(FAイエイツ 水声社)

彼が座を外していたわずかの間に、大広間の屋根が崩れ落ち、客人は一人残らず瓦礫の下敷きとなって果てた。いずれの死体も損傷がひどく、埋葬すべく引き取りに現れた身内の者にさえ見分けがつかない。

<しかし、シモニデス(前4世紀ケオス出身の詩人)は、人々が座っていた場所を覚えていたので、どの遺体が誰のものか親族に教えてやることができた。>

と、キケロがその著作で生き生きと語る「記憶術発明」の逸話は、古代ローマの雄弁家が活用した「場」と「イメージ」による記憶術の概略を紹介したものだった。

記憶するための場としてその時代の「建築」を用い、そこにその時代のシンボルなどの「イメージ」を置くことで、記憶を刻み込むというこの「記憶技術」には、

当然の結果として、その時代の空気が色濃く染み付くことになる。本書の前半では古典時代、ギリシア時代から中世へと渉る、綿密な記憶術変遷の歴史が辿られる。

そんな弁論家のための中世的「記憶技術」が大打撃を受けたのは、イメージ世界を開拓するルネサンス時代の到来と画期的な「印刷術」の出現によるものだった。

活版印刷によって同じ本が豊富に出回るようになったことで、書かれた内容を逐一記憶にとどめる必要などなくなってしまったのである。(ググればいいのだから)

だが、事実はそうではない。実際には、記憶術は退潮を見せるどころか、奇妙にも生き長らえることになる。・・・今度はヘルメス主義的な、つまり隠秘主義的な秘術となって、ヨーロッパの中心的な伝統のそのまた中心的な位置を占めつづけることになる。

7段の上り勾配が7つの惑星を表す7つの通路で貫かれ、そこにおいて宇宙は、そのすべての部分がその中に含まれる永遠の秩序との有機的連関を通して想起される。

ジュリオ・カミッロの<記憶の劇場>は、古典的記憶術の場とイメージの瓶の中に、ルネサンスの「隠秘哲学」の流れという強いワインを注ぎ込んだものだった。

自らの聖なる「精神」の小宇宙の中に聖なる大宇宙を反映させながら、世界を把握できる魔術的記憶術を形成しうると考えたのである。

同心軸の輪が大きく30に分割され、それぞれがまた5つに分割されて、そしてそのそれぞれにほとんど解読できない大きさの文字が、びっしりと書き込まれている。

ジョルダーノ・ブルーノの<『影』の秘術>は、150のイメージが30組のリストになって、回転する同心軸の輪上にすべて配置されるよう目論まれたものだった。

自然の根源には混沌とした状態で原型的イメージが存在しているのであるが、魔術的記憶術はそれらを混沌のなかから引き出し、その秩序を回復し、人間に神的能力を取り戻してくれるものなのである。

魔術化された護符的な想像力を用いる「円形術」と、物質的なもののイメージを通じて行なう「方形術」と、記憶術として可能なものはこの2つの技術だけだという。

ロバート・フラッドが、言葉の記憶と事柄の記憶のための体系として使おうとした<世界劇場>そのものは、「喜劇や悲劇が上演される大衆劇場」と似ていた。

単語、文章、ある談話や諸々の主題等々が生みだす所作のすべて[が示される所]を、私は劇場と呼ぶ。

世界記憶体系の舞台として「本物の」大衆劇場を使うとすれば、その名が世界そのものを暗示する「グローブ座」以上にふさわしいものがあるだろうか?

「世界はすべて劇場である。」フラッドはこの人口に膾炙した言葉の再検討をうながしている、というのが長い論考の末に著者がたどり着いた途中下車地なのである。

ふりかえってみて、伝説に残るあの不幸な晩餐の後でシモニデスが発明したとされる技術が歴史の全過程に対して持った意義を、なんと僅かしか理解しえていないかということを、私は今あらためて認識するものなのである。

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