(久保<川合>南海子 集英社新書)
対象(世界)と自分の関係性において、自分がどのように対象を認識するかだけでなく、認識を自分はどのように対象へ付加していくのか?こころと世界はどのようにつながっているのか?
<このようなこころの働きにアプローチする研究の概念が「プロジェクション」です。>
人間は、自分をとりまく物理世界から情報を受け取り、それを処理して表象を作り出しているが、それは人間のこころの働きの半分にしか過ぎず、
実はもう半分では、そこで作り出した表象を物理世界に映し出し、自分で意味づけした世界の中で、様々な活動をしている。
その一連のこころの働きを「プロジェクション」と名付けたのだ。(2015年に認知科学の鈴木宏昭氏が初めて提唱した概念だという。)
「プロジェクション」と一言でいっても、それは「ソース(投射元)」と「ターゲット(投射先)」の関係から、3つの投射タイプに区別することができる。
一つ目は目の前の世界を見たままにとらえる「通常の投射」で、ソースとターゲットが一致しているという、説明するのが申し訳ないくらい当たり前のケース。
二つ目は「いま、そこにない」ことを「いま、ここにある」ものに映し出す「異投射」で、過去の事実など実在しない想像上のモノがソースに投射されるケース。
そして三つ目が「見えない」けれど「たしかにそこにある」という「虚投射」で、幻覚や幽霊など投射される先にソースが存在しないケースである。
主体内部の世界が現実の外部世界とつながることで、主体にとってさまざまな意味や価値が生まれます。それがプロジェクションによってもたらされる効果です。そうして主体にもたらされる効果には、良いものも悪いものもあります。
というわけでこの本は、前著『「推し」の科学』で、プロジェクションのポジティブな側面から、認知科学の最新の概念を紹介してくれた著者が、
今度はそのネガティブな側面から、プロジェクションがもたらす効果の様々な事例を取り上げ、<私たちが簡単に他者に操られてしまう理由>を解き明かすものだ。
悩みを抱えて苦しんでいる人の、内的世界のもやもやと解決策を目の前の壺に投射させ、「この壺が私を救ってくれる」と思いこませてしまう「霊感商法」。
複数の人間が台本に沿った役割を演じて、対象者をその舞台に引きずり込み、「子どもの危機を私が救う」という自作の物語を演じさせてしまう「オレオレ詐欺」。
自らが想定する「あるべき現実」と、目の前の現実が乖離していることへの不満から、その乖離を埋めるための便利な道具として仮設を用意する『陰謀論』。
などなど、他者によってこころを操られたり、自分を自身で無意識に縛ってしまったりすることで生じる、ネガティブな事例が取り上げられ、分析されていく。
あなたが自分のプロジェクションを自在に操作できるということは、他者からもあなたのプロジェクションが操作されうるということでもあるのです。また、あなたが意識しているプロジェクションを操作できるということは、意識できないプロジェクションは操作しにくいということでもあります。
他者にプロジェクションが操作されてしまったら、どんなことが起るのか?無意識のプロジェクションから、どんなことが生じるのか?
「いま、そこにない」ことを想像して「いま、ここにある」現実へ投射する、プロジェクションというこころの働きが、人間である私たちを深く悩ませている。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
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対象(世界)と自分の関係性において、自分がどのように対象を認識するかだけでなく、認識を自分はどのように対象へ付加していくのか?こころと世界はどのようにつながっているのか?
<このようなこころの働きにアプローチする研究の概念が「プロジェクション」です。>
人間は、自分をとりまく物理世界から情報を受け取り、それを処理して表象を作り出しているが、それは人間のこころの働きの半分にしか過ぎず、
実はもう半分では、そこで作り出した表象を物理世界に映し出し、自分で意味づけした世界の中で、様々な活動をしている。
その一連のこころの働きを「プロジェクション」と名付けたのだ。(2015年に認知科学の鈴木宏昭氏が初めて提唱した概念だという。)
「プロジェクション」と一言でいっても、それは「ソース(投射元)」と「ターゲット(投射先)」の関係から、3つの投射タイプに区別することができる。
一つ目は目の前の世界を見たままにとらえる「通常の投射」で、ソースとターゲットが一致しているという、説明するのが申し訳ないくらい当たり前のケース。
二つ目は「いま、そこにない」ことを「いま、ここにある」ものに映し出す「異投射」で、過去の事実など実在しない想像上のモノがソースに投射されるケース。
そして三つ目が「見えない」けれど「たしかにそこにある」という「虚投射」で、幻覚や幽霊など投射される先にソースが存在しないケースである。
主体内部の世界が現実の外部世界とつながることで、主体にとってさまざまな意味や価値が生まれます。それがプロジェクションによってもたらされる効果です。そうして主体にもたらされる効果には、良いものも悪いものもあります。
というわけでこの本は、前著『「推し」の科学』で、プロジェクションのポジティブな側面から、認知科学の最新の概念を紹介してくれた著者が、
今度はそのネガティブな側面から、プロジェクションがもたらす効果の様々な事例を取り上げ、<私たちが簡単に他者に操られてしまう理由>を解き明かすものだ。
悩みを抱えて苦しんでいる人の、内的世界のもやもやと解決策を目の前の壺に投射させ、「この壺が私を救ってくれる」と思いこませてしまう「霊感商法」。
複数の人間が台本に沿った役割を演じて、対象者をその舞台に引きずり込み、「子どもの危機を私が救う」という自作の物語を演じさせてしまう「オレオレ詐欺」。
自らが想定する「あるべき現実」と、目の前の現実が乖離していることへの不満から、その乖離を埋めるための便利な道具として仮設を用意する『陰謀論』。
などなど、他者によってこころを操られたり、自分を自身で無意識に縛ってしまったりすることで生じる、ネガティブな事例が取り上げられ、分析されていく。
あなたが自分のプロジェクションを自在に操作できるということは、他者からもあなたのプロジェクションが操作されうるということでもあるのです。また、あなたが意識しているプロジェクションを操作できるということは、意識できないプロジェクションは操作しにくいということでもあります。
他者にプロジェクションが操作されてしまったら、どんなことが起るのか?無意識のプロジェクションから、どんなことが生じるのか?
「いま、そこにない」ことを想像して「いま、ここにある」現実へ投射する、プロジェクションというこころの働きが、人間である私たちを深く悩ませている。
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