雛苺と一緒

ローゼンメイデンのSSと考察を載せているブログです。

移転です

どうもこっちは使いにくいので移転します。

2chの投稿は、時間的にちょっと辛いものがありやめてしまいました。

とりあえず、今まで書いてきたやつも、また少しづつリニューアルして新しいほうに乗せていく予定です。

http://blogs.yahoo.co.jp/hinaitigosyousetu
がそうです。
TomoさんとSSさんからいただいたコメントは、大変勉強になったので載せたいのですがよろしいでしょうか?


雛苺。最大考察。

今までとんでもない勘違いをしていました。
雛苺は、アリスに興味がない。アリスゲームにも興味がなくお父様にも興味がない。
ただの人形でいいという風に思ってましたが・・・。
なんと短絡的であったことか・・・。
己の馬鹿さ加減にうんざりします。というのもちょっと考えれば分かることではないか・・・。
まず、雛苺がお父様に会いたくないなどと思うわけないでしょう。
「精神が特別幼い」雛苺がどうしてお父様に会いたくないなんて思うのか。
しかし・・・・雛苺が他の姉妹を倒してまで会いたいと思うのかどうか。
それは絶対思わないし、口にも出さないでしょう。
雛苺のあの幼さには、前々から違和感を感じてました。
その違和感がなんなのか。
あれは演技ではないのか?という点です。
上のような点から考えてみると、もしかしたら演技なのかもしれない。
雛苺はルール上どうやってもアリスになれないはず、それなのにそのことについて一言たりとも雛苺が語った事はなく。
作中雛苺が「お父様」という単語を使った事はない。
意図的でしょう。明らかに。
人一倍、お父様に会いたいに決まってる。何せ幼いのだから。
でも「選んだ」のでしょう。
あの時、アリスゲームやお父様のことより「巴を瞬時に選んだ」ように、雛苺の中ではアリスゲームに対する確固たるものがあるのでしょう。
だからこそ、その単語は絶対使わないし匂わせもしない。
他のものを傷つけてまで、アリスになろうとは思わない。
雪華綺晶とは対照的です。
中間にいるのが水銀燈で、姉妹を傷つけたくないけどお父様には会いたい。
その狭間の葛藤で苦しんでいる。
ただ水銀燈にはまだ希望がある。
雛苺にはなにもない。雛苺が最後みんながいて幸せだったといったのは、果たして本心からいった言葉であっただろうか。
ローゼンメイデンにとってアリスになるということは、キリスト教徒にとって神に選ばれるすなわち救済されるに等しい行為に思える。
そこの部分を抜き取られて、そのことについては何も言わない。
どう考えても先にあるのは絶望だけなのに、雛苺がすることといえば笑うことだけです。
本心は、姉妹達みんな仲良くして、お父様も一緒にいればいいというものだったのでしょう。
みんなと一緒で幸せだったというのは、一面の真実を語ってはいます。
ただそこに隠れた思いは、やはりお父様にも会いたかったというものでしょう。
そこを理解できなければ、雛苺は全然分からない。
何度もいうけど、お父様に会いたいのにそれはいわないし匂わせない。
みんな仲良くしようと思ってる。
そして、自分の思いは結局いわず物言わぬ人形になりました。
いや体を食べられたから、人形にすらならなかったのかもしれない。
でも幸せだったといってます。
こういう「強さ」それが僕が雛苺が好きな理由です。
太陽の輝きではない。希望の光ではない。しかし、絶望のふち、深淵の更なるどん底に誰かが陥ったとき、そこに薄っすらと光る光を見たとしたら。
それは微笑んでいる雛苺だった。といえるでしょう。
絶望しかない現状において、救われない事が分かってるとしても、笑ってみんなを励ましたい。
それは確かに僕の理想です。
だって順調なときや希望に満ちてる時に、明るいのは当然でしょう。
全く救いのない状況でそれでも笑って他の人のためになれる。
その状況で楽しめるような(といっても快楽的な楽しさではない。「慈悲」とでもいおうか・・。うまくはいえないが。)そういう強さ。
少なくてもSSを書いてる間は、その気持ちを少しは共有できる。
そういう本当の底本当の芯からでている「美しさ」に人は魅了されるのだろう。
雛苺はVIPだと良く腹黒かったり、「幼さ」と「大人」の両面を持ってたりしますが、みんな雛苺とはどういうものなのか、感覚的に知っているのでしょう。
だから、むしろ雛苺が楽しく遊んでたりするSSを読むと、無性に泣きたくなる。
それでも楽しんで読ませていただいてますけどね。
雛苺が遊ぶっていうのと、そのくらいの年齢の子供が遊ぶっていうのは、外見同じだけど全く意味が違う。(まあ僕が子供好きなのも事実なのですが。)
雛苺は架空の存在ですが何か一言いえるとしたら。
安易に、頑張れと生きろとかいいにくいが。
なんといったらいいのだろう。なにかいうとしたら「ありがとう」ですかね。
聞けばきょとんとするし、理由を聞けば笑うでしょうが。



