2011年05月

2011年05月13日

こちらのブログは今日で終了させていただきます!

こちらのブログをご覧いただいていたみなさまへ。

本日をもちまして、こちらのブログは終了させていただくことになりました。
実は、平林亮子オフィシャルウェブサイトをリニューアルしまして、ブログもその中で展開していくことになったのです。

本ブログは、このまま公開(放置?)しておく予定です。

これからも平林亮子をよろしくお願いいたします!


世界中が素敵な笑顔で満たされますように。

hirabayashicpa at 07:30|Permalink つれづれ 

2011年05月10日

そういえば

「監査法人をやめて独立する」
と決め、監査法人を飛び出したのは25歳の時。

独立というとかっこいいですけれど、監査法人を辞めたあとの仕事のあても展望も何もありませんでしたから、正確には「監査法人からの逃亡」でした。

監査法人や監査の仕事がそれほどいやだったわけではありません。

人間関係や仕事の内容、というよりも、「出張、残業」と「人見知りなのに毎日のように初対面の人と会話をしなければならない状況」が苦痛でした。
そこで「出張と残業をなくしてほしい。給料は半分でいいし、昇給も昇進もいらない」と人事面接で訴えたこともありましたが、「そんなことできるわけない」と一掃されてしまいました。

そうこうしているうちに、年中体調を崩すようになり、監査法人を飛び出す直前は、帰りの電車でわけもなく涙があふれるようになりました。

今思えば、自分なりにうまく対処できる程度のどうってことのないストレスだったのだと思います。
私の訴えを退けた組織の論理も至極もっともです。

でも、そういう状況にいると、どう対処していいのかわからず、その上、それだけの仕事もこなせない自分に自己嫌悪に陥ったりするのですよね。

というわけで、私はサラリーマン生活を2年と3か月しか続けられませんでした。
社会人失格です・・・・・・。

そんな状態で監査法人を飛び出しましたから、経済的に自立できるだけの仕事を続けられるなんて、まったく思っていませんでした。
「なんとか結婚して専業主婦になる。いざとなったら、両親に土下座をして家事手伝い(つまり親に面倒をみてもらう)になる」
と本気で考えていました(笑)
とはいえ、主婦業だってそんなに甘くないですし、本当にいい加減だったと思いますが、それくらい、自分に限界を感じていたのは確かだったのです。

なぜだかわからないのですが、今日、突然「そういえば、私はそんな風にして、監査法人から逃げ出したのだ」ということを思い出しました。

そして、そう考えると、今こうして、公認会計士として独立してお仕事をさせていただける状況が本当にありがたいのです。
独立(逃亡)してからは信じられないほど体調も良くなって、それも本当にありがたいのです。

「独立」という自分の一つの原点を思い出すことで視野も広がったような気がしたので、そんな原点を忘れないようにという思いを込めてブログに記してみました。


世界中に素敵な日々が訪れますように!
世界中が笑顔で満たされますように!

hirabayashicpa at 21:22|Permalink つれづれ