どうでもいい通信

適当にやる、消極的にやる、自信なくやる、を強力に推進する。歩く遠慮、平林勇のブログ。

大藤信郎賞受賞

『663114』が第66回毎日映画コンクールの「大藤信郎賞」を受賞しました。

http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20120118k0000m040118000c.html

大藤信郎賞というのは、日本でもっとも権威のあるアニメーション賞と言われています。第一回受賞者は手塚治虫さんで、歴代受賞者に、和田誠さん、久里洋二さん、川本喜八郎さん、大友克洋さん、宮崎駿さん、今敏さん、山村浩二さんなど、めまいがするほどの方々がいます。

初めて作ったアニメーション作品でいきなり凄い賞をいただいて驚いています。『663114』のアニメーションそのものを評価されたのではなく、震災後すぐに、震災をテーマにアニメーション作品を作り、ベネチア映画祭を始め、海外に「被災した日本の作家の作品」として発表したりした事も評価されたのではないかと思っています。

『663114』は、たまたまアニメーションという技法を使った作品で、最初で最後のつもりだったのですが、今回の受賞を機にもう何本かアニメーション作品を作ろうかと思いました。アニメーションを作るには時間と根気が必要なので、なんらかの制作システムを作らなければと思っています。

この1月2月に『663114』は、サンダンス映画祭、ベルリン映画祭、クレルモンフェラン国際短編映画祭で上映され、、毎日映画コンクールの大藤信郎賞受賞と、なかなか派手な動きをしていますが、良くも悪くも仕事にはまったく影響がありません。ひとつひとつの仕事を地道に着実に仕上げている日々です。仕事の裏でこんな活動をやっている事すら表に出さず。

いろいろと映画祭とか

そこまでやるか!ってぐらい仕事をしている。ひとつつまずくとドミノ式にすべてが終わる、ぐらいまで詰め込むとダメなので、打ち合わせや現場などの外回りと、企画やコンテ描きなどの内作業のスケジュールと、睡眠時間をパズルのように組み合わせている。「忙しさの平均化」とでも言うのか。「持続可能な多忙」とでも言うのか。そんなことを意識してやっている。

そんな仕事の合間にアニメ作品『663114』の映画祭がらみのメールがいくつか届いた。

まずは来年1月のサンダンス映画祭。サンダンスは今年『Shikasha』で参加しているので2年連続。今年は実写で来年はアニメというその感じがちょっと嬉しい。

次に2月のベルリン映画祭。ベルリンは2010年の『aramaki』に続いて2回目。今回はGeneration14plusという若者を対象としたコンペ部門。

さらにクレルモンフェラン国際短編映画祭。クレルモンフェランは去年も『Shikasha』が上映されたし、今までも何度か上映されている。一度は行ってみたい映画祭だけど、今回も行けそうも無い。

映画祭活動は、コンペにノミネートが決まった瞬間がうれしさのピークで、その後の上映用素材の準備などがなかなか大変。料理を作って食べるまではいいけど、皿を洗うのが面倒くさいみたいな。

来年のカンヌ映画祭に向けて作品を作りたいけど作れるかどうか。締め切りが3月ぐらいだとして撮影が2月。ということはもうシナリオや企画は動き出さないとまずい。2月と言えば、すでにもういろんな動きが入っていてどうなることやら。

まだ書けないすごい情報があるけれども公表出来ない。来年1月の末ぐらいに公表らしい。

こうして短編映画の活動が人生を充実したものにしてくれ、さらに仕事にも力が入る。このサイクルはいつの間にか出来上がったものだが、しばらくは続けて行きたいと思う。どちらに偏るということも無く。というか、現状でも9対1で仕事なのだが。

しかしまあ

ベネチア映画祭から帰ってきた当日からいままで、ブログを書くヒマなんて無く働いた。もう軍人のように働いた。ザッザッザッと、脇目もふらず冷静にかつ確実に。睡眠時間を削らないことによって、働き続けられるシステム。一回でも徹夜するとダメなんだこれが。ガラガラッと崩れる。でも、規則正しい過労ってのは続けられる。これは発見だ。

そんな事はいいとして、11月は『663114』の上映がある。10月もあったが告知するまもなく終わってしまった。11月はスイスのヴィンタートゥール短編映画祭のコンペ部門( http://www.kurzfilmtage.ch/ )と、スペインのビルバオ国際短篇映画祭のコンペ部門( http://www.zinebi.com/zinebi53/en/ )と、エストニアのAnimated Dreams( http://2011.anima.ee/eng )。

やはり映画祭に参加するなら花形のコンペ部門に選ばれたい。コンペ部門に選ばれたときの嬉しさと言ったら無い。運動会で例えると、コンペ部門がリレーで、それ以外はダンスみたいなもんか。いや、わかりづらい。

いまやブログに仕事の書くと怒れれちゃうから、こうやって映画祭関連の事しか書けない。そうすると映画ばっかり作ってる人と思われちゃうから良くない。広告の仕事ばっかりしてますよ。

しかしまあ。

ベネチア映画祭十日目以降

ベネチア映画祭十日目以降

ちゃんと日記を付けていなかったので、十日目以降の具体的な内容を忘れた。自分の上映が終わるといつも映画祭自体が終わった気分になる。帰国後の仕事モードになってしまう。だから映画祭最終日の祭が終わる寂しさとか、感慨深いモノが全然ない。気持ちの切り替えが極端に早いが、それも善し悪しある気がする。「余韻に浸る」なんていう事がないから。逆に「浸る」精神性が弱いから、次へ次へというモチベーションにもなってるんだろう。

ベネチア映画祭七日目〜九日目

ベネチア映画祭七日目

昼からベネチアビエンナーレを見に行った。会場は借りているアパートからすぐ。数年前に一度見に来たことがあり、入り口に着いたら一気に思い出した。端っこの会場から順番に見ていった。会場が国別に別れているので、レベルの差が激しい。美大の卒業制作みたいなのもあれば、本当に驚くべきアート作品もある。気になったのは、現代美術の映像作品のクオリティが低いこと。学生の頃から思っていたんだけど未だに変わらず。クオリティというのは、コンセプトとかじゃなくて単純に技術的なクオリティとして。ビデオ片手に撮りっぱなしでそのまま展示してしまってるような感じ。しっかり撮影してないし、しっかり編集してないし、色味の調整すらしていない。「そういう加工はアートではない」っていう考えもあるんだろうが、ちゃんと仕上げた方がコンセプトが伝わる作品ですら手を抜いているから、その理由は理由にならないと思う。あとは「驚き」を含んでいない作品は、数十年遅れている気がした。作家の魂の叫びや現代の問題をザックリと乱雑に表現している方法は古い。昔はそれが「驚き」だったんだろうが、もうそういうのは見飽きた感がある。

面白かったのは、アメリカ、韓国、フランス、日本だった。日本の束芋さんのは頭でっかちなコンセプト倒れにならず、驚きもありすごく良かった。だいたい、日本人は日本人の作品を斜めから見てあらを探そうとするが、それでも良かった。映像だけを抜き出したら成立しない作品だなとあらためて思った。やっぱり束芋さんの映像作品は、インスタレーションとしての映像で、そこに面白さや強みがあるから。

