(VSラマチャンドラン Sブレイクスリー 角川書店)
神経学の世界では、多数の患者を統計的に分析することで、脳に関するもっとも価値の高い知見が得られると考えている人たちと、適切な種類の実験を適切な患者に行なう方が−−たとえたった一例でも−−より有益な情報が得られると考える人たちのあいだに緊張関係がある。
<これは本当におろかな論争で、どうすべきかははっきりしている。>
神経学における、時の試練に耐えた主要な発見の大半が、最初は一例研究や一つの実例提示にもとづくものだったと言っても過言ではないからだ。
であるからには、一例の実験からはじめて症例を増やし、得られた所見を確かめていけばいいのだ。しかし、これとはまったく違う態度をとる人が大勢いるのである。
というこの本は、10代で書いた論文が科学誌『Nature』に掲載されたという気鋭の神経科学者が、一般向けに書いた『脳科学』研究、最先端へのご招待である。
箱の正面に穴が二つあり、患者はそこから「いいほうの手」(右手)と「幻の手」(左手)をさしこむ。鏡は箱のまんなかに立ててあるので、右手は鏡の右側に幻肢は左側になる。
切断された腕がまだあり、痛みを感じる「幻肢」の、存在しない腕の実際の動きを知覚できるようにした、「バーチャルリアリティ・ボックス」という有名な実験。
患者自身の正常な右手を左側の幻肢の位置に重ねてみせるだけで、見えるようになった左手が幻肢の感覚に対抗し、痛みが消えるなど絶大な効果を生み出すのだ。
<あなたの身体イメージは、持続性があるように思えるにもかかわらず、まったくはかない内部の構築であり、簡単なトリックで根底から変化してしまう。>
母はいつも身なりに気を配っていた。・・・しかし今日は、ひどくおかしい。頭の左半分は、もともとカールのかかった髪がブラシもあてられず、鳥の巣のようにくしゃくしゃなのに、右半分はきれいに整えてある。
卒中が右の頭頂部に起こると、あとで発症することがあるという「半側無視」。患者は左側にあるものや出来事にまったく無関心になるのである。
患者の右側に立って鏡を見せると、無視している側が見えるようになるが、そこに映っているペンを取るように言うと、鏡に向かって手を突き出し取れないと言う。
<私たちはふつう、自分たちの知能や「高度な」知識を、感覚入力の気まぐれな変動に影響されないものだと思っている。・・・彼らにとっては話が逆である。感覚の世界がゆがんでいるだけでなく、知識の基盤も彼らが住む奇妙な新しい世界に適応するためによじれているのだ。>
といった具合に、どれが推論で、どれが観察によって確証された結論であるか、を明確にするのが責任であると考える著者の語り口は、立て板に水の如く滑らかで、
事実と想像を両立させたのは、厳密な答えを提出するよりも、むしろ読者の知的好奇心を刺激したいと思ったからと言いつつ、自分が一番楽しんでいるようなのだ。
<変わっているのは、脳がほかの脳の働きを解明できるばかりか、自己の存在について問いかけをすることだ。>
・私は何者か。そして、死後はどうなるのか。
・私の心は脳のニューロンからのみ生まれるのか。
・私の自由意志のおよぶ範囲はどれくらいあるのか。
これらの疑問が奇妙な再帰的性質をもっている−−脳が自分自身を理解しようと奮闘している−−からこそ、神経学はわくわくするほどおもしろい。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
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神経学の世界では、多数の患者を統計的に分析することで、脳に関するもっとも価値の高い知見が得られると考えている人たちと、適切な種類の実験を適切な患者に行なう方が−−たとえたった一例でも−−より有益な情報が得られると考える人たちのあいだに緊張関係がある。
<これは本当におろかな論争で、どうすべきかははっきりしている。>
神経学における、時の試練に耐えた主要な発見の大半が、最初は一例研究や一つの実例提示にもとづくものだったと言っても過言ではないからだ。
であるからには、一例の実験からはじめて症例を増やし、得られた所見を確かめていけばいいのだ。しかし、これとはまったく違う態度をとる人が大勢いるのである。
というこの本は、10代で書いた論文が科学誌『Nature』に掲載されたという気鋭の神経科学者が、一般向けに書いた『脳科学』研究、最先端へのご招待である。
箱の正面に穴が二つあり、患者はそこから「いいほうの手」(右手)と「幻の手」(左手)をさしこむ。鏡は箱のまんなかに立ててあるので、右手は鏡の右側に幻肢は左側になる。
切断された腕がまだあり、痛みを感じる「幻肢」の、存在しない腕の実際の動きを知覚できるようにした、「バーチャルリアリティ・ボックス」という有名な実験。
患者自身の正常な右手を左側の幻肢の位置に重ねてみせるだけで、見えるようになった左手が幻肢の感覚に対抗し、痛みが消えるなど絶大な効果を生み出すのだ。
<あなたの身体イメージは、持続性があるように思えるにもかかわらず、まったくはかない内部の構築であり、簡単なトリックで根底から変化してしまう。>
母はいつも身なりに気を配っていた。・・・しかし今日は、ひどくおかしい。頭の左半分は、もともとカールのかかった髪がブラシもあてられず、鳥の巣のようにくしゃくしゃなのに、右半分はきれいに整えてある。
卒中が右の頭頂部に起こると、あとで発症することがあるという「半側無視」。患者は左側にあるものや出来事にまったく無関心になるのである。
患者の右側に立って鏡を見せると、無視している側が見えるようになるが、そこに映っているペンを取るように言うと、鏡に向かって手を突き出し取れないと言う。
<私たちはふつう、自分たちの知能や「高度な」知識を、感覚入力の気まぐれな変動に影響されないものだと思っている。・・・彼らにとっては話が逆である。感覚の世界がゆがんでいるだけでなく、知識の基盤も彼らが住む奇妙な新しい世界に適応するためによじれているのだ。>
といった具合に、どれが推論で、どれが観察によって確証された結論であるか、を明確にするのが責任であると考える著者の語り口は、立て板に水の如く滑らかで、
事実と想像を両立させたのは、厳密な答えを提出するよりも、むしろ読者の知的好奇心を刺激したいと思ったからと言いつつ、自分が一番楽しんでいるようなのだ。
<変わっているのは、脳がほかの脳の働きを解明できるばかりか、自己の存在について問いかけをすることだ。>
・私は何者か。そして、死後はどうなるのか。
・私の心は脳のニューロンからのみ生まれるのか。
・私の自由意志のおよぶ範囲はどれくらいあるのか。
これらの疑問が奇妙な再帰的性質をもっている−−脳が自分自身を理解しようと奮闘している−−からこそ、神経学はわくわくするほどおもしろい。
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