(Aドーア ハヤカワepi文庫)
それは、夕暮れどきに、空から大量に降ってくる。風に乗って塁壁を越え、屋根の上で宙返りし、家と家が作る谷間に舞い落ちる。通り全体でビラが渦巻き、石畳の上で白く光る。
住民への緊急通知――<ただちに市街の外に退去せよ。>
1944年8月7日、独軍占領下のブルターニュ地方にある古くからの城壁に囲まれたサン・マロの市街は、米軍の爆撃によりほぼ完全に破壊される運命となった。
町の一角にある背が高く幅の狭い家の最上階で、低いテーブルにかがみ込んでいたのは、幼い頃に白内障で視力を失った16歳の少女、マリー=ロール・ルブラン。
独軍の侵攻迫るパリから、国立自然史博物館に勤める父と共に、大叔父を頼って避難してきたのだが、父は陰謀の容疑で投獄され、一人ぼっちとなっていた。
そこから通り5本分隔てた、要塞として使っていたホテルの地下で生き埋めとなり、身動きが取れなくなっていたのは、ナチスの通信兵で18歳のヴェルナー。
ドイツの孤児院で育ち、壊れたラジオを修理する技術を見出されて士官学校へと進み、レジスタンスの放送を傍受するために、フランスへと送り出されたのだった。
というわけでこの本は、第二次世界大戦に巻き込まれた少年と少女の、交わるはずのなかった二人の生と魂の揺れ動きを描いた、感動長編ではあるのだが、
あの名作短篇集『シェル・コレクター』で、孤島に暮し「貝を拾い集める」盲目の老学者の秘められた才能が、「孤独」の中で研ぎ澄まされていく様を描きだした、
「空気の匂い」まで感じさせてくれるような、切ないまでに美しい「自然描写」の力は、この作品でも存分に発揮されていると言わねばならない。
たとえば、サン・マロで初めて海に触れたマリーも貝殻集めに夢中になる。音や匂い、触覚、熱感覚などにより鮮やかにその場の情景を浮かび上がらせてくれる。
誕生日に父親が作る木製の立体パズルを、マリー=ロールはいつも解いてみせる。パズルは家の形になっていることが多く、たいていは小物が隠されている。それを開くには、頭を絞り、手順を踏まなければならない。
住んでいる地区の精巧なミニチュア模型を作り、目の見えない娘に何度も触らせて、一人で外出できるようにしてくれるような、優しい父との触れ合い、など。
目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁波のスペクトルは、ゼロから無限まで広がっているから、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。
孤児院の屋根裏部屋で、何とか修理できたラジオから雑音混じりに流れてきたフランス語の講義に、幼い妹とこっそり耳を澄ませていた甘酸っぱい思い出、などなど。
冒頭の<爆撃の日>へと至るまで、二人がそれぞれ別々に歩んできた、時代の荒波に翻弄される道のりが、交互に短いエピソードとして折り重ねられていきながら、
“見えない光”に導かれるように、劇的な出会いの場面へと収束していく中で、見事に回収されていったかに見えるのだが。
さて、二人の運命は、どうなってしまうのか?
あとは是非、ご自分でお確かめいただきたい。これは暇人がここ数年に出会った中でも、極上の傑作であると、強くお勧めする次第である。
1万もの「きみがいなくてさびしい」や、5万もの「愛してる」、憎しみのメール・・・が、人目につかず、迷路のようなパリの上空を行き交い、戦場や墓の上空を、・・・わたしたちが国家と呼ぶ、傷つき、つねに移ろう風景の上空を飛び交っている。
<だとすると、魂もそうした道を移動するのかもしれないと信じるのは、それほど難しいことだろうか。>
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓

それは、夕暮れどきに、空から大量に降ってくる。風に乗って塁壁を越え、屋根の上で宙返りし、家と家が作る谷間に舞い落ちる。通り全体でビラが渦巻き、石畳の上で白く光る。
住民への緊急通知――<ただちに市街の外に退去せよ。>
1944年8月7日、独軍占領下のブルターニュ地方にある古くからの城壁に囲まれたサン・マロの市街は、米軍の爆撃によりほぼ完全に破壊される運命となった。
町の一角にある背が高く幅の狭い家の最上階で、低いテーブルにかがみ込んでいたのは、幼い頃に白内障で視力を失った16歳の少女、マリー=ロール・ルブラン。
独軍の侵攻迫るパリから、国立自然史博物館に勤める父と共に、大叔父を頼って避難してきたのだが、父は陰謀の容疑で投獄され、一人ぼっちとなっていた。
そこから通り5本分隔てた、要塞として使っていたホテルの地下で生き埋めとなり、身動きが取れなくなっていたのは、ナチスの通信兵で18歳のヴェルナー。
ドイツの孤児院で育ち、壊れたラジオを修理する技術を見出されて士官学校へと進み、レジスタンスの放送を傍受するために、フランスへと送り出されたのだった。
というわけでこの本は、第二次世界大戦に巻き込まれた少年と少女の、交わるはずのなかった二人の生と魂の揺れ動きを描いた、感動長編ではあるのだが、
あの名作短篇集『シェル・コレクター』で、孤島に暮し「貝を拾い集める」盲目の老学者の秘められた才能が、「孤独」の中で研ぎ澄まされていく様を描きだした、
「空気の匂い」まで感じさせてくれるような、切ないまでに美しい「自然描写」の力は、この作品でも存分に発揮されていると言わねばならない。
たとえば、サン・マロで初めて海に触れたマリーも貝殻集めに夢中になる。音や匂い、触覚、熱感覚などにより鮮やかにその場の情景を浮かび上がらせてくれる。
誕生日に父親が作る木製の立体パズルを、マリー=ロールはいつも解いてみせる。パズルは家の形になっていることが多く、たいていは小物が隠されている。それを開くには、頭を絞り、手順を踏まなければならない。
住んでいる地区の精巧なミニチュア模型を作り、目の見えない娘に何度も触らせて、一人で外出できるようにしてくれるような、優しい父との触れ合い、など。
目に見える光のことを、我々はなんと呼んでいるかな?色と呼んでいるね。だが、電磁波のスペクトルは、ゼロから無限まで広がっているから、数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。
孤児院の屋根裏部屋で、何とか修理できたラジオから雑音混じりに流れてきたフランス語の講義に、幼い妹とこっそり耳を澄ませていた甘酸っぱい思い出、などなど。
冒頭の<爆撃の日>へと至るまで、二人がそれぞれ別々に歩んできた、時代の荒波に翻弄される道のりが、交互に短いエピソードとして折り重ねられていきながら、
“見えない光”に導かれるように、劇的な出会いの場面へと収束していく中で、見事に回収されていったかに見えるのだが。
さて、二人の運命は、どうなってしまうのか?
あとは是非、ご自分でお確かめいただきたい。これは暇人がここ数年に出会った中でも、極上の傑作であると、強くお勧めする次第である。
1万もの「きみがいなくてさびしい」や、5万もの「愛してる」、憎しみのメール・・・が、人目につかず、迷路のようなパリの上空を行き交い、戦場や墓の上空を、・・・わたしたちが国家と呼ぶ、傷つき、つねに移ろう風景の上空を飛び交っている。
<だとすると、魂もそうした道を移動するのかもしれないと信じるのは、それほど難しいことだろうか。>
本日もお読みいただいた皆様どうも有り難うございました。
今後も読んであげようと思っていただけましたなら、
どうぞ応援のクリックを、お願いいたします。
↓ ↓ ↓