今連載しているYJの雪華綺晶について

作品自体は見てないのですが、さっきネタばれ板を見てきてびっくりしました。
いや翠星石参戦とかそういう話じゃなくて、むしろそんなことはどうでもよくて。
雪華綺晶が泣きながら、体がほしいとかいってるのはどうしてだろう・・・。
元々、体が必要なのは、外で活動するだけのためだったのに・・・まあここら辺推測で本当は体がもっと必要なのかもしれませんが。
それにしたって、器に依存することがアリスの妨げになるから精神体にしたのに、なんだって今になって器がほしいと、駄々をこねるのだというところです。
わがままいうんじゃない!
今までずっと小説書いてきて、雪華綺晶のこととか真紅のこととか最初は全然分からなかったけど、だんだん分かってきました。
そして一つの結論がでました。
七体のローゼンメイデンどれ一つ欠けても、アリスに到達する事はできないということです。
七体全てアリスにふさわしい輝きを持っている。
それなのになんだか雪華綺晶は、自分を否定するような事を言っている。
まあ読んだわけじゃないからよく分からないですが。
アリスが絶対的存在なら、相対的存在の総量をいくらあわせても、到達不可能なのは自明の理のはずです。
それがマスターの心であろうが、ローザミスティカであろうが、それを集めたアリスがどうして究極といえるのか。
人の手で絶対的存在、究極を作るのは不可能なのです。
ならアリスとはなんなのか。この世で唯一の絶対的な存在「愛」です。
神は絶対的です。そして神は愛なのです。
今言ってある愛は、肉愛の上位概念であるキリスト教でいうところのアガペー(隣人愛)のことです。
雪華綺晶には、純粋さがあります。その純粋さは、器という相対的なものをもっていないため、善悪の判断がなくただ目的のためだけのものであります。
そこを他の姉妹達が補って色をつけていけばどうでしょう。
そうすれば雪華綺晶は、最もアリスに近づくことができるのではないかと思います。
そしてそれができるのが、絆をつなぐ力を持つ真紅のはずです。
だから何もマスターの心など使う必要はないのです。
使わないと話が進まないっちゃそうなんですが、これからどういう方向に行くんでしょうね。
これはどういうタイプの芸術家に言えることですが、本当にいい作品を書くときはまるで自分が書いてるわけじゃないような、霊的なインスピレーションがあるのです。
かつてのローゼンメイデンを書いていたときがやはり、作者のピークだったのでは?と思ってしまいます。
それは波がある以上仕方ないことですが、果たして今の作品がかつての作品以上のものかどうか。
まずいただけないのは、境界線がはっきりしてしまったということです。
いうならばローゼンメイデンというお話は、現実とファンタジーの境目が薄いところにお人形遊び的な楽しさがありました。
しかし、なんだか時間止めたり、パラレルワールドとかいったりして、はっきりと
魔法の世界になってしまったわけです。
そこには、単なる想像の世界だけでしか感覚として接触することができず、どこか宙にういた風になってしまいます。
漫画の世界はみんなそういう風になってますが、ローゼンメイデンは少し事情が違いました。
それというのも、雪華綺晶の扱いを誤ったからではないかと思われますが、しかし無理やり連載しなければならない以上、ある程度の劣化は避けられないのかもしれません。
ともかく雪華綺晶には、誇りを持ってもらって、頑張ってもらわないといけません。
しかし・・・・これというのも雛苺がいなくなったのが、悪すぎるということなのです。
雛苺は、目立ちはしませんが、ジュンの心においてほとんど無双の働きをしました。
例えば最初に雛苺がやってきて、ジュンがベットの上からでてきて外出したこととかそんなふうに、地味にいろいろやってるのです。
ともかくいろいろ書いてきましたが、やっぱり雛苺が一番のお気に入りです。
え?聞いてない?そうですか・・・。すみません。
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