10年ほど前、『PENIS』という作品を作り、京都造形芸術大学主催のコンペでグランプリをいただき、それがきっかけて、広告の仕事をしながらも短編映画を作るようになった。その時の審査員の1人に束芋さんがいて、その束芋さんがベネチアビエンナーレに選ばれた年に、自分はベネチア映画祭に選ばれたというのは、感慨深いものがある。


ベネチア映画祭八日目

午前中からアミールナデリ監督の『CUT』を見に行った。本当は他の作品の上映だったのだが、急遽入れ替わりに。監督も来ていて軽く挨拶していた。人柄の良さそうな監督だった。『ヒミズ』でヤクザだったでんでんさんが、この作品でもヤクザだった。でんでんさんは、最高に良かった。本当に良かった。

さらに夕方から『迷子の鉄道音楽隊』の監督の新作を見に行った。前作がもの凄くデザインされた画面だっただけに期待も高まっていたが、割と普通な設定で淡々と描くもんだから、それほど良くなかった。カウリスマキの薄い感じってところか。

夜、水江さんと映画祭ビレッジで合流。軽く酒を飲んだ後、上映前の控え室に。そこにはこれから上映される自分たちのチームと長編のフランスチームしかいない場所で、スパークリングワインやら生ハムやらをいただいた。「ベネチア映画祭に来たんだなあ」と一番感慨深かった瞬間だった。上映時間が来て、短いけれどもレッドカーペットを歩き、レッドカーペットの途中で公式写真を撮られ、会場に入っていった。会場に入ると観客から拍手で迎えられる。関係者席に座り、上映が始まった。最近はふてぶてしくなってきたのか、作品の上映時にドキドキすることはなかったが、なぜか今回はドキドキした。確認すること無かったDCPもちゃんと出来ていた。音も大きすぎるぐらいに出してくれた。1つだけ不満があるとしたら、画面の外にイタリア語字幕が出ているのにもかかわらず、画面の中にも入っていた。たぶん、画面の中の字幕をオフし忘れたんだろう。でもまあいい。前の席に、審査委員長のジャジャンクー監督が座っていた。

上映後、興奮冷めやらぬままアパート近辺に戻ってきたが、どうでも良さそうな店しかやっておらず、そこにみんなで入ってしまったが、やはりどうでも良い味で、肩を落として帰った。なぜ、ワールドプレミアの後に、どうでもいい店に入ってしまったのか、関係者の証言と共に検証する必要があるだろう。


ベネチア映画祭九日目

朝9時から『663114』の2回目の上映。昨日とはうって変わって、観客は少ない。関係者席も特にない。今回は昨日の字幕のミスが修正されていた。上映後にプレスカンファレンス。渡邊さんと飯嶋さんと共に会見場の舞台にあがり、質問に答えた。プレスの人が本当に少なかったので、あんまり演説みたいに話をするのもなんだなあと思い、簡潔に答えた。まさかオフィシャルにYoutubeでアップされるとは知らず。それ知ってたらもっと演説したのになあ。

これで公式行事はすべて終わり、気が楽になったと同時に、帰ってからの嵐のような仕事が現実に思えてきた。

夕方からシネマトゥデイの取材で中山さんとお話させていただいた。いろいろと思うところもあり、いろいろと話をしたが、記事に出来ない部分も多々あった。震災と原発事故をテーマに作品を作ったことに、自分の中でも総括できていないし、自分の中でもまさにいろいろ考えている最中。取材後も、いろんなお話をさせていただいてすごく楽しかった。中山さんはスッとこちらの懐に入ってくるので、本音がポロポロと出てしまう。さすがだなあと思った。

夜7時からオリゾンティだけのパーティ。パーティは通常キライなのだが、オリゾンティのパーティは良かった。音楽がガンガンかかっているわけでもなく、関係者が営業しまくってる訳でもなく、それぞれの作品の関係者達が楽しそうにその場にいてお酒を飲んでいた。ベルリンでもカンヌでも、いやな緊張感があったが、今回はなかった。なぜなのかわからないが「もっともっと自分をアピールしてっ!他の監督に負けないぐらい、自分をアピールしてっ!そしてチャンスを掴んでっ!」みたいな空気がゼロなのが本当に居心地いい。そういう個人的なアピールは本当にキライ。個人的に強靱だったら作品作ってねえよと。

夜9時から水江さんと塚本晋也監督の上映。水江さんの作品の上映後、客席から「ヒュ〜!」が出た。気持ちの良いアニメーションだった。表現としては気持ちよく仕立てられているが、ひたすら作業をした事による「怨念」みたいなモノも感じた。作品ってそういう部分が大いにあると思う。塚本監督の作品も爆音ですごい作品だった。作品以上にすごかったのが、上映後の塚本監督を取り巻く環境。拍手は鳴りやまず、観客は監督を取り囲み、写真とサイン攻め。会場から出ても写真とサインと取材攻め。本当にベネチアに愛されてるんだなあと思った。正直、他の作品を見たときにも数分間の拍手は起きるのだが、それは儀式的なモノで、塚本監督の拍手は本当に心の底からの拍手だった。はたから見ていても震えた。あれは本当にすごい。

その後、近くの美味しいと言われるレストランに我々一行と水江さんと岡本さんと行き、祝杯をあげた。量は少なかったが美味しかった。水江さんとは最終目標は「タモリ倶楽部に出ること」という点で一致していた。水江さんは落語家にしか見えなかった。着物を着ていたというのもあるが、話し方やたたずまいが落語家っぽい。会話に入ってくるテンションがタモリ倶楽部っぽい。映画とは関係の無いくだらない話で盛り上がった。下ネタですが。

ベネチア映画祭三日目〜六日目

ベネチア映画祭四日目

そろそろ映画でも見て映画祭気分に浸ろうと思い、アミールナデリ監督の『CUT』を見に行ったのだが、着いたのが15分前だったので長蛇の列に並んでも入ることは出来なかった。「あ〜、そうそう、映画祭ってそうだっけ。」と思い作戦変更。映画祭ビレッジでビールを飲みながら分厚いカタログを片っ端から調査。やはりオリゾンティ部門に風変わりな作品が多い。2時間後のオリゾンティ部門を見ることにした。

オリゾンティ部門では、ひとつのプログラムの最初に短編が上映され、その後に長編が上映される。だから、いつもやっているように、短編映画をひたすら見まくるという作戦が出来ない。この日見た作品は、古い映画のアーカイブを再編集した短編と、かなり映像力のある長編だった。古い映画のアーカイブを再編集して新しい話を作る短編って、どの映画祭に行っても1本はあったりする。「映画史からの文脈を使い新しい話を再構築」みたいなのは、映画祭向きと言えばそうなんだろうが、目新しい表現にはならないし、手間がかかってないように見えてあんまり好きじゃない。長編の方は面白い撮影を試していたり、重厚かつ革新的で刺激的だったが、やはり実験的というのは見る方にかなりのストレスを与えながら上映することになる。自分の作品もまだまだ実験的で見る人にストレスを与えながら見せている自覚があるから「つまらない」などとバッサリ斬れない。

