(北村浩子 小学館新書)
外国語学習において、どのレベルを目指すか、満足するかはその人次第。だからこそ、日本語という外国語の山を登り続け高いところに行き着いた人たちに、どんな景色が見えているのか聞いてみたいと思うようになった。
留学生をメインに、子供や外交官など様々な立場・レベル・年齢の人に、細々と日本語を教え始めて15年ほどになるという著者が、そんな願望を持ったのは、
<自分を表現できていると、どうしたら思えるのか、母語ではない日本語を「操っている」という感覚はどうやったら得られるのか>が知りたいと思ったからだった。
選ばれた相手は、韓国出身の歌手、イタリア出身の翻訳者、ベナン共和国出身の大学助教、ウクライナ出身の声優、ジョージア出身の駐日全権大使など、総勢9名。
流暢な日本語を駆使して日本で活躍しているそれぞれの、「今だから話せる当時のこと」を根掘り葉掘り訊き出した、これは日本語習得をめぐる「対話編」なのである。
「間違えて笑われるのは、むしろチャンス」と語った韓国出身のKさんが、来日当初から<絶対日本語で話す>ことに徹したのは、自分の口で伝えたかったからという。
人との距離を縮めたいと望み、自分の気持ちを正確に伝えるにはどうしたらいいかと考え続けてきたことが、Kさんの素晴らしい日本語につながる結果となったのだ。
「日本語で話している時の自分と、イタリア語の自分は人格が違います」と答えたイザベラさんも、初めから母語に逃げ込まず徹底的に「日本語で生活」していた。
日本での記憶、経験が全部入っている自分の日本語は、「ただの言葉」「外国語」ではなくて、そこには日本での時間を日本語で生きてきた自分がいるというのだ。
「自分の頭の中に『理想の日本語』があるんです」と言ったのはべナン出身のエマヌエルさん。自分が言っていることをもうひとりの自分が検証している感じらしい。
気持ちと完全に一致した表現が思い浮かばないというもどかしさが、現在取り組んでいる「ヒトの言語学習を支える会話システム」の研究につながっているようだ。
「語彙も文法も、全部含めて、聞きまくって覚えた」というウクライナ出身のディマさんは、なぜ話せるのかよく分からないが、自分の「耳がいいのかな」と言う。
日本語は「声の芝居」の自由さが母国語より圧倒的にあるから、話し下手な自分を表現するなら日本語しかないと思った。それが日本語の声優を目指した理由だった。
「日本語は『流暢に話せる第二外国語』という位置づけだ」と語ったのは、レジャバ駐日ジョージア大使。自分にとってのこころの言葉はジョージア語なのだという。
日本語は配慮のある言語なので、仕事をする上では使い勝手のいい言語だが、丁寧な言葉を使って「話せる」だけではコミュニケーションとは言えないと指摘した。
などなど、どのインタビューにおいても、質問している日本語教師の方がびっくりすることばかりの、日本人では気づかない「日本語らしさ」ネタが満載である。
自分は外国語を操ることができず、日本語しか使えないので、生徒がどんどんうまくなっていくと、自分は自分よりも能力のある人たちに教えているのだと痛感する、
そんな著者なればこその、溢れんばかりの「リスペクト」の気持ちが相手にも届いて、日本語について日本語で語らねばならない外国人の緊張を解きほぐしたようだ。
まさにこの本は、「外国人に日本語を学ぶ」という姿勢が生みだした、興味津々の対談集なのである。
わたしはときどき学習者に伝える。あなたを尊敬していますよ、と。驚かれることもあるが本心だ。外国語を手中のものにしている人は格好いい。それは途中で挫けず、学び続けたことの証拠だから。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
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外国語学習において、どのレベルを目指すか、満足するかはその人次第。だからこそ、日本語という外国語の山を登り続け高いところに行き着いた人たちに、どんな景色が見えているのか聞いてみたいと思うようになった。
留学生をメインに、子供や外交官など様々な立場・レベル・年齢の人に、細々と日本語を教え始めて15年ほどになるという著者が、そんな願望を持ったのは、
<自分を表現できていると、どうしたら思えるのか、母語ではない日本語を「操っている」という感覚はどうやったら得られるのか>が知りたいと思ったからだった。
選ばれた相手は、韓国出身の歌手、イタリア出身の翻訳者、ベナン共和国出身の大学助教、ウクライナ出身の声優、ジョージア出身の駐日全権大使など、総勢9名。
流暢な日本語を駆使して日本で活躍しているそれぞれの、「今だから話せる当時のこと」を根掘り葉掘り訊き出した、これは日本語習得をめぐる「対話編」なのである。
「間違えて笑われるのは、むしろチャンス」と語った韓国出身のKさんが、来日当初から<絶対日本語で話す>ことに徹したのは、自分の口で伝えたかったからという。
人との距離を縮めたいと望み、自分の気持ちを正確に伝えるにはどうしたらいいかと考え続けてきたことが、Kさんの素晴らしい日本語につながる結果となったのだ。
「日本語で話している時の自分と、イタリア語の自分は人格が違います」と答えたイザベラさんも、初めから母語に逃げ込まず徹底的に「日本語で生活」していた。
日本での記憶、経験が全部入っている自分の日本語は、「ただの言葉」「外国語」ではなくて、そこには日本での時間を日本語で生きてきた自分がいるというのだ。
「自分の頭の中に『理想の日本語』があるんです」と言ったのはべナン出身のエマヌエルさん。自分が言っていることをもうひとりの自分が検証している感じらしい。
気持ちと完全に一致した表現が思い浮かばないというもどかしさが、現在取り組んでいる「ヒトの言語学習を支える会話システム」の研究につながっているようだ。
「語彙も文法も、全部含めて、聞きまくって覚えた」というウクライナ出身のディマさんは、なぜ話せるのかよく分からないが、自分の「耳がいいのかな」と言う。
日本語は「声の芝居」の自由さが母国語より圧倒的にあるから、話し下手な自分を表現するなら日本語しかないと思った。それが日本語の声優を目指した理由だった。
「日本語は『流暢に話せる第二外国語』という位置づけだ」と語ったのは、レジャバ駐日ジョージア大使。自分にとってのこころの言葉はジョージア語なのだという。
日本語は配慮のある言語なので、仕事をする上では使い勝手のいい言語だが、丁寧な言葉を使って「話せる」だけではコミュニケーションとは言えないと指摘した。
などなど、どのインタビューにおいても、質問している日本語教師の方がびっくりすることばかりの、日本人では気づかない「日本語らしさ」ネタが満載である。
自分は外国語を操ることができず、日本語しか使えないので、生徒がどんどんうまくなっていくと、自分は自分よりも能力のある人たちに教えているのだと痛感する、
そんな著者なればこその、溢れんばかりの「リスペクト」の気持ちが相手にも届いて、日本語について日本語で語らねばならない外国人の緊張を解きほぐしたようだ。
まさにこの本は、「外国人に日本語を学ぶ」という姿勢が生みだした、興味津々の対談集なのである。
わたしはときどき学習者に伝える。あなたを尊敬していますよ、と。驚かれることもあるが本心だ。外国語を手中のものにしている人は格好いい。それは途中で挫けず、学び続けたことの証拠だから。
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