暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

徒然読書日記(この本を読め!)

『見るだけでわかる微分・積分』

(冨島佑充 PHP新書)

あなたは、微分積分とは何かと聞かれたら、どう答えるでしょうか?そんなこと、考えたこともないかもしれませんね。私はこう答えます。

<微分積分とは、「未来予測の数学」である、と。>

というこの本は、自身が金融機関のデータサイエンティストとして、金融市場の分析・予測に微分積分を使い倒してきたと豪語する専門家の立場から、

微分積分の本質や、それを理解することの具体的なメリットについて、「これ以上分かりやすくできない!」くらい丁寧に説明してくれるものだ。

高校時代にその計算方法や公式は学んでいても、それが「何の役に立つのか?」という根本的な疑問については、何の説明も受けた記憶がないという多くの人にとって、

微分積分が人類のどういうニーズから生まれ、なぜ重要で、どう役に立っているのかを、ロケットや天気予報の具体例なども交え知ることは、とても新鮮だろう。

この著者によれば、「未来予測の数学」である微分積分の基本的な考え方は、<「変化を積み重ねる」ことで未来を予測する>ものだという。

そのためには、まず第1ステップで、一つひとつの小さな変化を考え、次に第2ステップとして、その変化が積み重なっていくと最終的にどうなるかを把握する。

<小さな変化を考える>ときに使われるのが「微分」であり、<変化を積み重ねた結果を考える>のが「積分」だというのである。

古代ギリシャで、複雑な図形の面積を求めるために生まれた「とりつくし法」に起源をもつ「積分」が、グラフの面積を求める計算だったのに対し、

それよりずいぶん遅れた中世の戦場で、砲弾の軌道を正確に知るために生まれた「微分」は、グラフの接線を求める計算だった、なんて歴史的背景もさることながら、

地球の大気を格子状に細かく区切り、その一つひとつの格子について、気圧、気温、湿度がどうなるかを計算し、最後にその結果を足し合わせ予測している天気予報。

ドライバーが一定のペースでハンドルを回転させながら走行する、その瞬間瞬間の進む方向を計算し、その結果、車が描く軌跡に合わせて設計された高速道路のカーブ。

日々変動する株価を微分の発想で数式に落とし込み、リスクを伴う株式投資においても、最善の行動が取れるようにしてくれたオプション取引、などなど。

データや数学を駆使した高度な未来予測によって支えられている現代社会の、その未来予測を支えているのが微分積分の思考法であることが示されていく。

さらには、ここで学んだ微分積分の基本思想は汎用性が高いので、単なる教養の域を超えて、普遍的な問題解決のテクニックとしても使えるという。

・難しい課題は、考えやすい単位に細かく分けて考えること。(微分の発想)

・分けて考えた後、それらを集めて再び大きな視点に戻ること。(積分の発想)

これこそが、この著者が極力数式を使わず微分積分を解説しようとしたこの本で、特に強調したかったことのようなのである。

仕事や日常生活で直面する色々な課題にこうした発想を当てはめてみると、思いもよらぬ解決策に行き着くこともあるのではないでしょうか。

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『陰翳礼賛』

(谷崎潤一郎 中公文庫)

もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。

屋根が高く尖ってその先が天に沖せんとするかのような西洋寺院に対し、大きな庇が作り出す深い蔭の中へ全体を取り込んでしまうわが国の寺院の伽藍を見ても、

空間を壁で囲い、少しでも多く内部を明りに曝そうとする西洋と、傘を拡げて大地に一廓の日蔭を落し、その薄暗い陰翳の中に空間を造る、彼我の違いは歴然である。

日本家屋の庇が長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があるのだろうが、「美」というものは常に生活の実際から発達するものだというのだ。

<暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。>

というこの本は、日本を代表する文豪が「陰翳」を切り口に日本建築の美を語った名著として、暇人の建築学科学生時代にはバイブルのような扱いだったものだが、

語られるテーマはなにも建築に限られたものではなく、伝統的な日本文化の美と日本人の独特な美意識について、自らの体験に基づく「蘊蓄」が傾けられている。

ゆらゆらとまたたく燭台の蔭でこそ魅力を帯びる、沼のような深さと厚みを持った漆塗りの美しさ。「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは生まれ出ない。

