暇人肥満児の付録炸裂袋

「ふろくぶろぅくぶくろ」は、「徒然読書日記」のご紹介を中心に、周辺の話題、新聞・雑誌の時評等、気分の趣くままにブレークします。

徒然読書日記(この本を読め!)

『すべての見えない光』

(Aドーア ハヤカワepi文庫)

それは、夕暮れどきに、空から大量に降ってくる。風に乗って塁壁を越え、屋根の上で宙返りし、家と家が作る谷間に舞い落ちる。通り全体でビラが渦巻き、石畳の上で白く光る。

住民への緊急通知――<ただちに市街の外に退去せよ。>

1944年8月7日、独軍占領下のブルターニュ地方にある古くからの城壁に囲まれたサン・マロの市街は、米軍の爆撃によりほぼ完全に破壊される運命となった。

町の一角にある背が高く幅の狭い家の最上階で、低いテーブルにかがみ込んでいたのは、幼い頃に白内障で視力を失った16歳の少女、マリー=ロール・ルブラン。

独軍の侵攻迫るパリから、国立自然史博物館に勤める父と共に、大叔父を頼って避難してきたのだが、父は陰謀の容疑で投獄され、一人ぼっちとなっていた。

そこから通り5本分隔てた、要塞として使っていたホテルの地下で生き埋めとなり、身動きが取れなくなっていたのは、ナチスの通信兵で18歳のヴェルナー。

ドイツの孤児院で育ち、壊れたラジオを修理する技術を見出されて士官学校へと進み、レジスタンスの放送を傍受するために、フランスへと送り出されたのだった。

というわけでこの本は、第二次世界大戦に巻き込まれた少年と少女の、交わるはずのなかった二人の生と魂の揺れ動きを描いた、感動長編ではあるのだが、

あの名作短篇集『シェル・コレクター』で、孤島に暮し「貝を拾い集める」盲目の老学者の秘められた才能が、「孤独」の中で研ぎ澄まされていく様を描きだした、

「空気の匂い」まで感じさせてくれるような、切ないまでに美しい「自然描写」の力は、この作品でも存分に発揮されていると言わねばならない。

たとえば、サン・マロで初めて海に触れたマリーも貝殻集めに夢中になる。音や匂い、触覚、熱感覚などにより鮮やかにその場の情景を浮かび上がらせてくれる。

誕生日に父親が作る木製の立体パズルを、マリー=ロールはいつも解いてみせる。パズルは家の形になっていることが多く、たいていは小物が隠されている。それを開くには、頭を絞り、手順を踏まなければならない。

住んでいる地区の精巧なミニチュア模型を作り、目の見えない娘に何度も触らせて、一人で外出できるようにしてくれるような、優しい父との触れ合い、など。

目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁波のスペクトルは、ゼロから無限まで広がっているから、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。

孤児院の屋根裏部屋で、何とか修理できたラジオから雑音混じりに流れてきたフランス語の講義に、幼い妹とこっそり耳を澄ませていた甘酸っぱい思い出、などなど。

冒頭の<爆撃の日>へと至るまで、二人がそれぞれ別々に歩んできた、時代の荒波に翻弄される道のりが、交互に短いエピソードとして折り重ねられていきながら、

“見えない光”に導かれるように、劇的な出会いの場面へと収束していく中で、見事に回収されていったかに見えるのだが。

さて、二人の運命は、どうなってしまうのか?

あとは是非、ご自分でお確かめいただきたい。これは暇人がここ数年に出会った中でも、極上の傑作であると、強くお勧めする次第である。

1万もの「きみがいなくてさびしい」や、5万もの「愛してる」、憎しみのメール・・・が、人目につかず、迷路のようなパリの上空を行き交い、戦場や墓の上空を、・・・わたしたちが国家と呼ぶ、傷つき、つねに移ろう風景の上空を飛び交っている。

<だとすると、魂もそうした道を移動するのかもしれないと信じるのは、それほど難しいことだろうか。>

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『イマジナリー・ネガティブ』―認知科学で読み解く「こころ」の闇―

(久保<川合>南海子 集英社新書)

対象(世界)と自分の関係性において、自分がどのように対象を認識するかだけでなく、認識を自分はどのように対象へ付加していくのか?こころと世界はどのようにつながっているのか?

