(Pワームビー 東洋館出版社)
あなたが私と出会ったとしても、あなたは何一つ疑うことはないだろう。あなたの目が私の顔を精査する。あなたの耳が私の声を聞く。その時、警告音がなることはない。
あるいは・・・
あなたが私と出会ったなら、すぐに気づくだろう。あなたの脳はちょっとした違いにも敏感で、あらゆるしぐさを見逃さない。・・・ああ、本当にささやかなパニックの痕跡。
<簡単に言ってしまえば、理解できるかどうかはすべて、ASD(自閉スペクトラム症)であるか否かによって決まる。>
というこの本は、ASD者として生まれながら、34歳になるまでその事実をずっと知らずに生きてきた元英語教師が、自らの実際の経験に基づきながら、
ASDに関する誤った通念、不完全なニセ情報、古臭いステレオタイプのすべてと、リアルなASD者の生きた体験談とを比較し、説明してみせたものである。
ASDでない人たちは、生まれた瞬間に「人付き合い」というゲームのルールやガイド、ヒントやコツがぎっしり詰まった便利な説明書みたいなものを自動的に与えられているように見える。
<私たちASD者は何も与えられず、一切の援助もなしに「ルール」の全貌を把握するように放置される。>
そんな手探りの世界に放り出された著者が、何十年もの間変わらぬ仮面をつけ続けながら、何から何まで一人で見つけ出したのは、たとえばこんなルールだった。
「もし誰かに好意を抱いても、知り合いでないなら無視する。友達になりたての頃は無条件に優しくして、本格的に親友になったらひどい扱いをする。」
それらは克服するのが難しいほど驚愕の新事実ばかりだったが、徐々に意味不明の定型発達の世界のルールを理解し、うまいこと生き残れた、でも疲れたと述懐する。
<「最近どう?」とひっきりなしに聞いて、相手の答えをちゃんと聞かないのが友情を育むいちばんの方法だなんて、そんなことがなぜまかりとおるのか。>
少々苛立っているASDの人間から見れば、これらはすべて不合理としか言いようがない。そしてはたから見れば、きっと私の言動のほうが奇妙に見えることだろう。
薄暗い屋内でサングラスをかけている人を見かけても、私たちがただのキザな奴だと思ったりしないのは、社会全体に目の不自由な人びとへの理解があるからだ。
だったら、公園のベンチに座ってゆらゆら揺れるなど、自己刺激行動をとっている人がいても、恐れたり避けたりするのではなく、「ASD」だろうと思えばいい。
それが著者の夢見る世界であり、実践的かつ有益なやりかたで、そういう世の中になるために働きかけることが、この本の狙いなのだという。
<困難な会話>、<仮面をつける>、<メルトダウン>、<電話恐怖症>、<病院の受診>、<共感力>、<発達凸凹>、<金銭管理>などなど。
ASDという隠れたマイノリティとはどういう存在なのか、もっと知りたいと思っている世の中すべての定型発達者にとって、これは格好の取扱説明書なのである。
私は「定型と異なる脳をもつ人」(ニューロダイバージェント)と「定型発達者」(ニューロティピカル)の両方の言葉をよく知っている者として、対話を仲介する役割を担うつもりだ。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
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あなたが私と出会ったとしても、あなたは何一つ疑うことはないだろう。あなたの目が私の顔を精査する。あなたの耳が私の声を聞く。その時、警告音がなることはない。
あるいは・・・
あなたが私と出会ったなら、すぐに気づくだろう。あなたの脳はちょっとした違いにも敏感で、あらゆるしぐさを見逃さない。・・・ああ、本当にささやかなパニックの痕跡。
<簡単に言ってしまえば、理解できるかどうかはすべて、ASD(自閉スペクトラム症)であるか否かによって決まる。>
というこの本は、ASD者として生まれながら、34歳になるまでその事実をずっと知らずに生きてきた元英語教師が、自らの実際の経験に基づきながら、
ASDに関する誤った通念、不完全なニセ情報、古臭いステレオタイプのすべてと、リアルなASD者の生きた体験談とを比較し、説明してみせたものである。
ASDでない人たちは、生まれた瞬間に「人付き合い」というゲームのルールやガイド、ヒントやコツがぎっしり詰まった便利な説明書みたいなものを自動的に与えられているように見える。
<私たちASD者は何も与えられず、一切の援助もなしに「ルール」の全貌を把握するように放置される。>
そんな手探りの世界に放り出された著者が、何十年もの間変わらぬ仮面をつけ続けながら、何から何まで一人で見つけ出したのは、たとえばこんなルールだった。
「もし誰かに好意を抱いても、知り合いでないなら無視する。友達になりたての頃は無条件に優しくして、本格的に親友になったらひどい扱いをする。」
それらは克服するのが難しいほど驚愕の新事実ばかりだったが、徐々に意味不明の定型発達の世界のルールを理解し、うまいこと生き残れた、でも疲れたと述懐する。
<「最近どう?」とひっきりなしに聞いて、相手の答えをちゃんと聞かないのが友情を育むいちばんの方法だなんて、そんなことがなぜまかりとおるのか。>
少々苛立っているASDの人間から見れば、これらはすべて不合理としか言いようがない。そしてはたから見れば、きっと私の言動のほうが奇妙に見えることだろう。
薄暗い屋内でサングラスをかけている人を見かけても、私たちがただのキザな奴だと思ったりしないのは、社会全体に目の不自由な人びとへの理解があるからだ。
だったら、公園のベンチに座ってゆらゆら揺れるなど、自己刺激行動をとっている人がいても、恐れたり避けたりするのではなく、「ASD」だろうと思えばいい。
それが著者の夢見る世界であり、実践的かつ有益なやりかたで、そういう世の中になるために働きかけることが、この本の狙いなのだという。
<困難な会話>、<仮面をつける>、<メルトダウン>、<電話恐怖症>、<病院の受診>、<共感力>、<発達凸凹>、<金銭管理>などなど。
ASDという隠れたマイノリティとはどういう存在なのか、もっと知りたいと思っている世の中すべての定型発達者にとって、これは格好の取扱説明書なのである。
私は「定型と異なる脳をもつ人」(ニューロダイバージェント)と「定型発達者」(ニューロティピカル)の両方の言葉をよく知っている者として、対話を仲介する役割を担うつもりだ。
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