顔以外の空隙へ悉く闇を詰めてしまうことで、黄色い顔を白く浮き立たせたお歯黒という化粧法。昔の女は襟から上の顔と袖口から先の手だけの存在だった。

ある程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさ。古来、日本建築の中で一番風流に出来ているのは厠であった。

と、近代生活へと変貌を遂げようとする世の中(執筆当時昭和8年)で、仄暗い場所がどんどん失われていくことへの哀惜が綴られていくわけなのだが、

一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろいろな故障や不便が起っていると思われる。

<もし東洋に西洋とは全然別個の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか。>

というのが、この小論を単なる老人の愚痴に終わらせない、もう一つのテーマである。「われわれは借り物のために損をしている」という。

西洋人が彼らの芸術に都合がいいように発達させた機械なのだから、それに迎合しようとすることは、却ってわれわれの芸術自体を歪めてしまうというのである。

もちろん、もはやそうなってしまった以上、もう一度逆戻りしてやり直す訳にいかないことは、谷崎にしても重々承知している。

その上で、その「損」を補う道をまずは自分が歩み出してみようという、これは文学領域への「陰翳世界」奪還作戦の宣言でもあったのだ。

文学という殿堂の軒を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。

「まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」

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『愛と暴力の戦後とその後』

(赤坂真理 講談社現代新書)

日本語とは、日本とは、なんだろう、と思った最初は、15歳だった。そのころ私はアメリカの東海岸の果てに一人でいて、ホストファミリーの家から高校に通っていた。ある上級生の少年が、私にこう訊いた。

「どう書くの/君の名前を/チャイニーズ・キャラクターで?」

日本人である自分の名前と「中国人の性格」の間に何の関係があるのか、と一瞬むっとした次の瞬間、記憶と認識が噛合い、静かに雷に撃たれたような思いを覚える。

<チャイニーズ・キャラクターって、『漢字』のことか!>

明々白々に、書いてあるのだ。漢民族の「漢」と!そして、日本で男のことを「漢」とも言う。そうか、そのときどきのドミナントな文明を「男」と見立て、自らを「女」の地位にしてやってきた文明なのだ、日本は!

「それが昔は中国で、今は米国だ」という父祖たちが抱えてきた鬱屈を体で理解できたことが、30数年後の彼女に『東京プリズン』を書かせることになる。

なんとか「男」になろうとした明治国家の焦りと、昭和20年の敗戦という大きすぎる挫折という、自分の世代で母国にいたならば味わうはずのなかった感情。

<それを思ったとき、なぜだか強烈な「恥」を感じた。>

というこの本は、赤坂真理が東日本大震災の少し後に書き始めた『まったく新しい物語のために』というメールマガジンが元になっている。

巨大津波と原発事故によって、「戦後」や経済成長という物語が終わってしまったのなら、どんなヴィジョンが次にありうるのだろうか、という問題意識からだった。

しかし、結果としてそういう「新しい物語」はなかなか紡ぐことができず、むしろ逆に、日本社会は「古い物語」にしがみつこうとしてきたことに気付くことになる。

<消えた空き地とガキ大将>
――高度経済成長期とは、人が私有を追求するために共有空間をなくしていった過程であった。

<安保闘争とは何だったのか>
――政治の季節の後には大掛かりでキャッチ―な経済政策が打ち出され、その都度、国民は経済の方を選んだ。

<オウムはなぜ語りにくいか>
――「神を創ってそのもとにまとまり、聖戦を戦い、そして負けた」敗戦後の日本の姿、そのものではないか。

<憲法を考える補助線>
――戦争は破壊と喪失以外に何ももたらさないが、ごくまれに奇跡のようなこんな概念を世に出すことがある。

歴史に詳しいわけではないごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうとすれば、教えられなかった事実を知る過程で習った、なけなしの前提さえ危ういこともある。

<そのときは、習ったことより原典を信じることにした。少なからぬ「原典」が、英語だったりした。>

これは、一つの問いの書である。問い自体、新しく立てなければいけないのではと、思った一人の普通の日本人の、その過程の記録である。

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『江戸の性風俗』―笑いと情死のエロス―

(氏家幹人 講談社現代新書)