<このようなこころの働きにアプローチする研究の概念が「プロジェクション」です。>

人間は、自分をとりまく物理世界から情報を受け取り、それを処理して表象を作り出しているが、それは人間のこころの働きの半分にしか過ぎず、

実はもう半分では、そこで作り出した表象を物理世界に映し出し、自分で意味づけした世界の中で、様々な活動をしている。

その一連のこころの働きを「プロジェクション」と名付けたのだ。(2015年に認知科学の鈴木宏昭氏が初めて提唱した概念だという。)

「プロジェクション」と一言でいっても、それは「ソース(投射元)」と「ターゲット(投射先)」の関係から、3つの投射タイプに区別することができる。

一つ目は目の前の世界を見たままにとらえる「通常の投射」で、ソースとターゲットが一致しているという、説明するのが申し訳ないくらい当たり前のケース。

二つ目は「いま、そこにない」ことを「いま、ここにある」ものに映し出す「異投射」で、過去の事実など実在しない想像上のモノがソースに投射されるケース。

そして三つ目が「見えない」けれど「たしかにそこにある」という「虚投射」で、幻覚や幽霊など投射される先にソースが存在しないケースである。

主体内部の世界が現実の外部世界とつながることで、主体にとってさまざまな意味や価値が生まれます。それがプロジェクションによってもたらされる効果です。そうして主体にもたらされる効果には、良いものも悪いものもあります。

というわけでこの本は、前著『「推し」の科学』で、プロジェクションのポジティブな側面から、認知科学の最新の概念を紹介してくれた著者が、

今度はそのネガティブな側面から、プロジェクションがもたらす効果の様々な事例を取り上げ、<私たちが簡単に他者に操られてしまう理由>を解き明かすものだ。

悩みを抱えて苦しんでいる人の、内的世界のもやもやと解決策を目の前の壺に投射させ、「この壺が私を救ってくれる」と思いこませてしまう「霊感商法」。

複数の人間が台本に沿った役割を演じて、対象者をその舞台に引きずり込み、「子どもの危機を私が救う」という自作の物語を演じさせてしまう「オレオレ詐欺」。

自らが想定する「あるべき現実」と、目の前の現実が乖離していることへの不満から、その乖離を埋めるための便利な道具として仮設を用意する『陰謀論』。

などなど、他者によってこころを操られたり、自分を自身で無意識に縛ってしまったりすることで生じる、ネガティブな事例が取り上げられ、分析されていく。

あなたが自分のプロジェクションを自在に操作できるということは、他者からもあなたのプロジェクションが操作されうるということでもあるのです。また、あなたが意識しているプロジェクションを操作できるということは、意識できないプロジェクションは操作しにくいということでもあります。

他者にプロジェクションが操作されてしまったら、どんなことが起るのか?無意識のプロジェクションから、どんなことが生じるのか?

「いま、そこにない」ことを想像して「いま、ここにある」現実へ投射する、プロジェクションというこころの働きが、人間である私たちを深く悩ませている。

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『モモ』

(Mエンデ 岩波少年文庫)

ある日のこと、廃墟にだれかが住みついたという話が、みんなの口から口へつたわりました。それは子どもで、どうも女の子らしい、すこしばかりきみょうなかっこうをした子なので、はっきりしたことは言えない、名前はモモとかなんとかいうそうな――こういう話でした。

