金沢の三文豪のひとり室生犀星は、抒情詩だけでなく、詩人的感性が生み出した初期の小説、数多くの自伝的なエッセイなど多彩な分野の著作を残しました。(「室生犀星記念館」パンフレットより)
というわけで、恒例の「金沢たんてい学」今回のテーマは、
意外に知らないふるさとの偉人、室生犀星の足跡をたどって、千日町・白菊町界隈を歩いてみることにしました。
集合場所は「神明宮」。
本日1月15日は「左義長」で、境内で焚かれている焚火には、多くの人々が外した正月飾りを燃やしに訪れていました。
元々は前田家の正月飾りを燃やすために、寺社では禁止されている焚火を、この神社だけが許されていたのだそうで、
つまりはここが、「左義長」発祥の地、「お神明さん」は、金沢旧五社の一つに数えられる由緒ある神社なのです。
犀川大橋の橋詰に建つ小さなお寺は「雨宝院」。


こちらは、住職の養子となった犀星が幼少を過ごしたお寺として知られています。
境内にある「まよひ子石」は、「尋ね人」がある人は何はともあれここへ来て、情報を求めればいいという、
今でいえば「掲示板」のリアル版のようなものということになるでしょうか。
ここから泉用水沿いに、千日町の細い裏路地を巡り、いくつかのお寺を覗いて、たどり着いたのは、
「室生犀星記念館」。


犀星の「生家」の跡地に建つこのミュージアムは、そのパンフレットにもあるように、
初めて犀星を知る人であっても、現代を生きる自分につながる犀星の生き方と、犀星文学の豊かな魅力との出会いを通して、
生命賛歌への強い共感を呼び起こしていただこうという、熱き想いに満ち溢れた施設なので、
雪交じりの寒風吹き荒れる「町歩き」に、凍えきった「たんてい団」の身も心も温めてくれたのでありました。
さて本日のお楽しみ、懇親会の会場は、
「ラ・ネネグース」。
かつては新神田にあったフレンチの名店が、犀川河畔の古い町屋を改修して、お洒落に生まれ変わりました。
実はこれが目的だった、なんてことはありません。ないはずです。・・・少しは、あったかも。
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
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というわけで、恒例の「金沢たんてい学」今回のテーマは、
意外に知らないふるさとの偉人、室生犀星の足跡をたどって、千日町・白菊町界隈を歩いてみることにしました。

本日1月15日は「左義長」で、境内で焚かれている焚火には、多くの人々が外した正月飾りを燃やしに訪れていました。
元々は前田家の正月飾りを燃やすために、寺社では禁止されている焚火を、この神社だけが許されていたのだそうで、
つまりはここが、「左義長」発祥の地、「お神明さん」は、金沢旧五社の一つに数えられる由緒ある神社なのです。
犀川大橋の橋詰に建つ小さなお寺は「雨宝院」。


こちらは、住職の養子となった犀星が幼少を過ごしたお寺として知られています。
境内にある「まよひ子石」は、「尋ね人」がある人は何はともあれここへ来て、情報を求めればいいという、
今でいえば「掲示板」のリアル版のようなものということになるでしょうか。
ここから泉用水沿いに、千日町の細い裏路地を巡り、いくつかのお寺を覗いて、たどり着いたのは、
「室生犀星記念館」。


犀星の「生家」の跡地に建つこのミュージアムは、そのパンフレットにもあるように、
初めて犀星を知る人であっても、現代を生きる自分につながる犀星の生き方と、犀星文学の豊かな魅力との出会いを通して、
生命賛歌への強い共感を呼び起こしていただこうという、熱き想いに満ち溢れた施設なので、
雪交じりの寒風吹き荒れる「町歩き」に、凍えきった「たんてい団」の身も心も温めてくれたのでありました。

「ラ・ネネグース」。
かつては新神田にあったフレンチの名店が、犀川河畔の古い町屋を改修して、お洒落に生まれ変わりました。
実はこれが目的だった、なんてことはありません。ないはずです。・・・少しは、あったかも。
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