ただいまアスペルガー

戦え、ただし無理しないで。 そんな風に生まれ変わったブログです。

イネイブラー

共依存の仕掛け人。相手のダメなところを伸ばしてお世話する必要を作る事で相手に自分を必要とさせる。
自分がない、感じられない。本当は親の苦しみを救いたかったができなかったトラウマを抱えている。

なんだー。これかー。完全にacですやんー。
この数年平和だったのは職場でこれを発散していたからだー。
大学生のときは、サークルの人間関係と当時付き合っていた元彼との関係にずっと悩んでいました。うまくやれない原因を自分の要因の中から探していましたが、人間関係に常にこれが付きまとって、常に「なんか変な奴」ポジションを引き受けてしまっていたのが原因ですね。同期の女の子達が早々に「大人しい女の子」ポジションを取ってしまったので、元々そんなキャラクターでもないのに面白強いお姉さんキャラクターを選んでしまった。後々後悔しました。
元彼に対してもそう。浮気されても面子を潰されても酷いことを言われても必要とされれば離れられなかった。そうして別れて元サヤを繰り返して、相手の一番抉られたくない場所を抉り返して塩を塗り込むことを喜んでいた。最後はdvみたいな状況に陥って、連絡を一切経つしかなかった。全部とは言わないけど、相手の悪意や悪いところを引き出して伸ばしたのは私。計算もしてなかったけど、モンスターのように相手を変えてしまったのはあの頃の私だ。ああそういうことだったのか。

生きていくことの罪悪感から自由になりたい、という願いと、母のようにならないという誓いと。でも同じだね。専業主婦で働いたことのない母だったけど、父のイライラを引き出して引き受けることで、彼女は自分の地位を不動のものにしていたのか。だから彼女の語る自分史は被害者仕立てだったのか。私をイネイブラーにしたのは彼女だ。
彼女のようにだけはなりたくなかったから、新卒の就職では一生働けそうな職場を選んだ。それがもう自分のない選択だよね。そしてがむしゃらに働くことで、できる奴として、必要とされようと必死だった。仕事を次々抱え込んで、それでもこなしきることが快感だった。
全てが、育休復帰後の職場側の期待外れを生んだし、今のモラハラ気味の上司の嫌みをまともに食らって胃をクラッシュさせている原因だね。

夫はものすごく自立した人で、私がイネイブラーであっても引きずられないでいてくれた。安定した環境で育ってきていて自尊心高くて情緒が安定していて回りの人を大切にするし、出会った頃はもう全てを比べてしまって一緒にいていいのか随分悩んだ。煮え切らない私を押しきってくれた。幸せになるなら幸せな人といないといけない。幸せの手に入れ方を、私は知らなかったから。
でもそれは仕事で他人のお世話をして発散していたからで、全てのエネルギーを向けたら、また同じになってしまうんじゃないかな。自覚しないと。
職場でもモラハラ気味な人に絡まれやすいな。というかモラハラ体質だわ会社自体。
だから今仕事は辞めないけど、その先に別の選択も有りうることは意識してもいいのかもしれない。

娘達に同じ事を繰り返さないために。

情と理

なーにがしたいのかなー自分はー。
あの時病院で目覚めて全ての執着がふわふわしてしまったのは、単なる解離健忘だったのかもしれない。
出来事記憶はあったけど、それに付随する自分の感情を全て1つの箱に入れて蓋していただけなのかもしれない。向き合えるかと思って覗き込んだ自分が馬鹿だったんだろう。流れ込んできた自我に飲み込まれる。記憶がしんどい。

状況はすべてひっくり返しました。
安定した職も得て、優しい夫に恵まれて、可愛い娘が産まれ、夏には二人目が産まれる予定です。
あの頃欲しかったものは全て手に入れた。
なのに、何がこんなに私をざらつかせるのか。

私はこれまで、理は情をねじ伏せることができる、そう思って生きてきました。情は危ない、何をしでかされるか分からない、だから理で押さえ込んで生きねばならない。そう思っていました。でも、人の親になってみて初めて分かったんです。幼児が意味もあまり解ってないなりに大丈夫?と聞いてくれたり、肩たたきをしてくれたり、抱きついてきたり。本当に嬉しいんです。他の家の子とは違う情動が、我が子に対しては母はあるんです。我が子の頑張っている姿を見ると、本能的に誉めてしまうんです。
同時に、血より濃いものはないという言葉の意味も考えさせられます。

実母に「あんたは偉いな」と先日電話していてふとしたタイミングで言われました。統合失調症なんだか妄想性障害なんだか、長年本人が苦しんでいるのは分かってるけど、この人を拒絶しなければ私の人生はダメになる。母の皮を被っているけど母だと思ったらダメだ。この人の要求に答え続けるためだけに生まれたんじゃない。そう理で情をねじ伏せて、たどり着いたのが桜の舞うあのキャンパスだったのに。

それでも、いつも親切で優しい義母や義親族達に、夫のお相伴で誉められるより、何倍も嬉しかった。直系の子達ばかり誉められていて妬ましかった。当たり前だ、あちら側とばかり関わっているんだから。皆我が子は可愛いんだ。そのひいきこそ、自然なのに、小さな頃からいつも自分だけ取り残されて、妬ましかった。