背が低く、やせっぽちで、古ぼけただぶだぶの男物の上着を身にまとった、浮浪児で年齢不詳のその女の子を、町の人々はみんなで面倒を見てあげることにする。

大人たちは力を合わせて、モモの住処をできるだけ住みやすい所にし、そのあと今度は子どもたちが、食べ物のお裾分けを持ってやってくるようになった。

<こうして、小さなモモと近所の人たちとの友情がはじまったのです。>

親切な人たちのところに転がりこむことができて、モモはまったく運がいい子だと誰もが思っていたが、実は町の人たちの方こそ「運がよかった」ことに気付き、

時がたつにしたがい、「この子がいつかまたどこかに行ってしまいはしないか」と心配するほど、この小さな女の子がなくてはならない存在になっていった。

モモのところには、入れ替わり立ち代わりみんなが訪ねてきた。いつでも誰かがモモのそばに座って、なにか一生懸命に話し込んでいた。

モモは「相手の話を聞く」という、<それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。>

というこの本は、1974年にドイツ児童文学賞を受賞した児童文学の名作で、暇人の子どもたちも小学生の頃に読んで、感動していたような覚えがあるのだが、

今回なぜか読書会のテーマ本になり、暇人自身はまだ読んだことがなかったので、遅ればせながら読んでみることになった次第なのである。

さてそんなある日、町に時間貯蓄銀行の外交員を名乗る「灰色の男」たちがやって来て、無駄遣いしている時間を銀行に預けろと迫るようになり・・・

大人たちは必死で時間を節約し、追い立てられるようにせかせかと働き、子どもたちは「遊び方」まで教わるような暮らしを強いられるようになっていった。

誰も自分の所に来なくなった異変の中で、人間から奪った時間を糧としている「灰色の男」たちの企みを知ったモモは、不思議な亀カシオペイアに導かれて・・・

ここから始まる、「灰色の男」たちに奪われてしまった「時間」を取り戻そうというモモの大冒険の物語は、どうぞご自分で(お子様と一緒に)お読みください。

暇人は正直に言って、「時間泥棒」との闘いのくだりはあまり気持ちが乗らなかったので、ちょっと共感できた部分だけ取り上げておくことにしたい。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

モモの特別好きな親友の一人、道路掃除夫のベッポは何か聞かれてもただニコニコ笑うばかりで返事もしない、「無口な」おじいさんだった。じっくり考えるからだ。

答えるまでもないと思えば黙っており、答えが必要な時には何時間でも考えてしまうのだ。でも、モモだけはいつまでも返事を待つので、彼の言うことが理解できた。

「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」
ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ。」


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『万博と殺人鬼』

(Eラーソン ハヤカワNF文庫)

19世紀末のシカゴ、工場の煙と汽車の喧騒のさなかに二人の男が住んでいた。二人ともブルーの目をしたハンサムな男で、ともにみずから選んだ職業に並はずれた腕前をもっていた。