かゝる女に命棄つる者もあるかと思へば、今までわが婆の「饅頭の干物」、「鮪の剥身」などと言ひしは、いとも畏く、あら有難や勿体なやと、天にも地にもあらず嬶を尊く思へば、かく敬うなり。

と、日頃「悪口」を言ってからかっていた美人妻に、突然恭しく土下座して驚かせてしまったのは、幕末の名勘定奉行としてその名も高い川路聖謨である。

奈良奉行時代に不倫相手殺害の罪で白洲に引き出された女性が、さぞかし若くて美人に違いないという期待に反して、すでに四十過ぎの珍しいほどの「醜女」だった。

「これにて人一人死せしや」としばし感慨に耽り、我が身が美人妻に恵まれていることがこの上もなく尊く感じられて、思わず頭を下げてしまったというのである。

ところで、ここで「みな飯をふきたり」と聖謨の日記『寧府紀事』にはあるので、潤いを失った女性器を揶揄する言葉は一家団欒の食事時に吐かれたことになる。

というわけでこの本は、前にもご紹介した『江戸奇人伝』―旗本・川路家の人びと―の猥談部分にスポットを当て(実はこちらの方が先著なのだが)、

江戸から明治時代における日本人のおおらかな「性」に対する認識を、「日記」という等身大の現実の世界から照らし出して見せた力作なのである。

あな惜し。御運あらば天子・将軍の「角のふくれ(男根)」にもあき給ふべきに、老尼の「未通女(ヲトメ)」にて終せ給ひし御事よ。此強飯よく回向していただき候へといふに、みなみな笑ふ。

浄観院(12代将軍家慶の室)の姉君、円照寺の宮の一周忌の強飯が届けられた時の話である。天皇か将軍の妻になっていれば、性の喜びも享受できたのに、

「ああ、もったいない」と、幕臣として異例なほど天皇家を尊重する気持ちの強い人だった聖謨も、こと「性」の話(下ネタ)となると豹変するのだ。

元々は中国で皇太子の性教育のテキストとして作成されたものが、より豊かな性生活を享受したり、オナニーの友として活用されるようになった「春画」の話。

太平の気分が蔓延する中、闘争と流血の日常的な緊張感から解放された男たちの間で、“あぶない恋”として敬遠され始めた武士型「男色」の変容の話。

なぜ江戸時代の人々は、情死という破滅的な結末にかくも多大な関心を注ぎ、しばしばこれを美化し、腐乱していく死体の見物に列をなしたのかという「心中」の話。

そして、明治に入り・・・

Madam(柱:細君と同じ)の陰毛を撫でておると、到頭慾を発し、後ろから犯す。精液がどろどろ、快甚だし。(9月3日)

と、夫人との“愛の語らい”を毎回欠かさず日記に記録していたというのは、小説『不如帰』や数々の名随筆で知られる明治の文豪・徳富蘆花だが、

それはさておき、「養生」(健康維持)のために性交の記録を残した人々のお話。はたして、セックスの回数は何歳でどのくらいが妥当だったのか、などなど。

<江戸時代とはどういう時代であったのか?>

少なくとも性愛の領域において、その等身大の姿はほとんど明らかにされていない、というのがこの著者の主張なのである。

意外な発見?いいえ、私たちは当時の様々な記録により細やかな眼差しを注ぐことによって、同様の(あるいはさらに豊かな)事例に数多く遭遇できるのではないでしょうか。

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『死の舞踏』―恐怖についての10章―

(Sキング ちくま文庫)
 
かれこれ30年前に書いた本書『死の舞踏』(Dance Macabre)では、モンスターと暴力についての物語に惹かれる人は本質的にきわめて健全だ(病的な場合もあるかもしれないが)と主張した。

想像力豊かな人間は自分が脆いという事実をしっかり見据えており、物事がなんでも、いつでも、どうしようもなく悪い方向へ進むという可能性に気づいている。

<そうとも、特大の想像力を持つ人間はそれを知っている。>(『恐怖とは』――2010年版へのまえがき)