上映後、リド島からアパートのあるベネチア島に戻り夕飯。ベネチアに着いた日の夜と、次の日の昼飯以外はすべて自炊。これまでに作ったメニューは、牛タンの付け根の醤油焼き、皮付き豚肉とトリッパのトマトソース煮、ブタスペアリブの和風だし煮、小イカのガーリックマヨネーズ炒め、パンチェッタとガーリックのパスタ、ナスとズッキーニのパスタ、カリフラワーとインゲンのコンソメ茹で、などなど。こんなに本気出して料理をし続けている映画祭も初めてだ。キッチンが広く、食べる人数が多いから作りがいがある。そして、素材が良いのか、ほとんどが美味しくできる。後半戦は魚市場で魚介類を買って料理してみようと思う。

この日から三泊は映画祭から提供されたホテルに1人だけ泊まる。夕飯を食べたらまた船に乗ってリド島へ。とはいえ、ベネチアのアパートもリド島のホテルも、船の駅のすぐそばなので全然楽。ホテルの部屋は屋根裏部屋みたいに狭い部屋で薄暗く、夜遅く帰って朝早く出るという、よくわからない使い方になっている。


ベネチア映画祭五日目

午前中から、帰国後にすぐ撮影が始まる仕事の演出コンテ作り。16:9の枠をプリントアウトした紙を日本から持ってきていたので、それにコンテを描いた。スキャナは持ってきてないので、描いた紙をデジカメで撮影して取り込み、PhotoshopとIllustratorでコンテ化。撮影技術的に少し複雑な内容なので、5時間ほどかかった。

夜9時半から見たい長編映画の上映があるので、夕方4時半ぐらいから夕飯。スモークサーモンや生ハムやコラーゲンの塊みたいなやつをつまみにし、あとはトリッパのトマトソースパスタ。

夜、リド島に渡り映画祭会場へ。早く行かないと見れないかも知れない!と思って行ったら誰も並んでなかった。作品によるんだなあ、などと隣のカフェで水を飲んでいたら、一気にぞろぞろと並び出すから気を抜けない。この日の上映はNicolas Provost監督の『The Invader』という作品。Nicolas監督とはベルリン映画祭でも同じで、サンダンス映画祭でも同じ部門だった。たぶん、クレルモンフェランでも同じだった気がする。今回は長編と短編の2本がオリゾンティ部門に選ばれている。極端な実験映画監督というイメージが強かったので、この上映も覚悟して見に行った。たぶん、95分間、難解な映像が続くんだろうと。しかし、冒頭のインパクトが凄く、一気に引き込まれ、最後まで見てしまった。しかも実験映画ではなく、きっちりとストーリーのある劇映画だった。そう来たか、と思った。長編で実験映画をやると、「保護という名の隔離部屋」みたいな扱われ方をしてしまいかねないのだが、Nicolas監督はメインストリームに向かって舵を切った感じ。短編から長編へどう移行するのか、自分と立ち位置の近い監督の行動にすごく興味がある。

この日も1人でリド島泊。


ベネチア映画祭六日目

天気は雨。とはいえ活動しないわけにも行かないので、昼からベネチアビエンナーレを見に行った。と思ったら月曜日が定休日とのこと。むむむ!と思い、アパートに引き返し、ペペロンチーノを作った。塩加減を失敗し、しょっぱいペペロンチーノに。料理は「味が薄い」にはまだ救いはあるが「味が濃すぎる」は致命的だ。

夕方、園子温監督の『ヒミズ』を見に行った。基本的に関係者が多い上映回なのだが、かなり早い時間から行列していた。なんかもの凄い映画だった。最後、同じセリフを繰り返すのだが、上映後、そのセリフを繰り返している観客が何人もいた。

その後、久しぶりに岡本さんとお会いした。岡本さんは日本のインディーズ作品のディストリビューターとでも言うんだろうか。ニコラ監督の事も知っていて、長編映画を作る大変さを聞いたり、すごく参考になる話が聞けた。酔った勢いで「次は長編で三大映画祭を目指します」と言ってしまったが、言ってしまうと夢は叶うという法則があるから、恥ずかしげも無く言うようにしている。

時間が経つのが早すぎる。

ベネチア映画祭一日目〜三日目

ベネチア映画祭一日目

ついにベネチア映画祭へ。

そして念願のA380。フランクフルト経由のボーイングA380をあえて狙ったと言ってもいい。外観は巨大で格好良かった。中に入ったら、意外と普通だった。ボーイング747とそれほど変わらない印象。シートが薄くなっていて、機内が明るい印象。分厚いシートで重苦しい雰囲気のまま12時間耐えるというのもキライじゃないが、この明るさは悪くない。しかも満席じゃなかったので、3つのシートを使い、エコノミークラス的フルフラットベッド状態でフランクフルトまで。前日寝てなかったせいもあり、映画も見ず、本も読まず、起きたらヘルシンキ辺りを飛んでいた。飛行機好きとしては、起きたらあと2時間みたいなのは喜ばしい事じゃない。起きてもあと8時間、みたいなのがいい。ちょっと機内をパトロールしてみるか、ぐらいがいい。

フランクフルトで渡邊さんたちと合流しベネチアへ。空港からは船でベネチアの島まで。そして、今回はホテルではなくアパートを借りた。ホテルを探すと軒並み一泊2万円〜みたいな金額が出てくる。一泊2万円〜だから、一泊4〜5万円のとかも普通。11泊で計算するとそれなりの金額になるし、どのホテルも内装が中世のヨーロッパみたいでどうかなあと思っていたところ、アパートを発見。5人部屋で一泊2万円のところを借りた。空港で、今着いたというメールをアパートの管理会社に送り、アパートの前に言ったら優しそうなおばさんがいて、カギをもらったりお金を払ったりした。70㎡のシンプルなアパート。窓を開けると運河。ここが自分の家だったらと思うぐらい快適なアパート。

とりあえず荷物を置いて、近くのレストランに行って夕飯を食べその日は終了。


ベネチア映画祭二日目

朝からただならぬ連絡が日本からある。完成したかと思われた作品を、少し修正しなければならない。データは持ってきていたので、編集自体は5分もあれば修正できるのだが、5ギガのデータをサーバにどうアップするか。日本から持って行ったイーモバイルのPocketWiFiは設定料金の5万円を越えてしまい使えず。そもそも回線は遅い。てか、イーモバイル、なんで半日で5万円越えてんだよと。ちゃんと海外一日使い放題で設定したのに。で、あるタイミングを境に、ベネチアのどこに持って行っても圏外に。たぶん映画祭の会場に行けば、高速インターネットがあるはずだとの推測の元、サーバーへのアップロードの前に買い出しに。なぜアップロードの前に買い出しなのかはわからないが。

