ただいまアスペルガー

戦え、ただし無理しないで。 そんな風に生まれ変わったブログです。

情と理

なーにがしたいのかなー自分はー。
あの時病院で目覚めて全ての執着がふわふわしてしまったのは、単なる解離健忘だったのかもしれない。
出来事記憶はあったけど、それに付随する自分の感情を全て1つの箱に入れて蓋していただけなのかもしれない。向き合えるかと思って覗き込んだ自分が馬鹿だったんだろう。流れ込んできた自我に飲み込まれる。記憶がしんどい。

状況はすべてひっくり返しました。
安定した職も得て、優しい夫に恵まれて、可愛い娘が産まれ、夏には二人目が産まれる予定です。
あの頃欲しかったものは全て手に入れた。
なのに、何がこんなに私をざらつかせるのか。

私はこれまで、理は情をねじ伏せることができる、そう思って生きてきました。情は危ない、何をしでかされるか分からない、だから理で押さえ込んで生きねばならない。そう思っていました。でも、人の親になってみて初めて分かったんです。幼児が意味もあまり解ってないなりに大丈夫?と聞いてくれたり、肩たたきをしてくれたり、抱きついてきたり。本当に嬉しいんです。他の家の子とは違う情動が、我が子に対しては母はあるんです。我が子の頑張っている姿を見ると、本能的に誉めてしまうんです。
同時に、血より濃いものはないという言葉の意味も考えさせられます。

実母に「あんたは偉いな」と先日電話していてふとしたタイミングで言われました。統合失調症なんだか妄想性障害なんだか、長年本人が苦しんでいるのは分かってるけど、この人を拒絶しなければ私の人生はダメになる。母の皮を被っているけど母だと思ったらダメだ。この人の要求に答え続けるためだけに生まれたんじゃない。そう理で情をねじ伏せて、たどり着いたのが桜の舞うあのキャンパスだったのに。

それでも、いつも親切で優しい義母や義親族達に、夫のお相伴で誉められるより、何倍も嬉しかった。直系の子達ばかり誉められていて妬ましかった。当たり前だ、あちら側とばかり関わっているんだから。皆我が子は可愛いんだ。そのひいきこそ、自然なのに、小さな頃からいつも自分だけ取り残されて、妬ましかった。

近くに子を預けたり頼る親戚もいないのに、職場は遠慮なしに仕事を載せてきて、夫も積極的に手伝ってはくれるけど、自分の側のキャリアそのものが削られることなんて毛頭想像していない。私にはもう、自分のプライドより大事なものがあるだけで、キャリアもしたいこともない。子供のいない、かつて自分がそうだったように、男性陣と同じに日付が変わるまで働ける子達しか相手にされないのが現実。私はしがみついているだけ。迷惑なだけ。それ自体何かがおかしいけど、それが現実。何がワーママだ。何が女性の活躍推進だ。そう腐りきっている私が、ああだけはなるまいとしている反面教師なのに。同じになりたくないと狭いビジョンで人生設計したから、今こうして歯を食い縛るしかできなくなっているのに。だから情という言葉だったのか。理でねじ伏せるしか考えてなかった私には、その時理解する術がなかった。

大人になるって嫌ですね。一生気付かなければ良かったのに。

感情って、脳内の神経伝達物質が見せているだけのもののはずなのに。
コントロールが効かない。妊娠中のせいだと思いたい。

蓋があいて、いいこともあったんです。
運転ができるようになった。
ハンドルを握っても呆然として何も思い出せなかったのに、急に出来るようになった。それは今後役立つと思う。

自分で決める、行動できるということの自由と、恐ろしさと。
でもやっぱり自由は快適だし、誰かの顔色を伺ってびくびくは生きられなかったし。
とにかく今何がしたいのか。時折考えながら生きていくしかないよね。自分の事だもの、自分でゆっくり考えなさい。

情をねじ伏せるんじゃない。柔よく剛を制すとも言うじゃない、今更何言ってるのかもよく分からないけど。愛らしい生き物を抱き締める。一番大事な事を今度こそ見失わないために。同じ事を繰り返さないために。

