(麻田雅文 中公新書)

日ソ戦争は半月足らずの戦争だったが、残した爪痕は大きい。日本にとっては敗戦を決定づける最後の一押しとなっただけではない。シベリア抑留・中国残留孤児・北方領土問題などはこの戦争を起点とする。

なぜ、ソ連は第二次世界大戦の終わりになって参戦したのか。玉音放送が流れた8月15日以降も、なぜ日ソ両軍は戦い続けたのか。

<1945年夏にソ連と繰り広げた戦争について、日本ではいまだに正式な名称すらない。>

というこの本は、近現代の日中露関係史を専門とする著者が、ロシア国防省が保管する鹵獲関東軍文書など、ようやく本格的な利用が始まった新史料も駆使しながら、

日米ソ各国の国家戦略と、それを達成するために実践された軍事行動や個別の作戦の思惑を通して、<いまのところ日本が戦った最後の戦争>の全貌を描いたものだ。

日ソ戦争は、日本に無条件降伏を強いるという戦略目標を達成するために行なわれた、連合国の数ある作戦の一つである。軍事的にはそれ以上のものではない。

1945年の時点で、戦争終結の仲介をすら期待していたソ連との開戦を、誰も望んでいなかった日本側にとって、それはやむを得ず戦った「自衛戦争」だったが、

「われわれは日本の背骨をへし折らなければならない」と豪語するスターリンに率いられたソ連側にすれば、「軍国主義」日本からの「解放」という大義があった。

そんなソ連を対日戦に引き込んだのはアメリカのローズヴェルト大統領だった。対日戦を早期終結に持ち込むため、ソ連参戦を熱望し、督促したのである。

しかし、対独戦で莫大な被害を蒙っているソ連は二正面作戦に陥ることを徹底的に避け、日ソ不可侵条約を盾にヨーロッパの戦争を終結させるまでの時間を稼いだ。

一方、原爆の実験に成功したアメリカでは、ソ連参戦を熱望したローズヴェルトを後継したトルーマンが、原爆で日本を無条件降伏に追い込む最終案を重視していた。

ソ連の参戦を受けて、日本がポツダム宣言の受諾を表明して以降、トルーマンの周辺ではソ連と合意したはずの作戦区域を反故にして、米ソは競合関係に入る。

日本に無条件降伏を強要するという点では戦略的利害が一致していたものの、いざ達成されれば、米ソそれぞれが国益を前面に押し出した占領政策を推進したのだ。

<日ソ戦争を芝居に譬えると、舞台を演出したのはアメリカだ。ソ連は出演を渋る大物役者である。最終的に、莫大な報酬を目当てにソ連は出演を了承する。そして、ひとたび舞台の幕が上がると、演出家そっちのけで暴れ回った。>

日ソ戦争が同時代の米英との戦いと比しても陰惨な印象を受けるのは、自軍の将兵の命すら尊重せず、軍紀が緩いというソ連の「戦争の文化」が関係している、

という著者があげる、日ソ戦争の特徴的な三点とは、

1.民間人の虐殺や性暴力など、戦争犯罪に当たる行為が停戦後にも多発したこと
2.シベリア抑留など、住民の選別とソ連への強制連行
3.北方領土問題など、領土の奪取

そんなソ連に対し、日本では条約を平然と破って領土を奪取したという不信感が強く残った。日ソ戦争は「不信感」を基調とする現代の日露関係の起点なのである。

相手を侵略する意志がなくとも侵略されることは、直近のウクライナとロシアの戦争に限らず、歴史上ままある。そうした観点からも、日ソ戦争にはまだ引き出すべき教訓は多い。

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