というこの本は、いまだにモダン・ホラー界に君臨し続けるキングが、40年以上も前にその時点でのホラーの代表作を論じた、話題の名著の待望の復刊である。

映画、ラジオ、テレビ、そして小説におけるホラーの代表作を、それと出会った自身の恐怖体験も交えながら、時代順に語っていくため、自伝としても楽しめるが、

・ホラー映画がビッグバジェットのものにかぎってつまらないのはなぜか?
・ホラー・ファンが期待と共に映画館に入っては不満と共に出てくる羽目になるのはなぜか?
・期待しない映画のほうがおもしろくて、戦慄と驚嘆の不意打ちを喰らわせてくれるのはなぜか?

という「変わらぬ疑問」を胸に抱き続けるキングが語ろうとしているのは、あくまで「そもそも怖いということはどういうことか?」という根源的な問いなのである。

かろうじて定義もしくは論理といえるものがあるとしたら、ホラーを成立させる感情には大きく分けて3つのレベルがあるということだろうか。

第1のレベルは<嫌悪 リヴァルジョン>。

映画『エクソシスト』で、少女リーガンが司祭の顔にゲロを吐きかけるシーンのような、生理的な不快さを催す“ウゲッとなる”レベルである。

第2のレベルは<恐怖 ホラー>。

小説『鼠』で、一読、体じゅうをネズミが這いまわり、生きながら食われる感覚を味わうような、不定形だが実体のあるものによる“ぞっとする”レベルだ。

そして、第3の最高レベルが<戦慄 テラー>。

小説『猿の手』で、ドアをノックする音が響き老女がドアに駆け寄るとき、心の目に映った忌まわしい映像があなたの脳裡を駆け巡る。ヒィーッヒッヒッヒッ・・・

もちろん、あるレベルが別のレベルより読者に与える効果が大きいからといって、そればかり贔屓にするような姿勢は避けるべきだ、といった具合に、

それぞれの具体的な作品を例に取り上げながら、「それがなぜ怖いのか」を縦横無尽に分析する解説が、700頁超に渡って繰り広げられていくだけでなく、

付録として用意された、おすすめ映画100本、取り上げた書籍100冊のリストも、守備範囲がきわめて広く目配りが効いているため、

キングの愛読者は言うに及ばず、世のホラー小説ファン、B級映画ファンの皆様も、ぜひともお手元に置いて「座右の書」とすべき名著であると言わねばなるまい。

さあ、そろそろ本当にお暇しよう。おつきあいくださってありがとう。ゆっくりお休みください。もっとも、私は腐ってもスティーヴン・キング、「よい夢を」と申し上げるわけにはいかないが・・・。

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『アーリア人』

(青木健 講談社選書メチエ)

本書は、「イラン系アーリア人」という従来は充分に注目されてこなかった視点から、1400年以上に及ぶ西アジア〜中央アジアの歴史を見渡し、各民族を適切に布置した列伝を作ることを目的としている。