夢ってなーに。

お久しぶりです。
とは言っても、もう、アスペルガーのことについて、正直書く自信がないので、完全に雑談になってしまいますが。

最近、最初にブログを始めた時を思い出します。
その時は、ASでもそうじゃなくても、人と向き合うのが苦手な人が、どうそのスキルを得ていくか、それをみんなで学べる場が作りたいな、というのが私の夢でした。

私自身、どうしても恥ずかしがりで、楽しい話ができないことがコンプレックスでした。なので、同じ悩みを持つ人と、一緒に高めあえる場が欲しかったのです。


ただ、今の私にその夢はありません。
なぜなら、人とつきあうのは、結局スキルじゃなかったからです。

確かに、うなづき方、あいづち、いろんな要素をいいものにすれば、相手の反応は変わります。相手が心を開いて、いろんなことを話してくれることもあります。

で、それを私は、ちゃんと聞いていたの?
聞けなかったんです。自分の振る舞いばかり意識して、肝心の相手に興味を持てなくなっていったんです。

それに、「場」に合わせることを目指すこと自体が、時代遅れだったのかなと。
「場」や「組織」ではなくて、「個人」同士が興味関心を共有しあっていく流れに、完全に乗り遅れました。自分の好きなものも忘れ、相手に合わせるだけのフワフワと漂う霧と、だれが繋がろうっていうんでしょうか。


大学に入って、もとの内気な自分を変えたくて、おっかなびっくり、時に危ないこともしました。
終わりが近づいて思うのは、本当に自分のしたいことを、もっとすればよかったなってことです。

内気でいいから、恥ずかしがりやのままでいいから、大事な人を大切にして、もっと好きなことを勉強すればよかった。ゼミもサークルもこれでよかったと思う。ただ、自分のキャラを変えただけで、成長できると思ったら思い上がりもはなはだしかった。
結局、情熱がなければ、意味がない。って言うとブラック企業の求人みたいですが(笑)。情熱という言葉しか思いつかないのが腹立たしいくらいで。日本語って前向きなニュアンスが少ないですよね。
とにかく、したくもないコミュニケーションをするスキルを得ても、幸せになんて、なれないです。
環境が合わないなら出てもいいし、環境をあえて好きになってみるのもいい。ただ、どっちでも、「生きること」を目標にしないほうがいいと思うんです。最近。
「生きること」って、もしかしたら手段でしかないのかもしれないから。
あと40年も働かなきゃいけないじゃない、40年しか働けないって。
思えたら素敵。思えない時期があっても長くてもそれは問題ないと思うから、「こう思える人にならないとだめだ」ってもう自分を責めるのもやめたいと思います。

若者の草食化っていうけれど、自分でリスクを背負うことの価値をその上の年代が示せないのだから、当たり前だと思う。
でも、リスクを取って何かに一生懸命やってる同じ若者に、置いていかれてしまうのもまた事実。

興味を趣味から学問に変えていくこと、今からでも遅くはないと思うし、その時間を作れることもこれからきっと役立つのだろうけど。興味を幅広く持ちたいとも思う。

ただ、何を目指したいのか、どんな幸せがほしいのか、今はまだ見失ったままなので、考えないといけないのですよね。


とりあえず明日もバイトに行きます。日々是勉強。
そんな感じです。真面目しか取り得ないですから(笑)。

私は、ばかです。

お久しぶりです。
いきなり欝っぽくてごめんなさい。今日はちょっと、皆を元気にするネタは書けないです。

就職活動自体は終わりました。とある役所で働くことになりました。
応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。自信を失った時、いつも励みにしていました。
ただ、それと時を同じくして、大切な人を失いました。
私がばかだった。もっと大事にすればよかった。今はそう思う毎日を過ごしています。

どこかASやACを言い訳に使っている部分がありました。
そうして相手の話を聞かなくなっていた。一番やってはいけないことばかりしてしまって、詫びることすらしていなかった。
心を閉ざしているくせに甘えていました。

確かに人より疲れやすかったり、コミュニケーションが下手ではあったけれど、それを言い訳にしては何よりいけなかったんです。
あと、私は自分で思っていたより、普通の人間だったのかもしれません。
大学5年かかって、ようやく気が付いたことです。

もしチャンスがあったなら、絶対に絶対に今度こそ大事にする。
まず自分がさぼっていたことをしないといけませんね。
素敵な人に、なりたいと思います。
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