ベネチアで唯一の大きなスーパーというところまで30分ぐらいかけて行き、肉やら野菜やら調味料やらを大量に買い込んで、船に乗ってアパートまで戻るという計画。買い出しまでは良かったのだが、船に乗ったら歩くより遅かった。もう全然着かない。そして暑い。熱中症で倒れるかと思うぐらい船内は暑かった。1時間半ぐらい乗った気がする。下りる駅に着いたときに、まさか着くとは思わなかった、とすら思った。

買い出しを終え、映画祭会場へ。データのアップロードをするためにMacBookProを持って。会場に着き、アクレをもらい、Macを立ち上げたところ、高速インターネットどころか、WiFiの電波すら出てこない。Macを開いたまま映画祭の会場の中をひたすらWiFiの電波探しの旅。やっと変な片隅でWiFiの電波を受信し、150Mのデータの送信を開始してみたのだが「残り10時間」と表示された。バッテリーはあと1時間しかもたないし、10時間待つのはヒマすぎると思い、さらにさまよいの旅に。映画祭の関係者に聞き、一番ネット環境が良い場所を教えてもらったら、プレスの人たちがいる会場だった。良かった良かったと思い、Macを開いたら、繋がる電波は飛んでなかった。会場に常設してあるプレス用のパソコンのLANケーブルを引っこ抜いてMacに差しても、IPアドレスの設定なんかを聞かれたりして、繋げることが出来ない。ああ、これでデータは送れず、修正は出来ず、あ〜あ、とやさぐれたのだが、今までの海外での経験上、ホテル周りや観光の中心部は結構強力な電波が飛んでいて、クレジットカード払いで繋げられることもあったと思い、リド島からベネチアへ戻り、さらに電波探し。とりあえず中心部であるサンマルコ広場に行ってみたら、そんなに速くはないが繋がる電波が見つかった。70KB/秒ぐらいの早さ。MacBookProを広げたままサンマルコ広場の電波調査。一番安定していて早い場所を見つけ、そこに陣取ってデータ送信。残り40分と出た。バッテリーは残り50分。祈るような気持ちで40分待ち、無事送れた。神がいたと思った。そうこうしているうちに夜になっていた。


ベネチア映画祭三日目

ほとんど三日目にしてやっと映画祭に参加する感じ。

午前中、共同通信の方から電話があり、取材していただけるとの事。午後、映画祭会場に行き、共同通信、朝日新聞、読売新聞の方に取材していただいた。どんな質問をされてもほとんど言葉に詰まることなく答えが出てきた。感覚的に作った作品ではなく、割と論理的にメタファーを含めた構造を考えて作っていたからだと思う。論理的でシンプルな構造で骨組みを作り、表現でジャンプさせるという方法が、いまの自分が考える、もっとも強力な方法な気がしている。

その後、映画祭会場の中を探索。メイン会場のレッドカーペットを見た時、やっとベネチア映画祭に来たことを実感した。もう写真撮りまくり。思っていたほど巨大な映画祭ではなかった。ベルリン映画祭はもっとでかいし、カンヌ映画祭は桁違いなんだと思った。でも、ベネチアというそもそもが非日常なところでやる映画祭という事もあり、ワクワク感はカンヌやベルリンよりも強い気がした。今回は11泊もするが、あっと言う間に終わる気がしている。なぜだか。

ベネチア映画祭関係の記事

ベネチア映画祭関係の記事です。

cinema cafe

http://www.cinemacafe.net/news/cgi/release/2011/08/11157/

HogaHoric

http://holic-mag.net/whatsnew/2011/08/10/1027/

アニメ!アニメ!

http://animeanime.jp/news/archives/2011/07/post_1646.html

朝日新聞

http://www.asahi.com/international/jiji/JJT201107280127.html

時事ドットコム

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011072800978

2011年製

ここ一週間ほど妻と子を実家に残し、ひとり悠々自適に過ごせるはずだったのだが、毎日早起きして夜中まで働いている。子供がいると保育園に送っていった9時半からしか動き出せないのだが、子供がいないから朝8時に家を出るという日々。自分が独身だったら、ただただ仕事に溺れていくんだなと思った。

常にこうやってギリギリの攻防をしていて、のんびりするなんて映画祭に行ったときぐらい。最近じゃ有名で大きい映画祭じゃないと、二人の子供をおいてでも行ける雰囲気じゃないから結構大変。メジャーどころを狙わないと休めもしない。そろそろ5歳になる息子でも連れて行こうかと思う。

ベネチア映画祭での『663114』の上映日が決まった。9月7日21時と、8日の9時。8日は上映後に公式会見がある。

今回の作品は、ダーツの様に映画祭狙いで作ったわけではなく、震災後の異様な雰囲気の中、仏像を彫る様に作った作品。怒りと失望と願いが込められている。あんまり「ベネチア決まったぜ!イェイ!」って作品じゃない。今まで作ってきた作品のようなひねりもない。震災直後にその作家が何を作ったか、という事実が残ればそれでいいと思っていた。震災直後、不謹慎と言われながら被災地に入った映像作家たちもそうだと思う。

いま作家がやるべき事は、ただただ作品を作ればいいと思う。その作品の正当性なんてどうでもいい。2011年に誰が何を作ったかという事実が大事だと思う。2012年に思い返したように作ったんじゃダメで、2011年に作られたというクレジットがすごく重い。

三大映画祭

ベネチア映画祭に向けて、いろいろな準備をしている。上映用のDCP制作や、英語版とイタリア語版のプレスキット作り、上映テスト用の低解像度ムービーを送ったり、ベネチアに行ったときに使うアクレの申請をしたり、などなど。やることは盛りだくさんで、金も驚くほどかかる。でもいい。ベネチアは悲願の映画祭だから。

美術大学に行っていた頃から、ベネチア映画祭というのは、元がベネチアビエンナーレという事もあり、一番あこがれの映画祭だった。どうしても行きたい映画祭だったが、4回ほど落とされ、やっと今回『663114』という作品で、上映させてもらう事になった。

『BABIN』でロカルノ映画祭に行ったとき、短編部門の作品を全部見た。撮影テクニックや上質感、ハイレベルな映画っぽさは、ヨーロッパの作品は凄い。でも、コンセプトの立て方が保守的で、これは勝負出来ると思った。そこからロカルノを入れた四大映画祭制覇を目標にした。

日本で短編を作っている若い監督たちは、「三大映画祭には凄い作品が集まる。」と思っているフシがあるが、実際に行って見てみると、凄い作品はそんなに無い。3本ぐらい、腰が抜けるほどの凄い作品はあるが、あとはそんなに凄くない。むしろ保守的で、同じ監督に出会うことも多い。

映画祭のセレクターに聞いてみないと本当のところはどうなのかわからないが、今までの経験から感覚的に思うのは、「作品自体の凄さ」では選んでおらず、その監督が持っているストーリーや輪郭で選んでいる気がする。監督が持っているストーリーや輪郭というのは、いままでの「作品群」(フィルモグラフィ)と、いろんな映画祭での上映歴や受賞歴、一貫したコンセプトやトーンなどから導き出される「作家本体」というか。