前3000年紀には言語的特徴によって括られる一体性のある集団として、中央アジアで牧畜生活を営んでいたと見られる「インド・ヨーロッパ語族」の中から、

まず、西方のヨーロッパへ向かう集団が分岐して、形質的には「金髪・碧眼・長身・細面」を特質とする、現代の白色人種の祖となった。

この時に、中央アジアに残った集団の方を「アーリア人」と称し、後の移動先から「インド・イラン人」とも呼ぶのだそうだが、

インド亜大陸で定住した「インド系アーリア人」は分布地域と名称が対応しているのに対し、「イラン系アーリア人」の分布がより広範囲に拡散したのは、

馬と二輪戦車(チャリオット)の活用を学んだことにより、急激にその戦闘能力と移動距離を伸ばしたからだという。人類史上初の「騎馬遊牧民」が誕生したのだ。

<騎馬遊牧民は自身の文献資料をほとんど残さないから、彼らの正確な離合集散を追跡することはまず不可能である。>

しかし、「遊牧民」あるいは(先住民の土地を奪って住み着いた)「定住民」という形態で、西アジア〜中央アジアに広く分布した彼らに関する知識を欠けば、

メソポタミアとエジプトを中心とした古代オリエント文明の時代から、一足飛びにイスラームが出現するような、1400年の空白を抱えた世界史となってしまう。

西アジア〜中央アジアの歴史・宗教・文化を理解するために、資料の濃淡にかかわらず、イラン系アーリア人に含まれる遊牧民・定住民を均等に概観すること。

それが、ゾロアスター教を専門とする気鋭のイラン・イスラーム思想学者が取り組んだ、いささか専門外の分野にまで踏み込んだ本書におけるスタンスなのである。

中央アジア草原の覇者<イラン系アーリア人騎馬遊牧民>
最初の騎馬遊牧民――キンメリア人、スキタイ人、サカ人
フン族との遭遇――サルマタイ人、アラン人
イラン高原に遊牧王朝を樹立――パルティア人

東西交易の担い手<イラン系アーリア人定住民>
最初の定住民の王国――メディア人
2つの世界帝国の栄光――ペルシア人
ヘレニズムと仏教の受容ーーバクトリア人、マルギアナ人
シルクロードの商業民族――ソグド人

活動範囲も広く相互関係も複雑な諸民族の、個別の民族史としての足跡を重ね合わせることで、中央アジア周辺を舞台に繰り広げられた興亡の歴史が活写されていく。

さて・・・<「アーリア人」を論じる上で避けて通れないのが、ナチス・ドイツである。>

ヒトラー総統は、インド・ヨーロッパ語族全体を「アーリア人種」と名づけ、中でも遠い親戚に過ぎない「ゲルマン民族」の形質以外に根拠のない優越性を誇示し、

「優秀なるアーリア民族が世界を征服して支配種族を形成すべきだ」と、鉤十字(アーリア人のシンボル)の旗印の下に大量虐殺を重ねたことは、周知の事実である。

この的外れな愚挙の結果、20世紀後半には「アーリア人」という概念そのものが、語ることさえはばかられるタブーと化してしまったのだ。

だが、ヒトラーが描いた「アーリア人」が虚妄の産物だったとしても、実体を具えたアーリア人は歴史上たしかに存在していたし、その末裔は今でも現存している。ナチス流の「野蛮にして高貴なるアーリア人」を否定することに急であるあまり、本来の「アーリア人=インド・イラン人」の存在まで歴史上から消去するには及ばないだろう。

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『蜘蛛女のキス』

(Mプイグ 集英社文庫)

「彼女は脚を組んでるの。靴は黒よ。ヒールの高くて太い。靴の先のところが開いていて、黒いペディキュアを塗った爪がのぞいてたわ。光沢のあるシルクのストッキングが肌にぴったりくっついてるものだから、肌がピンクなのかストッキングの方がピンクなのか区別できないのよね」
「すまないが、頼んだことを忘れないでくれ。刺激的な話はやめてほしいんだ。ここでやられたんじゃかなわない」