一人は建築家のダニエル・バーナム、ワシントンのユニオン・ステーションなどアメリカの有名な建築を数多く手がけてきた、高層建築の先駆者だった。

そしてもう一人はホテル経営者のマジェット、自らのホテルを改造してH・H・ホームズの名で容赦なく多くの人々の命を奪った、連続猟奇殺人犯だった。

彼ら二人が顔を合わせたことは――少なくとも公式には――一度もなかったが、彼らの運命は一つの魅惑的なイベントによってつながっていた。

それが、南北戦争に匹敵するほどの変化をアメリカ社会にもたらしたといわれたイベント、1893年に開催を迎えようとしていたシカゴ万国博覧会である。

というこの本は、史上最大規模のイベントに沸き立つシカゴを舞台に、そんな二人の人生を巧妙に縒り合わせた、複雑なタペストリーを織り上げることで、

「底知れぬ恐怖と歴史の感動とをもたらす一種のノンフィクション・ノヴェル」(解説:巽孝之)なのであり、エドガー賞(犯罪実話部門)受賞に輝いている。

万博会場建設の準備から、ようやく迎えたオープニング、そして波乱万丈の閉幕に至るまで、様々な建築家が入り乱れる、光り輝く<ホワイトシティ>の物語と、

若い女性を次々におびき寄せ、毒牙にかける殺人鬼となっていく様が、息つかせぬほどスリリングに描かれていく、暗く怪しい<ブラックシティ>の物語と。

平行して進行していくどちらの物語も、読み応え十分なのだが、期待に反してまったく交差することはないため、別々の作品でもよかったのではと思わないでもない。

暇人は一応専門が建築なので、パリ万博のエッフェル塔にまさるものをと、衆知を集めて挑んだというシカゴ万博の大観覧車のエピソードが興味津々だった。

「シカゴ世界博覧会で大きなプロジェクトを手がけることになった。縦に回転する直径75メートルの輪っか(ホイール)を建設する予定だ」

この輪っかには36台のゴンドラがついていて、それぞれはブルマンの客車にほぼ等しい大きさで60人が乗れるようになっており、ランチカウンターもついている。

最大の関門は8本の支柱の上に巨大な回転軸を据える作業だった。付属品を含めて回転軸の重量はおよそ64トンにもなる。

<そんなに重いものをこれほどの高さまでもちあげる工事は過去一度もなかった。>・・・

さて、なぜ人は与えられたごく短い生涯をかけて不可能なことを可能にしようと挑戦し、またある人は哀しみを生み出そうとするのか。

高度資本主義市場においてプライヴァシーがいかに巧妙に搾取され商品化されてきたかを活写した『裸の消費者』でデヴューした著者が、この本で問いかけようとし、

<流血と煙と土埃のなかで語られるのは、生命のはかなさについてである。>

つまるところ、それは二つの力――善と悪、光と闇、純白の都会(ホワイトシティ)と暗黒世界(ブラックシティ)――のあいだに起こる避けがたい衝突なのだろう。

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『サンスクリット入門』―インドの思想を育んだ「完全な言語」―

(赤松明彦 中公新書)

ギリシア語を話すギリシア人やペルシア語を話すペルシア人はいても、サンスクリット語を話すサンスクリット人は今もいないし昔もいなかった。どうしてだろうか。

<「サンスクリット」が、言語に付けられた名称だからである。>

この言語が「サンスクリタ(完全なものにされた)」と呼ばれるのは、紀元前350年頃にパニーニの手になる「文法」によって、その体系が形作られたからだ。

つまり、サンスクリットという奇妙な言語は文法が先にある言語なのであり、それを学ばないと習得できないため、母語として自然に身につける人はいないのである。

さて、天平年間の8世紀前半に、仏典とともに日本に伝えられた「悉曇文字」と共に、「梵語(サンスクリット)」を本格的に身につけたのは、「空海」だった。

「空海」こそ日本史上「最高の知性」であると尊崇する暇人が、サンスクリットの世界を覗きみてみたいという思いに駆られたのには、そんな理由があった。

文字と発音(もちろん梵字は無理なので、ローマ字表記で写してある)や音声規則などの説明の後、いよいよ具体的な文例で文法事項を学んでいくことになるのだが、

aham brahmasmi. アハム ブラフマースミ
外連声をはずして単語に分けて書くと、次のようになる
aham + brahma + asmi.


「私はブラフマンです。」という1人称の例文から始まって、2人称「君はそれである。」、3人称「叡智はブラフマンである。」と、淡々と解説される中で、

「aham」という1人称の代名詞には、主格、対格、具格、与格、奪格、属格、処格、呼格の8つの格と、単数、両数、複数の3つの数の組み合わせがあり・・・

「合計24の変化形がある」という変化表が、これ以降の例文のすべてについて回ってきて、「生のサンスクリットを学んで欲しい」という本気度が伝わってくる。

もとより、軽い気持ちで齧ろうとした身としては、語形変化どころか、見慣れぬ語彙のオンパレードに、身のほど知らずの挑戦であったかと、後悔もしかけたのだが、

na ca drstad garistham pramanam asti.
そして、見られたことよりも重大な認識手段(プラマーナ)は存在しない。


「重い」の最上級 garistha- が訳では「より重い」となっているのは・・・という形容詞の比較級と最上級の解説のための例文であることは置いておいて、

なんとこれは、世親(ヴァスバンドゥ)の『倶舎論』からの引用なのであり、他にも『マハーバーラタ』や『マヌ法典』などが、原文で味わえるのが嬉しかった。

「仏」→「buddha 仏陀」、「僧」→「samgha 僧伽」など、実は日本語の中に取り入れられたサンスクリットの語彙は数多くあるわけだが、

最近では英語その他の欧米語を経由して日本語に入ってきた、「ジャングル」→「jangala 乾燥した」などのサンスクリットもあるという。

インターネットの仮想空間での自分の分身を「アバター」と言うが、これは「avatara 権現」から来ている。「アヴァターラ」は、ヴィシュヌ神がクリシュナのような人間の姿をとって地上に顕現することを言うものである。

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『楽園の犬』

(岩井圭也 角川春樹事務所)

サイパンにはあらゆる種類のスパイが跋扈している。・・・せいぜい十万人ほどの南洋群島に、なぜ、これだけスパイが溢れているかわかるか?