もしかしたら短編映画だけじゃなく、現代美術や写真や長編映画なんかでも同じだと思うんだけれども、観客は作品を観るが、キュレーターは作品の向こう側にいる作家を観る。そのときに、その作家がストーリーを持っているかどうかが、その作品を選ぶかどうかの大きな判断材料になるんだと思う。そのストーリーを作るという点から、どうしても三大映画祭にこだわらざるを得なくなる。

日本人がよく知っている映画祭としての三大映画祭という側面は確かにあり、そこで上映されることが晴れ舞台で、日本で注目される限られた映画祭だったりもする。当初はそういう目論見もあったのだが、短編映画には人生を変えるほどの注目度はない事もわかった。ベルリンに行ったって、カンヌに行ったって、サンダンスに行ったって、何も変わらなかった。映画祭のほとんどの記事で、短編は無視される。有名人が出ている長編映画だけが取り上げられる。でも別にそんなことはどうでもいい。読む方だって短編映画には興味が無いんだから。

そんな事ではなく、欧米が作り上げている映画祭コミュニティというか、ある種差別的で閉鎖的な映画祭サロンというか、そこに入っていくためには三大映画祭にこだわらざるを得ない気がした。「そんな欧米が作り上げた映画祭サロンになんて入らなくていい。とくかく面白い作品が作れればいい。とにかく真っ当な作品が作れればいい。」という圧力は日本では感じる。特にインディペンデント方面から。「海外の映画祭なんて意識してんじゃねえよ!」と。でも「とにかく面白い作品が作れればいい」の行き着く先は、「貧乏でもいい。誰も観てくれなくてもいい。誰にも評価してもらえなくていい。とくかく面白い作品が作れればいい。」になってしまう気がした。自分にはそこまでの作家としての覚悟が無いから客観的な評価が欲しいと思った。特に短編映画の場合、映画祭に向かわないとしたら、どこに向かうのか。

そういうスタンスで作品を作り、映画祭に出してきた。三大映画祭で上映されるという当初の目標は割と早く達成出来た。日本の若い監督に言いたい。日本映画界の重鎮や関係者なんかが「貧乏で何が悪い。魂の入った作品を作る姿勢こそがお前の人生。人物を描け。映画祭ウケを狙うなんてもってのほか。お前は本当に映画が好きなのか?」と言って、足を引っ張るかもしれないが、耳をふさいで海外の大きな映画祭を狙ったらいい。自分はこれから長編の方に舵を切っていこうと思う。

この秋上映

この秋、いろんな上映があります。

『663114』
ベネチア国際映画祭(イタリア)

『Shikasha』
ミラノ映画祭(イタリア)
マケドニアの撮影監督の映画祭(マケドニア)
レンヌの短編映画祭(フランス)
サンパウロ国際短編映画祭(ブラジル)
札幌国際短編映画祭(日本)
Seoul international Extreme-Short Image & Film Festival(韓国)

『5+camera』
グアム国際映画祭(アメリカ)

『aramaki』
CALF夏の短編祭(日本)
札幌国際短編映画祭(日本)

『名称未定』
仙台短篇映画祭(日本)

いまのところこんな感じで、
これからまたいろいろと決まる予定です。

ベネチア国際映画祭

震災後に作ったアニメーション『663114』がベネチア国際映画祭のオリゾンティ部門に選ばれました。

http://www.labiennale.org/en/cinema/news/orizzonti-section.html

ロカルノ、ベルリン、カンヌと来たので、ベネチアにはいつか行きたいなあと思っていましたが、思ってもみない早いタイミングで決まりました。ちょっと震え上がっています。

8月31日からベネチア入りします。

今回の作品はアニメーションで、作画から動かしまでほぼ一人でやりました。まさかアニメ作品でベネチアに決まるとは思いませんでした。内容は、放射能をテーマにしていてかなり重いです。アニメ作業をしている時は、仏像を彫っているような心境でした。スタッフのみんなには「作品というよりも、奉納物を作るような感じで作りましょう。」と、立ち位置を確認しました。

久しぶりに

えー、ドドドッとブログを書いては、全然書かない日が続いたり、そんな感じで続けております。今日は大きめのピザを買い、2切れぐらい食べようと思ったのですが、全部食べてしまいました。そういう事実を隠しつつ、「なんでお腹が引っ込まないのかわからない!」などとほざく日々でございます。ほざいております。

一ヶ月ぐらい前からなんとなく仕事が動き始めています。震災後にドーンと静かになった広告業界ですが、少しずつ動きが見え始めている感じがします。ここのところ、なにやらと忙しくなりつつあります。でもフリーランスでやっているので、どんだけ忙しくても「かなりヒマです」と、表情ひとつ変えずに言える技術も安定しております。

8月に短編映画の撮影をします。6月に手探りで作ったアニメ作品以来です。今までの完全自由な流れとは違い、依頼系の短編映画なので、少しだけ編成を変えて作る予定です。その後、9月か10月にももう一本作る予定です。

今まで作品を作るに当たっては、意識的に普遍的な描き方をしてきましたが、日本がこんな状況になってしまい、どうしても具体的というか、時代とのリンクを濃くした作品を作らなければと思ってしまいます。それがいいのか悪いのかわかりませんが、自分の脳みそが完全に影響を受けてしまっているので仕方ありません。

それにしてもなんというか、このまま自分の人生を消化試合にしないようにしなければと思います。自分の人生が上手くいかなかった理由を時代のせいに出来る世代です。簡単に絶望できる世代ですが、遅かれ早かれ死ぬので、ある程度やりたいことをやって死にたいと思います。自分の仮定死期は59歳なので、あと20年、どん欲にやっていかないとなあと思います。

そこから逆算すると、いまやらなければならない事が結構見えてきます。もうそろそろ短編映画を作っている場合じゃないんです。あと3〜5年の間に、上手い具合に短編から長編へ移行できたらと思っています。

どなたか2000万円ぐらいでいいので出資していただけたら、すごい長編作りますよ。

今後の上映情報

「CALF・夏の短編祭」(9/3〜9・渋谷ユーロスペース)で『aramaki』が上映。「Seoul international Extreme-Short Image & Film Festival」(9/29〜10/4・ソウル)で『Shikasha』が上映。「札幌国際短編映画祭」(10/5〜10・札幌)で『Shikasha』『aramaki』『HELMUT』が上映。

あと、未発表作品が2本あり、絶賛エントリー中。いろいろと映画祭に決まってくれるといいなあ。

仕事の方でも競合プレゼンをいろいろやっているけれど、勝ってくれるといいなあ。

短編映画になる瞬間

短編映画ばっかり作っていると、「あっ、これで短編映画になるな。」と思う瞬間がある。短編映画ならではのパッケージ感というか、時間感というか、完成度というか。

例えば、何も起きない状況を淡々と映し出し、突然終わり、エンドタイトルが出る、みたいな事もやろうと思えばやれる。いかにもワケありな実験的な作品には仕上がるんだけど、短編映画としては弱い。観客からすれば、「駅のホームで待っている電車が来た」ぐらいのカタルシスしかない。カタルシスとも言えない。