近くに子を預けたり頼る親戚もいないのに、職場は遠慮なしに仕事を載せてきて、夫も積極的に手伝ってはくれるけど、自分の側のキャリアそのものが削られることなんて毛頭想像していない。私にはもう、自分のプライドより大事なものがあるだけで、キャリアもしたいこともない。子供のいない、かつて自分がそうだったように、男性陣と同じに日付が変わるまで働ける子達しか相手にされないのが現実。私はしがみついているだけ。迷惑なだけ。それ自体何かがおかしいけど、それが現実。何がワーママだ。何が女性の活躍推進だ。そう腐りきっている私が、ああだけはなるまいとしている反面教師なのに。同じになりたくないと狭いビジョンで人生設計したから、今こうして歯を食い縛るしかできなくなっているのに。だから情という言葉だったのか。理でねじ伏せるしか考えてなかった私には、その時理解する術がなかった。

大人になるって嫌ですね。一生気付かなければ良かったのに。

感情って、脳内の神経伝達物質が見せているだけのもののはずなのに。
コントロールが効かない。妊娠中のせいだと思いたい。

蓋があいて、いいこともあったんです。
運転ができるようになった。
ハンドルを握っても呆然として何も思い出せなかったのに、急に出来るようになった。それは今後役立つと思う。

自分で決める、行動できるということの自由と、恐ろしさと。
でもやっぱり自由は快適だし、誰かの顔色を伺ってびくびくは生きられなかったし。
とにかく今何がしたいのか。時折考えながら生きていくしかないよね。自分の事だもの、自分でゆっくり考えなさい。

情をねじ伏せるんじゃない。柔よく剛を制すとも言うじゃない、今更何言ってるのかもよく分からないけど。愛らしい生き物を抱き締める。一番大事な事を今度こそ見失わないために。同じ事を繰り返さないために。

夢ってなーに。

お久しぶりです。
とは言っても、もう、アスペルガーのことについて、正直書く自信がないので、完全に雑談になってしまいますが。

最近、最初にブログを始めた時を思い出します。
その時は、ASでもそうじゃなくても、人と向き合うのが苦手な人が、どうそのスキルを得ていくか、それをみんなで学べる場が作りたいな、というのが私の夢でした。

私自身、どうしても恥ずかしがりで、楽しい話ができないことがコンプレックスでした。なので、同じ悩みを持つ人と、一緒に高めあえる場が欲しかったのです。


ただ、今の私にその夢はありません。
なぜなら、人とつきあうのは、結局スキルじゃなかったからです。

確かに、うなづき方、あいづち、いろんな要素をいいものにすれば、相手の反応は変わります。相手が心を開いて、いろんなことを話してくれることもあります。

で、それを私は、ちゃんと聞いていたの?
聞けなかったんです。自分の振る舞いばかり意識して、肝心の相手に興味を持てなくなっていったんです。

それに、「場」に合わせることを目指すこと自体が、時代遅れだったのかなと。
「場」や「組織」ではなくて、「個人」同士が興味関心を共有しあっていく流れに、完全に乗り遅れました。自分の好きなものも忘れ、相手に合わせるだけのフワフワと漂う霧と、だれが繋がろうっていうんでしょうか。


大学に入って、もとの内気な自分を変えたくて、おっかなびっくり、時に危ないこともしました。
終わりが近づいて思うのは、本当に自分のしたいことを、もっとすればよかったなってことです。

内気でいいから、恥ずかしがりやのままでいいから、大事な人を大切にして、もっと好きなことを勉強すればよかった。ゼミもサークルもこれでよかったと思う。ただ、自分のキャラを変えただけで、成長できると思ったら思い上がりもはなはだしかった。
結局、情熱がなければ、意味がない。って言うとブラック企業の求人みたいですが(笑)。情熱という言葉しか思いつかないのが腹立たしいくらいで。日本語って前向きなニュアンスが少ないですよね。
とにかく、したくもないコミュニケーションをするスキルを得ても、幸せになんて、なれないです。
環境が合わないなら出てもいいし、環境をあえて好きになってみるのもいい。ただ、どっちでも、「生きること」を目標にしないほうがいいと思うんです。最近。
「生きること」って、もしかしたら手段でしかないのかもしれないから。
あと40年も働かなきゃいけないじゃない、40年しか働けないって。
思えたら素敵。思えない時期があっても長くてもそれは問題ないと思うから、「こう思える人にならないとだめだ」ってもう自分を責めるのもやめたいと思います。

若者の草食化っていうけれど、自分でリスクを背負うことの価値をその上の年代が示せないのだから、当たり前だと思う。
でも、リスクを取って何かに一生懸命やってる同じ若者に、置いていかれてしまうのもまた事実。

興味を趣味から学問に変えていくこと、今からでも遅くはないと思うし、その時間を作れることもこれからきっと役立つのだろうけど。興味を幅広く持ちたいとも思う。

ただ、何を目指したいのか、どんな幸せがほしいのか、今はまだ見失ったままなので、考えないといけないのですよね。


とりあえず明日もバイトに行きます。日々是勉強。
そんな感じです。真面目しか取り得ないですから(笑)。
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