と顔色一つ変えずに尋ねた堂本の問いに対する、「米英と開戦すれば、海軍の前線基地になるためでしょうか」という麻田の答えは、一点だけの訂正を受けた。

「開戦は仮定の話ではない。時間の問題だ。いずれ必ず来たる開戦の瞬間に備えて、誰もが情報収集をしているのだ。開戦した時点で、大勢は決している。」

就職難の時代に東大を卒業し、女学校の英語教師となった麻田は、妻子も得て平凡だが充足した日々を送っていた。しかし、持病の喘息が悪化して失職してしまう。

そんな時、拓務省に所属する旧友から「君、南洋に行けるか」と持ちかけられた、転地療養を兼ねた南洋庁サイパン支庁への赴任話は、渡りに船だったのだが・・・

「赴任にあたっては一つ、頼まれてほしいことがある。サイパン駐在武官補の堂本少佐の手足となって情報収集に励んでほしい。ただし余人には明かさないこと。」

<つまり・・・海軍のスパイとして市民を欺け、ということか>

というこの本は、太平洋戦争勃発直前の1940年に、日本海軍のために情報を集める“犬”となる密命を受けた麻田を主人公とする<異色の>スパイ小説である。

いわゆるスパイの活動には、敵国に潜んで機密情報を盗もうとする「諜報」と、そうした諜者から機密を守る「防諜」との2種類があるわけで、

普通スパイ物と言えば前者で、敵地におけるスパイ暗躍のスリルを味わうものだが、この物語では後者で、スパイを見つける側の防諜スパイという点が異色なのだ。

米国にサイパン島内の情報を提供していたという遺書を残して自殺した、鰹漁船団の大船長・玉垣と米国とのつながりの謎を解く第1章。

米国人と島民の混血で通訳としてサイパン有数の知識人として知られる男の養女となった、サイパンの大酋長の孫娘・ローザの、スパイ疑惑を追いかける第2章。

そのローザの養父・セイルズが、唐突に海軍飛行場の傍に転居し隠棲した、その行動の意図を探るために接触を図る第3章。

そして、日米開戦の告知と同時に、突如行方をくらましてしまった堂本少佐の失踪への加担を、後任の在勤武官補から疑われる、今回書下ろしの第4章。

といった具合で、長編のスパイ物と言いつつも、ひと連なりのお話の中に、いくつもの毛色の違った謎を埋め込んで、謎解きも楽しむというミステリー仕立てなのだ。

サイパンに来てからというもの、人の死に触れることが増えた。首を吊った鰹漁師。夫婦になれず毒を呑んだ男女。皇民を自負する殺人者。

敵前逃亡の汚名を着せられた堂本は、「死んでいてほしい」という周囲の望み通り、南洋桜の下で白骨化した遺体となって発見される。

「なぜ、死んだのか。なぜ、無様でも生きていてくれなかったのか。」

腹の底でふつふつと怒りを滾らせた麻田が、自身はどんな死に様を選ぶことになったのか。それはぜひご自分で、新たに用意された「終章」で確かめていただきたい。

<死に触れるたび、どうしようもない生命の軽さが、記憶の底に降り積もった。人の命がこんなにも美辞麗句で装飾され、こんなにも粗末に扱われていることを、麻田はこれまで知らなかった。>

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『詐欺とペテンの大百科』

(Cシファキス 青土社)