あるいは、ある状況での二人の気の利いた会話劇。これは上手く出来るとすごくいい作品になるんだけど、どうしても会話劇は説明が多くなったりして、見ている人に理屈を強要する。理屈で終わるとこれまた作品としてはかなり弱い。喜怒哀楽その他何でもいいから見ている人の感情を動かさないと。

で、うんうんと考えていると、「あっ、これで短編映画になったな。」という瞬間が来る。その瞬間が来るまでは、何かチープというか、安易というか、ネタが小さいというか、小手先なアイデアをグルグルと考えていたりする。何というか、もの凄く説明は難しいんだけど、短編ドラマと短編映画は違うというか。短編だけど映画のにおいがするというか。やっぱり映画の世界観ってあると思う。

で、30分の短編だと世界観を出しやすい。かなりの尺があるので、見ている人にいろんな事を伝えられるし、展開もさせられる。15分の短編だとある程度の構造的な強さが必要になってくる。世界観で押し切るのは無理で、編集での時間の管理がかなりシビアになる。30分だと、下手したら一生モノを描くことが出来るけど、15分であまりにも時間を飛ばすと観客が着いて来れなくなるし、ダイジェスト版を見せられている気分になるというリスクもある。これが3〜5分になると、ワンシチュエーションモノやワンカットモノをやりたくなるし、その方がうまく行く確率が高くなる。

で、3〜5分の短編には別の落とし穴が発生する。CMっぽくなる事だ。CMでは時間をバンバンと飛ばしていける。これはテレビの前で見ているお茶の間の人たちがCM文法というモノを無意識に学習していて、かなり乱暴に時間を飛ばして編集しても、見ている人が勝手に補間してくれる。「これはCMだもんな」という意識で。CMはいかに多くの情報を短い時間に詰め込むかという事に関してはものすごいモノがある。でも、CM文法で作った短編映画には魅力がない。こればっかりはしょうがないし、世界共通だと思う。

自分が作品を作るときに気をつけていることがある。その作品の最後に、企業名や商品カットを入れて成立するかどうか。成立するような作品だったら映画としては失敗だと思うようにしている。その作品の向こう側に強烈な個人の影が見えるような作品にしたいと思うし、そこがCMでもなくドラマでもなく映画なんじゃないかと思う。写真や絵画や彫刻も同じなのかも知れない。企業ロゴがバシっとはまるような写真はやっぱりコマーシャルフォトなんだと思うし、コマーシャルフォトはそれでいいし、そうあるべきだと思う。

作り手は観客をナメているところがあるけれど、長編映画の時は長編映画の文法で、短編映画の時は短編映画の文法で、CMの時はCMの文法で、PVの時はPVの文法で、頭を切り換えながら見ている。だから短編映画風のCMを見てもCM文法で見られてしまうし、短編映画風のPVもPV文法で見られてしまう。

で、短編映画の話に戻す。「あっ、これで短編映画になるな。」と思う瞬間は、これらのCMになってしまうリスクや、ある時間感なりが上手く解決できそうだと思った瞬間にそう思う。その瞬間が来たら後は具体化して作るだけなんだけど、そこまで行くのがいかに大変か。でもその瞬間はものすごく嬉しい。だからその日の夜はけっこう飲んじゃう。人知れず。

海外映画祭のエントリーについて②

前回、海外映画祭のエントリーの事を書いたが、もう少し具体的に書いてみる。とはいえ短編映画を出品することしか調べてないので、長編映画がどうなのかはわからない。長編映画の方が奥が深い気がする。

短編映画を作って海外にエントリーする時に、ここは基本でしょう、みたいな映画祭がいくつかある。

クレルモンフェラン国際短篇映画祭
http://www.clermont-filmfest.com/

この映画祭は世界最大の短編映画祭で、短編と言えばクレルモンフェランだったりもする。作品が出来たら何も考えずにエントリーすればいい。傾向としては「今の世界」を凝縮して見せようとする感じがあるらしく、制作者の国が抱える問題を描いていたり、日本だったらニンジャや援助交際を描くと入りやすいという噂もある。「世界は今こうなっているんだよ」という教育的な立ち位置なんだろうと思う。

ここはインターナショナルコンペの他にLabコンペという実験的な作品を集めた部門もある。エントリーした作品は映画祭側が勝手にインターナショナルコンペかLabコンペかに分ける。で、このLabコンペの方に面白い作品が集まる。その年にいろんな映画祭を賑わしてきた作品が集まっていたりもする。

クレルモンフェランにエントリーする際の最大の欠点は、エントリーしたことがバレる事。エントリー作品一覧と、選ばれた作品一覧を誰でも見ることが出来る。ホントに、これはやめて欲しいんだけどなあ。こっそりエントリーして、選ばれたらみんなに言おうって思ってるんだから。逆にあんな人やこんな有名監督まで落とされてる、という事も知る事が出来るので、選ばれなかったことが恥ずかしいことではなく思えるとも言える。

そしてじっくりとレベルの高い映画祭。

オーバーハウゼン国際短編映画祭
http://www.kurzfilmtage.de/
ビルバオ国際短編映画祭
http://www.zinebi.com/
ウプサラ国際短編映画祭
http://www.shortfilmfestival.com/
タンペレ映画祭
http://www.tamperefilmfestival.fi/
クラクフ映画祭
http://www.cracowfilmfestival.pl/
ウエスカ映画祭
http://www.huesca-filmfestival.com/

ここに上げたのは全部ヨーロッパの映画祭なんだけど、かなりレベルは高い。エントリーしてもほとんど選ばれない。でも短編映画にとっては、確実に重要な映画祭だから押さえておいた方がいい。まあ、押さえておいても選んでくれないんだからもう。すべていわゆるアカデミー賞公認映画祭。これらの映画祭に選ばれたと周りの人に言ってもみんなキョトンとする。絶対に聞いたこと無いから。制作者の間では、かろうじてオーバーハウゼンがポピュラーか。

そして何とか狙いたい三大映画祭。

カンヌ映画祭
http://www.festival-cannes.com/
カンヌ映画祭監督週間
http://www.quinzaine-realisateurs.com/
カンヌ映画祭批評家週間
http://www.semainedelacritique.com/
ベルリン国際映画祭
http://www.berlinale.de/
ベネチア国際映画祭
http://www.labiennale.org/en/cinema/index.html

言わずもがなの三大映画祭なのだが、カンヌ映画祭は、公式のカンヌ映画祭本体がまずあり、さらに監督週間と批評家週間というものもある。3つとも短編映画のエントリーが可能。もちろん、同じ作品で3つ同時エントリーも可能。そしてベルリンとベネチアも。三大映画祭は短編映画祭ではないので、短編の監督がもてはやされる映画祭ではないが、やっぱり憧れの映画祭としてエントリーしたいところ。

