時間泥棒」との闘いのくだりはあまり気持ちが乗らなかったので、ちょっと共感できた部分だけ取り上げておくことにしたい。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

モモの特別好きな親友の一人、道路掃除夫のベッポは何か聞かれてもただニコニコ笑うばかりで返事もしない、「無口な」おじいさんだった。じっくり考えるからだ。

答えるまでもないと思えば黙っており、答えが必要な時には何時間でも考えてしまうのだ。でも、モモだけはいつまでも返事を待つので、彼の言うことが理解できた。

「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」
ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ。」


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