この本の読者は、なぜ、そんなにたくさんの人々が、しばしば馬鹿げていると思われるような悪ふざけや詐欺に引っかかるのかと理解に苦しむだろう。

というこの本は、UPI通信の社会部記者からフリーのライターとなった著者が、1993年に出版した「ペテンの玉手箱」のような本である。

悪ふざけ、ホラ、作り話、でっち上げ、騙り、贋作、偽造など、何でもござれのオンパレードを、敢えてジャンル別に分けず、アルファベット順に羅列したのは、

いずれのペテン話においても、それが成功するのはむしろ被害者の側に、それを信じたいという大きな願望があるところが、共通していることを示したいからだろう。

騙される側は、彼や彼女の野心や優越感、偏見、金銭的利益などを、たとえそれが不当に得たものであったとしても、満足させてくれることを欲しているのだ。

騙されたくなかったら、「人はなぜ騙されるのか?」という原点に立ち返って、考えてみるべきだというのが、このユニークな大百科の狙いなのである。

ほとんどの悪ふざけ屋や詐欺師を「天性」またはそれに近いものと見るのは、的確ではないだろう。

騙す側にしても、アメリカ最大の詐欺師として名高い「イエローキッド」ウェイルを始めとして、この本で取り上げられている名詐欺師たちの立志伝を読んでみれば、

驚くほど多くの詐欺師が、自分自身がまず他の詐欺師に騙されたことによってその道に入った、という驚くべき事実を知ることになるだろう。

自分自身が被害者となったからこそ、他の被害者に対して、何が有効で何が有効でないかがよく分かる。プロでさえ、実地教育を受けて大きく育つのである。

さて、この本はいつも使っているほうのトイレに置いて読んでいたのだが、600ページ近い大部だったので、こちらも読み終えるのに随分時間がかかってしまった。

というわけで、少し古い話で恐縮だが、あの「ビッグ・モーター」事件の時に、絶妙のタイミングで「自動車に関するあの手この手」という項目にぶち当たったのだが、

他の項目とは違って、この項目だけはさらに小項目に分かれており、なんと50項目、20ページ以上に亘って、自動車修理と保険詐欺の手口が解説されていたのだ。

・ウィンドウワイパー詐欺
・オイルゲージのごまかし
・ガソリンの銘柄の神話
・汚いオイル詐欺 などなど

「人は、ナンバープレートにカモと書かれた車に乗っているようなもの」だと、著名な自動車評論家は言っているのだそうで、どうぞご用心ください。

真面目な方が、いくつかの項目が詐欺のやり方の「ハウツー」になってしまうのではないかと心配する必要はあるのだろうか?

<答えはノーである。>

なぜなら、詐欺という太陽の下には、実は何も目新しいものはなく、すべての手口は、古くからある詐欺の新しい形に過ぎないからである。

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『エンターテインメント作家ファイル108』―国内編―

(北上次郎 本の雑誌社)

それにしても、私の文庫解説は問題が多い。岡嶋二人の『どんなに上手に隠れても』徳間文庫版の解説を今読み返すと、他の小説に触れることが多く、その『どんなに上手に隠れても』に触れたのは全体の5分の1にすぎない。これでいいのかね。