なぜ三大映画祭にこだわるかというと、ここに世界中の映画関係者が集まるから。カンヌ映画祭が群を抜いていると思う。特に日本のマスコミやジャーナリストも集まる。世界最大の短編映画祭であるクレルモンフェラン国際短編映画祭でグランプリに選ばれても、日本ではニュースにもならないし、新聞記事にもならない。それに比べて三大映画祭の扱いは極端。ここで書くと終わらなくなるので深く書かないが、三大映画祭に選ばれることで日本での活動がしやすくなる。これはいかにも日本的。これだけで、長文のブログが書けるので今度書いてみる。

カンヌ、ベルリン、ベネチアではどんな作品が選ばれているのかは、割と調べている。作品がまるまるネットにアップされてることもあるし、作品データやスチルやシノプシスだけしかわからないこともある。で、かなり確信を持って気がついたことがある。三大映画祭というといわゆるレッドカーペット的なポピュラリティを持っているのにもかかわらず、難解な作品が選ばれる傾向が強い。難解というと語弊があるが、映画の新しい可能性を提示しているというか、今の時代感を持ちつつ、実験的な精神で作っている作品。でも実験過ぎない。この辺の頃合いが絶妙。絶妙に難しい。実験映画というと見る人を拒絶しかねないけれども、映画的な実験をしつつも、見る人を惹きつける作品というか、そんな感じだろうなあ。そんな分析が出来たって作るのは難しい。とほほ。

そして個人的に好きな映画祭。

ロカルノ映画祭
http://www.pardo.ch/
サンダンス映画祭
http://www.sundance.org/festival/
ロッテルダム映画祭
http://www.filmfestivalrotterdam.com/
バンクーバー国際映画祭
http://www.viff.org/

ここも短編部門がある。ロカルノ映画祭も三大映画祭に引けをとらないほど普通の作品がない。え?何?どういうこと?という作品も多く選ばれる。とはいえ、基本的なクオリティは半端無く高い作品が多い。変わり者を褒めてくれる映画祭だから好き。

サンダンス映画祭の短編部門はアメリカ部門とインターナショナル部門に分けられる。ラインナップは割とその年に目立った短編映画をずらっと並べている様なところもある。ここで初めてアメリカの映画祭が出てきたわけだが、やはりサンダンス映画祭ですらアメリカ臭というのはある。ベタなギャグが普通に受け入れられるし、カントリーな感じも好きみたい。

ロッテルダム映画祭はエントリーしたことも無いし、行ったこともないのだが、ずっと気になっている映画祭。毎年かなりの数の日本の短編映画も上映されている。日本からはPFFとイメージフォーラムからたくさんの作品が行くようだ。一度行ってみたい映画祭。

バンクーバー映画祭では今まで作った作品を全部上映してくれている。ホントに初期の小さな作品も含めて。評論家のトニーレインズさんが、作った作品をすべてプログラムに入れてくれるのだ。にも関わらず未だに一度も行ってないので、絶対に一度は現地に足を運ばなければと思っている。

で、まだ自分の中での暗黒大陸がアメリカの映画祭。今までヨーロッパの映画祭だけを見て活動してきたが、実はアメリカを意識的に避けてきた部分もある。それは自分の作品とのマッチングが悪いと思ったから。アメリカはやはり頂点がアカデミー賞で、アメリカ人の作る短編映画もそういう作品が多い。緊張感を持ってテンポ良く進み最後まで飽きさせない。でも、見終わった後何も残らないという。意味不明なカットやシーンは無く、すべての要素が物語を進めるために最大限働いているという印象。そういう作品を作ってこなかったため、アメリカの映画祭も見てこなかった。それでも聞こえてくる映画祭がいくつかある。

アンアーバー映画祭
http://www.aafilmfest.org/
トライベッカ映画祭
http://www.tribecafilm.com/festival/
アスペン短編映画祭
http://www.aspenfilm.org/
パームスプリング国際短編映画祭
http://www.psfilmfest.org/
シカゴ国際映画祭
http://www.chicagofilmfestival.com/

この辺は昔からよく知っている映画祭だけどまともにエントリーしたことがない。これからもう少しアメリカの映画祭もちゃんと調べていこうかと思う。

具体的な映画祭はこのほかにも山のようにあるので、また書いていこうかと思う。例えば、初めて短編映画作っちゃって、そんなに自信もないし出来もそこそこなんだけど、どうにかして海外の映画祭に選ばれたい。という場合の映画祭だってたくさんある。あと、完全に知らないのがアニメーション映画祭。今年、アニメ作品を作ったのでちょっと調べつつエントリーしていこうかと思っている。

ここまで書いてきたのはエントリーする側から見た映画祭であり、選ぶ側から見た映画祭の実情はまた別だと思うし、選ぶ側の意見はあまり聞きたくない。怖すぎて。

海外映画祭のエントリーについて

ここのところ、映画祭へのエントリー作業ばかりしている。朝から晩まで鼻息荒く、ものすごい集中してやっている。主に使っているエントリーサイトは3つある。

Withoutabox(https://www.withoutabox.com/
主にアメリカの映画祭に強い。エントリー代を取る映画祭が多い。

shortfilmdepot(http://www.shortfilmdepot.com/
ヨーロッパ系の映画祭が多い。エントリー代が無料の映画祭が多い。

reelport(http://www.reelport.com/
ヨーロッパ系の映画祭が多い。エントリー代が無料の映画祭が多い。

この映画祭エントリーサイトに自分のアカウントを作り、それぞれの作品データを登録していく。今ではムービーデータもエントリーサイトにアップしておけるので、郵便局からDVDを送らなくてもいい映画祭も増えている。と言うことは、登録しておけばあとはバンバンエントリーするだけと思いきやそうでもなく、エントリーする意味があるのかどうか、その映画祭のサイトを開いて、どういう作品が選ばれているのかざっと見てみる。タイトルや選ばれている国やスチル写真を見て、なんとなく雰囲気を掴む。

こんな事を朝から晩までやっているアラフォー男はいないだろう。若手ならまだしも。ざまあみろ。いやいや、ざまあみろじゃなくて。

で、このエントリーサイトはすごく便利なのだが、この3つのエントリーがカバーしていない重要な映画祭というのはものすごくたくさんある。で、どの映画祭が世界的に重要な映画祭なのかを調べる手っ取り早い方法は、Wikipediaで「映画祭」と日本語で検索してみるといい。気が遠くなるほどたくさんの映画祭が出てくる。

この映画祭をひとつひとつリンクをたどったりして調べていく。自分が作っているのが短編映画だけなので、ちゃんと調べないと短編は受け付けてなかったりするのだ。さらにカンヌ・ベルリン・ベネチアなどの三大映画祭を始め、主要な映画祭は「ワールドプレミア」と言って、世界初公開の作品を優先して選ぶ。ワールドプレミアじゃなければ受け付けて無かったりもする。この辺もエントリーのRegulation(応募要項)に書いてある。

そして、ほとんどの映画祭サイトには「Submit a Film」とか「Film Entry」とか「Submission」と書かれたリンクがあり、そこを見ることで応募の仕方が書いてある。多くの映画祭では、オンラインで基本的なデータを登録させて、試写用のDVDを郵送で送らせる。