不眠に悩み寝物語を頼んでおきながら、その濃密な内容にいささか閉口しているようなのはバレンティン、彼は26歳のテロリストだった。

超B級映画『黒豹女』の筋書きを、思い入れたっぷりに語って聞かせているのはモリーナ、彼女は実は37歳のホモセクシャル、つまり中年男なのである。

この物語が、全編ほぼこの2人による会話のみで進められていくことになるのは、

マルクス主義革命を標榜する政治犯バレンティンと、未成年の子供への猥褻罪で懲役刑を受けたモリーナとが、同じ房に収監されることになったから。

そんなわけで、このお話はブエノスアイレスの刑務所が舞台となっているのであれば、

ごくノーマルな異性愛者であるバレンティンが、「ここでやられたんじゃかなわない」と悲鳴を上げるのも、無理のない話なのではあった。

男にキスをされると黒豹に変身してしまう自らの血筋にまつわる伝説におびえる『黒豹女』。

パリの有名な歌姫がナチスの青年将校を愛したがために命を落とす『大いなる愛』。

顔に恐ろしい傷を負ってしまった美貌の青年ととても醜い顔をしたメイドとの結婚を描いた『愛の奇跡』。

許婚者が抱える秘密も知らずカリブ海の島に嫁いだ娘を襲う恐怖の体験『甦るゾンビ女』。

それぞれの映画に自分なりの思い入れを込めて、ヒロインになりきって語り続けるモリーナに対し、

政治的な立場からどうしても合理的に解釈してしまい、余計な茶々を入れて興趣を削いでしまうバレンティン。

初めのうちはすれ違うことの多かった2人の会話も、密室での共通の時間を過ごすうちに、いつしかお互いへの理解も深まっていき・・・

「知りたいことがあるんだけど・・・あたしにキスするの、すごくいやなことだったの?」
「う〜ん・・・。きっと、あんたが黒豹にならないかと心配だったからだ、最初に話してくれた映画に出てくるみたいな」
「あたしは黒豹女じゃないわ」
「確かに、あんたは黒豹女じゃない」
「黒豹女だったらすごく哀れね、誰にもキスしてもらえないんだもの。全然」
「あんたは蜘蛛女さ、男を糸で絡め取る」


結局、保釈を餌にバレンティンから情報を聞き出すことを託されたモリーナは、その約束を果たすことなく当局の期待を裏切り、

囮として釈放されたことも知らず、バレンティンからの伝言を伝えようとして、逆に秘密の漏洩を恐れた彼の仲間たちに殺害されてしまうことになるのだが、

それは恐らく、愛する男のために命を捧げるという、モリーナが最も望んでいたヒロインとしての最期だったというべきなのだろう。

<聞きたくないわ、あなたの仲間の名前だけは>、マルタ、ああ、どんなに君を愛していることか!これだけが君に言えなかったんだ、おれはそれを君に訊かれないかと心配だった、そうしたら君を永久に失うんじゃないかと、<だいじょうぶよ、バレンティン、そんなことにはならないわ、だって、この夢は短いけれど、ハッピーエンドの夢なんですもの>

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『大聖堂』

(Rカーヴァー 中央公論新社)

彼女の仕事の最後の日、盲人は彼女に向かって、君の顔をさわらせてはくれないだろうか、とたずねた。どうぞ、と彼女は言った。盲人は彼女の顔じゅうに指を走らせた。鼻とか、それから首までもだ!

前の夫との結婚前に、新聞の求人広告で見つけた盲人のための代読作業をしていた妻は、その出来事をいつまでも覚えていて、それについての詩まで書いていた。

彼女と盲人とはそのあとも十年に及ぶ交流を続け、孤独な結婚生活、自殺未遂、離婚、そして私と付き合い始めたことも、テープに吹き込んでやり取りしてきたのだ。

<ところが今回、そのわけのわからない盲人が私の家に泊まりに来るというわけだ。>

という表題作『大聖堂』を締めとして、カーヴァーの作品の中では「最も粒の揃った」(訳者・村上春樹評)十二編の名篇を収録した短篇集である。

夕食に招待された同僚夫婦の家には、奇妙な孔雀と不細工な赤ん坊がいた。しかし、彼らなりに幸せな家族のありように感化され、自分たちもと決意するのだったが、

その後、待望の子供が生まれるが、私にとってそれは裏目に出てしまう。何が原因だったのかはわからないが、あの夜のことを思い出すのだ。
(『羽根』)

誕生日の朝、登校中に交通事故にあい意識不明となってしまった子供に、付き添っている両親が交替で自宅に着替えに帰ると何度もかかってくる不審な電話。

それは注文したケーキを「取りに来い」というパン屋からの催促だった。お互いの誤解が解けた時差し出されたのは、焼き上がったばかりのシナモン・ロールだった。
(『ささやかだけれど、役にたつこと』)

アルコール中毒療養所で出会ったJPは、煙突掃除の娘と結婚し、煙突掃除人となって幸福な人生を送っていたのだが、突然強い酒に溺れるようになってしまった。

そんなJPの元へ面会に訪れた妻との温かな触れ合いがあって、ぼくは躊躇っていたガールフレンドへの電話をしようと思うのだ。「やあ、僕だよ」
(『ぼくが電話をかけている場所』)