<ようするに私、その作品だけでなく、他の作品についても、自分が気になることについて、一度に全部書きたいのだ。>

というこの本は、「本の雑誌」の実質的編集長として独自の眼力で書評誌を主催してきた目黒考二が、別名で各誌に発表してきた書評、20年分の集大成である。

取り上げられたのは108人の日本作家で、作家単位、作品単位で3〜5ページの書評が,氏名のアイウエオ順に列挙されていくのだ。

うまい小説だ。再読してまた唸っている。浅田次郎の世界を語るのに、これは恰好のテキストだと思われるので、本稿はこの小説から入ることにする。

主人公が永田町のプラットフォームで、幼い日に地下鉄開通を見に行ったことを思い出しているシーンから始まる、たった6ページのプロローグだけで、

生まれ育った複雑な家庭と、華々しい活躍をしている同級生たちに比べて見栄えのしない現在の鬱屈を、短い挿話を重ねて巧みに提出してしまう、

まことに秀逸な人物造形だが、それが他の作品にも散見できるところが興味深いという、浅田次郎『地下鉄に乗って』から、

横山秀夫の小説が決定的に新しかったのは、警察小説でありながら捜査畑の人間を主人公にしなかったことだ。

犯人を捜し出すことが目的ではない管理部門の人間にとっては、「事件」はいつも警察内部に起き、それが表に出る前になんとか内部で処理せねばならず、

派手な事件は滅多に起きないが、それでもミステリーは成立し、謎はむしろ人の心の中にこそあることを鮮やかに描き出してみせた。

このような物語の結構を持つことで、それまでの私たちが知らなかった決定的に新しいドラマが立ち上がってきた、横山秀夫『陰の季節』まで。

既読の作家の作品に対する、新たな視点からの楽しみ方に気付かせてもらえることはもちろん、まったく知らない作家の作品についても、

これはぜひとも読まずにはおられないと、ただでさえ溢れている本棚に、新たな積読本を増やしてしまう、これがこうした書評本の困ったところなのである。

ちなみに、この本は20年くらい前に購入しており、あまり使用していないトイレに置いてあったものを、ちびちびと読んできたものなので、

紹介されている本も、随分古いものばかりではあるのだが、紹介本への溢れんばかりの書評者の熱情が、時間の壁を軽く乗り越えて、私たちの胸に響いてくる。

付録として収録された「この30年間の面白本ベスト30」も、<その時の気分で選んだ>ものとはいえ、それだけに臨場感満点の逸品となっている。

う〜む、困った。残された時間が限られている暇人にとって、ますます、読む時間が足らなくなってしまった。

実を言うと、エンターテインメント小説の書評は、そのときどきで消費されればそれでいいと考えている。その本を買うかどうか迷っている読者の指針になれば、それで充分だ。あとからこうして一冊の本にまとめなくてもいいのだ。

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『アルジャーノンに花束を』

(Dキイス 早川書房)

ぼくの名まえわチャーリイゴードンでドナーぱん店ではたらいててドナーさんわ一周かんに11ドルくれてほしければぱんやけえきもくれる。ぼくの年わ32さいでらい月にたんじょお日がくる。(けえかほおこく1――3がつ3日)

<ぼくわかしこくなりたい。>

IQ68で6歳程度の知能しか持たないチャーリイは、その温和な性格と学びたいという意欲を持つことを評価され、「知能を高められる最初の人間」に選ばれる。

長年動物実験のみで研究を続けてきた、その手術を受けることは失敗に終わるかもしれないが、それでも科学に大きな貢献をすることになるというのだった。

眠っている間に終わった手術の後、初めのうちは遅々たる変化しかなかったが、「利巧になるために勉強した時それが身になる」ようになったのだと言われた通り、

様々な訓練や勉強を繰り返し、地道に続けていくうちに、ある日突然、「迷路テスト」で今まで一度も勝てなかったアルジャーノンを負かせるようになっていた。

アルジャーノンとは、チャーリイと同じ手術を受けた結果、前の3倍も賢くなり、ずっと賢いままでいる第1号の動物だという、特別の「ねずみ」だった。

というこの本は、言わずと知れた「不朽の名作」なので、暇人も20数年前には読んでいたわけだが、今回、参加している読書会の課題本となって再読した。

ほぼ2週間、私が経過報告を提出しないというので二―マーはあわてている。シカゴで開かれる国際心理学会はあと1週間に迫っている。アルジャーノンと私は彼の報告の目玉である展示物なのであるから、最初の報告はできるだけ完璧にしたいと望んでいるのだ。(経過報告12――6月5日)