このような作業を延々とやるのだが、まあ進まない進まない。で、短編を作り始めたのが30歳頃だったので、こんな事を10年近くやっているから、大まかな事はわかっていたりする。どの映画祭のエントリーの締切が何月で、あれとあれが必要だとか、あそこの映画祭は「楽しい作品」じゃないと選ばれないとか、なんとなくわかっている。いろんな人から話も聞いたりしているので。

ところが、世界中にはもう信じられないほどの映画祭があり、Wikiの「映画祭」では出てこない映画祭が無数にある。そんな映画祭を調べる最強のサイトがこれ。

filmfestivalworld(http://www.filmfestivalworld.com/

これのFestival Calendarというところを見ると、今まさにどの映画祭が開催されていて、今日はどの映画祭のエントリーの締切なのかがわかる。これをまた1つずつ調べていくという作業。で、調べていくとイヤになってくる。もうどの映画祭に出せばいいのかわからないし、ホントにこの映画祭にエントリーする意味があるのかと疑問が湧いてくるのだ。で、ポイントはイヤになっても続けること。もうひたすら続ける。

なぜ、名前も聞いたこともない映画祭にもエントリーするのか。それは自分の作品を見てもらうため。映画祭に選ばれなくても見てもらえる重要な機会だったりするからだ。で、いろいろ話を聞くと、世界中の映画祭が網の目のようにつながっていて、エントリーされてくる作品の情報が飛び交っている。で、自分のところの映画祭では選ばなかったけど、他の映画祭に推薦してくれたりもしてくれる。ヨーロッパの片田舎の映画祭のディレクターが主要な映画祭のディレクターを兼ねていたりもする。

良い作品を作れば誰かが見つけてくれると思っている若手監督も多いと思うけれど、見つけてなんてくれない。よく「平林は映画祭の傾向と対策でやっている」なんて言われる事もあるし、自分で言う事もあるけど、海外で自分の居場所を確保したかったら、やらなければならないことはたくさんある。嫉妬してる場合じゃないんだから。

新作

二ヶ月ほどかけて新しい作品を作った。震災後、仕事がそれほど入ってなかった事もあり、毎日毎日仕事場にこもって、アニメ作業をした。原画を手描きで描いて、それをスキャンして、AfterEffectsでひたすら動かしていく作業。と言っても、アニメ作家ではないので、アニメの精度を上げることには限界があるから、作品のコンセプトや意味づけにも力を入れた。

先週、大阪にある飯嶋さんのStudio301に行き、渡邊さん、クスミさん、蔵田さんと音楽録りをし、次の日M
Aをして完成させた。作風としては、自分の初期作品の頃に戻った感じ。一人で全部作っていた時の感じ。でも、音関係にごっそりプロが入っているので、スケール感が違う。この渡邊さんの音楽と、飯嶋さんの効果音があれば、多少映像の方はサボっても、何とかしてくれる。サボらないけど。

地震の後は、生活にも現実感が無く、作品作りなんてする気にもならなかったが、1ヶ月ぐらいで元に戻った。そしてその勢いで作品作りを始めた。まるで仏像を掘るかのような気分でアニメ作業をしたから「怨念」はこもった気がする。「怨」じゃないかもしれないけど、「念」はこもった。村上さんのアイデアや、渡邊さんのアイデアで、深みのあるメタファーや、隠しメッセージも込めた。

作品の内容は、東日本大震災を描いている。直接的といえばそうだし、間接的といえばそうだが、東日本大震災の衝動で作品を作ったのは間違いない。怒りの衝動を含めて。気持ちのいい作品に仕上がった訳ではないが、骨太な作品は出来たような気がする。

次は仙台短篇映画祭用の3分11秒の作品にとりかかる。この作品の難しさは、被災した方々に見てもらうモノでもあり、その後作品は仙台を離れ、1つの作品として、客観性を持っても見られてしまうところにある。「明日」という共通のテーマ。そろそろ具体化する。

5さいのうた

広告の仕事をした事はあまりブログでは書きません。書くと怒られる場合があるからです。いや、ほとんど大丈夫だと思うのですが、たまに怒られている人を見るから慎重になります。

でも、今回は広告では無く、しかも出来が良かったので書きます。ベネッセコーポレーションのしまじろうチャンネル用のアニメーションを作画からアニメまでやりました。1人、米澤という奴隷、いや、アシスタントをつけ、仕込み作業やベースの動かしをやってもらいました。



子供用教材の法則で、女の子は男の子用の映像でも見るが、男の子は女の子用の映像はみない、という法則があります。なので、割と男の子向けのトーンに仕上げました。

震災の前から始まっていたのですが、本格的な作業は地震後で、気持ちとしては仏像を彫るかのような気分で黙々と作ってました。仕事に救われたようなところもありました。

そして、このアニメ作業に手応えを感じ、いま海外映画祭に向けてアニメ作品を作っています。大人用のダークで暗くて救いの無い作品です。

土日終了

土日が終了した。土日は子供との格闘だからもの凄く大変だ。子供のペースに合わせ続けるのが大変。中腰で首は右を向きならが、左の腕は上に上げているのを、ずっと続ける様な感じ。それ自体は大変じゃないんだけど、続けるのが大変。

うちの息子は誰に似たのか、もう喋りっぱなし。独り言じゃなくて、会話が好きだからズーッと会話に付き合ってあげなきゃならない。しかも質問が多いから頭も使う。さらに自分が好きなオモチャが今どんな気持ちでいるかを親に答えさせる。で、答えると「違う!」って言ったりするから。これが延々と続く。だから体力的に大変なんじゃなくて、頭を使いすぎて疲れる感じ。

土日が終わると言うことは、修行が終わると言うことなのだ。

そして、今日は背中が痛くて4時ごろ起きてしまった。数ヶ月前から背中が痛いのだが、段々法則がわかってきた。食べ過ぎたまま寝ると翌朝背中が痛くなる。たぶん、腹の肉の重さに加えて食べたものの重さによって、腰付近に負担をかけているためだと思う。いや、そんな話はどうでもいい。

カンヌ映画祭が終わった。自分も応募していて落選した映画祭の開催中ってのは気分的には嫌なものだ。向こうは楽しそうだなあという羨ましさというか。そういえば、カンヌ映画祭で、日本映画が何の賞にも引っかからなかった。この震災関連で何かしら絡んでくると思っていたのに。

海外でもそうだと思うけど、映画祭に参加しただけじゃダメで、賞を獲らないと認めてくれない。短編部門に選ばれた田崎監督がどれだけ凄いことかと思うんだけど、日本のマスコミは賞を獲らないとまるで無かったことのようにしてしまう。メダル主義みたいなところはあるなあ。で、メダルを獲ってない人間がメダル主義を批判しても説得力がないので、どうにかしてメダルを獲ろうと奮闘しているという寸法です。

いまはアニメ作品を作っている最中だが、そろそろ実写作品の計画も立てようかと思う。今までみたくそこそこ大きな規模ではなく、小さな規模で。

この震災と原発の、この気分の時に、自分が何を作ったのかを残す意味でも。

おっと!さらに仙台短篇映画祭の3分11秒作品も具体的に動き出さねばと。
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