など、誰もが「うまくいかない人生」を抱えながら、懸命にもがいているようなお話しばかりなのだが、それを見つめる作者の優しい視線が心をほっこりさせてくれる。

「もしあなたに友だちがいて、その人がうちに来るとしたら、それがどんな人だろうが私は温かく迎えるわよ」
「僕には目の見えない友だちなんかいないぜ」
「どんな友だちもいないくせに」

と友だちの来訪に妻が舞い上がり気味なのが、なんとなく面白くないのは、二人の仲を疑っていることもあるが、目が見えないということが実感できないからだった。

しかし、一緒に酒を飲み、マリファナを吸っているうちに次第に打ち解け、たまたまテレビに映し出された「大聖堂」の画面の説明をすることになって事態は動く。

「うまく説明できないや」という私に、「紙とペンを持ってきて、二人で一緒にその絵を描いてみよう」と盲人は言ったのだ。「さあ、目を閉じて」

私の指の上には彼の指がのっていた。私の手はざらざらとした紙の上を動きまわった。それは生まれてこのかた味わったことのない気持ちだった。・・・「たしかにこれはすごいや」と私は言った。
(『大聖堂』)


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『うたかたの国』―日本は歌でできている―

(松岡正剛 米山拓矢編 工作舎)

そもそも日本の歌は時や所を超えて継承されていくものだ。心情や技法が継承されるのは当然だが、歌はもともと「うたた」するというものなのだ。「うたた」というのは「転」という漢字をあてる。うたた寝の「うたた」だ。

<歌は転々と「うたた」をしていくものなのである。>
(『万葉集の詩性』角川新書・2019)

と、博覧強記の編集工学者・松岡正剛が1979年から2019年にかけて著した、人知を超えるほど多種多彩なテーマに渉る著作群の中から、

「詩歌」について書かれた文章の、それも「日本のもの」のみを抜き出して「再編集」した、これは珠玉のリミックス本なのである。

こんな本を企画した、松岡が主宰するイシス編集学校の師範代・米山拓矢が、あとがき―「うまし言の葉」を編集工学で味わう―で述べるところによれば、

松岡さんの膨大な量の歌語りを精選して詞華集(アンソロジー)に編み直してみたら、これまでにないような通史的かつ編集工学的な歌論が浮かび上がってくるのではないだろうか。(編者あとがき)

「日本という方法」を語るために紹介してきた歌たちを、主客をひっくりかえして歌を主役にしてみたら、新しい「松岡日本論」が生まれるに違いないというわけだ。

つまりこの本は、「ぼくが書いたテキストがすべてもとになっているとはいえ、仕上がったものはまったく見違えるほどにおもしろく・・・」と松岡も驚いたように、

何百枚もの楽譜をおこして、美しい律動や平仄を揃えてみせた、編集者・米山(剛腕で最後の編曲をまとめ発刊にこぎつけた工作舎・米澤敬と)の手柄なのである。

本歌どりとは本歌に肖った歌なのだ。「あやかり」という編集技法なのだ。「あやかる」は「肖る」で、そのプロフィールやフィギュアをずらしながらもってくることをいう。このこと、「すがた」(姿形)をうつす、とも言った。姿は「す・かた」(素・型)のことである。

<もっと正確なことをいえば、たんに引用しているのではなく、引用したものに自分の好みを重ねたのだ。そして、本歌と自分の好みを競わせたのだ。>(『千夜千冊』ウェブサイト)

という意味で言えば、この本は松岡の十八番(おはこ)は実は「歌」だと確信する愛弟子が、師匠直伝の編集技法を駆使して「肖った」本歌どりの力作なのである。

「うたの苗床」とも言うべき音と声と霊の論証から始まって、古代・記紀万葉から平安・古今、中世・西行、近世・良寛まで。

良寛にとっての無常は外観に吹き荒れる動向です。その動向はもちろん自分にもさしかかっているのですが、それはどちらかといえば一般的な人生の姿にすぎません。ただ良寛は「無常まことに迅速、刹那刹那に移る」ということを告示したかった。

<良寛は書くことで、書くことを捨てている人です。>
『外は、良寛。』芸術新聞社・1993)