<二―マーが私を実験の標本扱いするのが癇に触る。>

と、IQがみるみるうちに向上していく様を、「経過報告」という一人称の文章をどんどん洗練させることだけで示してしまう、画期的な技巧の冴えに導かれながら、

急激な知能の発達とともに、友達だと思っていた人たちが自分を馬鹿にしていたことや、偉い先生たちが本当は何も知らないことなどに気付いていく物語を楽しんだ。

<教養は人と人とのあいだに楔を打ちこむ(障壁を築く)可能性がある。>――これが、この物語の前半のテーマなのである。

さて、そんなある日、アルジャーノンが突然奇妙な行動に走るようになり・・・チャーリイはあの手術の成果が一時的なものに過ぎないことを悟ることになる。

皮肉なことにその手術の成果によって、今の彼には自分の「悲惨な未来の姿」をありありと思い描くことができるようになっていたのだ。

やがて、自分の書いた経過報告すら読めなくなるほど退化してしまったチャーリイは、昔、親に捨てられ育った障害児学校へ自ら戻って行くことにする。

この世界にあるなんて知らなかった沢山のことを、ほんのちょっとの間でも見られたから、「利巧になる」ための二度目の機会を与えられたことに感謝しながら。

<他人に対して思いやりをもつ能力がなければ、そんな知能など空しいものだ。>――これが再読して教えられた、この物語の後半のテーマなのである。

どおか二―マーきょーじゅにつたいてくださいひとが先生のことをわらてもそんなにおこりんぼにならないよおに、そーすれば先生にわもっとたくさん友だちができるから。ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。

<ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。>

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『TOKYO REDUX』―下山迷宮―

(Dピース 文藝春秋)

(1949年7月5日、出勤途中に消息を絶った)初代国鉄総裁下山定則は、翌6日の午前零時20分頃、足立区五反野の、国鉄常磐線の北千住駅・綾瀬駅間の線路上、立体交差する東武伊勢崎線のガード下付近で轢断死体となって発見された。

当時国鉄は下山総裁指揮の下、10万人の職員解雇を計画しており、その死には左翼分子に殺害されてから轢かれたとする他殺説と、

労使紛争の板挟みに心身衰弱したあげく、みずから線路に飛び込んだとする自殺説とがあり、いずれもが有力な証拠を提示して決着することもなく、

GHQが仕掛けたアメリカの謀略だとする松本清張(『日本の黒い霧』)の推理など、さまざまな憶測も飛び交うこととなったのだ。

この「下山事件」については、事件後70年を超えた現在も、公式の解明がなされることなく、この謎を解こうとしておびただしい書物や記事が書かれてきた。

たとえば、オウムの素顔を描いた自主制作ドキュメンタリー映画「A」を世に問うた森達也は、『下山事件』(新潮社)で、

日本の赤化を恐れたGHQの一大方向転換の意を汲んだ、<ある勢力>の共産党つぶしの秘策の犠牲となった、という説を仄めかしている。

初代国鉄総裁下山定則は、なぜ自ら死を選んだのか?あるいは殺されたのだとするならば、誰が何のために殺したのか?それが次に解明すべき大きな謎だった。

というわけでこの本は、ブリティッシュ・ノワールの鬼才が、アメリカ占領期の東京で起きた3つの怪事件に挑む<東京三部作>の棹尾を飾る完結編である。

1945年から46年にかけて少なくとも7人が殺された連続婦女暴行殺人事件の「小平事件」を扱った『TOKYO YEAR ZERO』。

1948年1月26日に白昼堂々銀行を訪れた男が女性子供をを含む12人を一挙に毒殺した「帝銀事件」を描いた『占領都市』。

そして、戦後最大の謎と呼ばれた「下山事件」を取り上げたのが、本作『TOKYO REDUX』なのである。(redux は、「帰ってきた」という意味だそうだ。)

1949年、左翼分子の犯行を疑うGHQの命を受けて、総裁の死の謎を追う、民間諜報局公安課捜査官・スウィーニーの地道な聞き込み捜索を描いた第一部。

1964年、オリンピック開催目前の東京で、下山事件の取材中に消えた作家・黒田浪漫の足跡を追う、探偵・室田の暗躍を描いた第二部。

1988年、病に倒れた昭和天皇への憂いに覆われた東京で、翻訳家・ライケンバックを訪れた下山事件の過去の亡霊との顛末を描いた第三部。

もちろん、著者は小説家なのだから、膨大な資料を丹念に読み込んだ実際の事件にまつわる事実に基づくストーりーであるとはいえ、これはフィクションなのであり、

ただでさえ入り組んだ複雑な背景を持つこの事件に、時期をずらした3つの物語が折り重なって、虚実の網が読者を絡めとろうとしてくるのである。

この小説は、米国主導の日本占領に関わった、あるいはその時代を生きた、多くの日本人とアメリカ人の伝記的事実や回想や著書に材を取っている。その主な人物は・・・

<ただし無用の疑いを避けるために言い添えるなら、この小説はその人たちが下山定則の死に何らかの形で関わったと仄めかしているのではない。>

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