さらに、物語では源氏から浄瑠璃まで、歌謡では今様から念仏、端唄まで、「ひふみよいむな」の七章で展開される、日本の「うた」の絵巻模様の世界。

「たらちねの」で「母」という情報の束を、「ひさかたの」で「光」に関する情報が出てくる、枕詞のパスワードとしてのプロトコル能力の素晴らしさ。

約500種以上ある歌枕も、そこに行かずしてそこにまつわるイメージを喚起し、湧き出る感情まで表象できてしまう「和歌という方法」の論述。

ぼくは日本の和歌や物語は文芸というより、日本文化の大切なものを保持しておく情報編集装置だったと思っているし、文様や模様や色どりはそれを明示するための必要不可欠な表象だったと思っている。
『日本問答』岩波新書・2017)

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『スルメを見てイカがわかるか!』

(養老孟司 茂木健一郎 角川Oneテーマ21)

人間と情報の一番大きな違いは何か。情報は、はなから止まっているけれども人間は動いているという点です。人間はいつでも動いていて、二度と同じ状態がとれない。そういうものが人間です。

<人が生きているというのはそういうことなんです。>

にもかかわらず、「人間は変わらないけれど、情報は毎日変わる」と思い込んでいる。そういう逆なところから話をするから、分からなくなるのだという。

我々が扱っている相手は二つあり、一つはひたすら変わっていくものとしてのシステム、もう一つは停止したものとしての情報。そして「言葉」は情報に属している。

学者が論文を書くということは、生きたシステムとしての生き物を、言葉の羅列としての情報として、止めてしまうということだ。止めないと論文にならないからだ。

「スルメを見てイカがわかるか」(あんた、人間加工して、人間のこと研究してるって言ってるけど、それはスルメからイカを考えてるんじゃないの。)

とは、長年解剖学を専門としてきた養老孟司が言われ続けてきたことらしいが、情報しか相手にできないという意味では、それは科学全般の宿命ではないのか。

というのは、養老孟司が書いた長〜い第1章「人間にとって、言葉とはなにか」からのほんの一部のご紹介であり、第2章から第4章までは養老と茂木の対談となる。

つまり、この本の中味は「キャッチ―」な題名とはかなりかけ離れ、四方八方の話題にまで及んでいくことになる。別にそれはそれでいいのだけれど・・・

どんな本を読むか、意識的に選択することはできる。しかし、その本を読んだ時に、そこからなにを受け取るか、読後どんな感想を持つか、本を読んで一年後に、何を覚えているかといったことは、意識でコントロールできることではない。

脳の中で起こることのほとんどが、意識でコントロールできないのだとすれば、脳を育むことは手入れすること、「たがやす」ことに似ていることになるのではないか。

記憶にはエピソード記憶と意味記憶があり、個々のエピソードの記憶が次第に意味の記憶に編集されていく過程は、人間の意識によってコントロールされることはない。

脳の中で常に密やかに進行している、この無意識の編集過程こそが、人間の脳の行う学習のもっとも重要な部分だというのである。

言葉を発するという行為も一つの運動であるから、多くの場合、私たちは自分が発する言葉を意識的には把握していないのではないかという。

<言葉を磨くためには、意識を通して、無意識にこそ働きかけねばならないのである。>

というのは、茂木健一郎が書いた短〜い第5章「心をたがやす方法」で、支離滅裂になりかけた養老との議論を、無理やりまとめにいった趣がある。

意識ではコントロールできない、無意識のうちに起こる脳内プロセスこそが重要であるという命題は、なにも言葉に限ったことでなく、人生の様々なことに該当する。

<私たちにできることは、大切な自分の無意識を手入れしてあげることだけである。>

ともすれば、意識的にコントロールできると思いがちの多くのことが、実は長い人生の経験の中で無意識のうちに蓄積、編集された、脳の神経細胞の結びつきのパターン記憶に支えられて生み出されているのである。

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暇人肥満児

どのような話題であろうとも、その分野の専門家以外の人が相手であれば、薀蓄を語りだして恐れを知らないという「筋金入りの」素人評論家。本業は「土建屋の親父」よろしくお付き合い下さい。

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