2012年02月05日
絵金についての覚書
今年は絵金生誕200年だそうです。
●弘瀬 金蔵
(ひろせ きんぞう、文化9年10月1日(1812年11月4日) - 明治9年(1876年)3月8日)は、幕末・明治期の浮世絵師。
本名は生前、10回以上にわたり改名しているが一般には弘瀬 金蔵の名で知られており、高知県下を中心に絵金(えきん)の愛称で親しまれている。
文化9年、高知城下に髪結い職人の子として生まれる。幼少の折から絵の才能で城下の評判となり、16歳で江戸に行き土佐江戸藩邸御用絵師・前村洞和に師事する。また幕府御用絵師・狩野洞益に師事したともいわれる。通常ならば10年はかかるとされる修行期間を足かけ3年で修了し、林 洞意(はやし とうい)の名を得て高知に帰郷、20歳にして土佐藩家老・桐間家の御用絵師となる。
しかし、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ高知城下所払いの処分となり、狩野派からは破門を言い渡される。その際、御用絵師として手がけた水墨画の多くが焼却された。洞意が実際に贋作を描いたかどうか真相は明らかではないが、習作として模写したものが古物商の手に渡り、町人の身分から若くして御用絵師に取り立てられた洞意に対する周囲の嫉妬により濡れ衣を着せられたのではないかと洞意を擁護する意見も存在する。
絵金蔵(高知県香南市)高知城下を離れて町医者から弘瀬姓を買い取った後の足取りには不明な点が多いが、慶応年間より叔母を頼って赤岡町(現・香南市)に定住し「町絵師・金蔵」を名乗り、地元の農民や漁民に頼まれるがままに芝居絵や台提灯絵、絵馬、凧絵などを数多く描き「絵金」の愛称で親しまれた。この時期の猥雑、土俗的で血みどろの芝居絵は特に人気が高く、現在も赤岡では毎年7月に各家が屏風絵を開陳する「土佐赤岡絵金祭り」が開かれている。
大政奉還の後は生まれ故郷の高知に戻るが、1873年に中風を患い右手の自由が利かなくなったため左手で絵を描き続けた。
1876年3月8日死去。享年65。
(Wikipediaより)
香南市では毎年絵金祭りで地元を盛り上げてきた。
今年は大きな節目を迎えることから先日、絵金蔵や土佐歌舞伎伝承会、市観光協会など9組織が実行委を設立。
絵金関連企画を増やすなどして機運を高めようとしている。
●弘瀬 金蔵
(ひろせ きんぞう、文化9年10月1日(1812年11月4日) - 明治9年(1876年)3月8日)は、幕末・明治期の浮世絵師。
本名は生前、10回以上にわたり改名しているが一般には弘瀬 金蔵の名で知られており、高知県下を中心に絵金(えきん)の愛称で親しまれている。
文化9年、高知城下に髪結い職人の子として生まれる。幼少の折から絵の才能で城下の評判となり、16歳で江戸に行き土佐江戸藩邸御用絵師・前村洞和に師事する。また幕府御用絵師・狩野洞益に師事したともいわれる。通常ならば10年はかかるとされる修行期間を足かけ3年で修了し、林 洞意(はやし とうい)の名を得て高知に帰郷、20歳にして土佐藩家老・桐間家の御用絵師となる。
しかし、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ高知城下所払いの処分となり、狩野派からは破門を言い渡される。その際、御用絵師として手がけた水墨画の多くが焼却された。洞意が実際に贋作を描いたかどうか真相は明らかではないが、習作として模写したものが古物商の手に渡り、町人の身分から若くして御用絵師に取り立てられた洞意に対する周囲の嫉妬により濡れ衣を着せられたのではないかと洞意を擁護する意見も存在する。
絵金蔵(高知県香南市)高知城下を離れて町医者から弘瀬姓を買い取った後の足取りには不明な点が多いが、慶応年間より叔母を頼って赤岡町(現・香南市)に定住し「町絵師・金蔵」を名乗り、地元の農民や漁民に頼まれるがままに芝居絵や台提灯絵、絵馬、凧絵などを数多く描き「絵金」の愛称で親しまれた。この時期の猥雑、土俗的で血みどろの芝居絵は特に人気が高く、現在も赤岡では毎年7月に各家が屏風絵を開陳する「土佐赤岡絵金祭り」が開かれている。
大政奉還の後は生まれ故郷の高知に戻るが、1873年に中風を患い右手の自由が利かなくなったため左手で絵を描き続けた。
1876年3月8日死去。享年65。
(Wikipediaより)
香南市では毎年絵金祭りで地元を盛り上げてきた。
今年は大きな節目を迎えることから先日、絵金蔵や土佐歌舞伎伝承会、市観光協会など9組織が実行委を設立。
絵金関連企画を増やすなどして機運を高めようとしている。
2012年01月22日
新蛸蔵

新しくできた蛸蔵に芝居を見に行ってきました。
『橋を渡ったら泣け』
突然襲った大災害。
ここ乗鞍岳近くまで海が押し寄せてきている。
生き残った6人は、共同生活を送っていた。
自分たち以外の人類はもういないのか。
そんなある日、
一人の男がこのコミュニティに船(諏訪ちゃん)で辿り着いた。
昨年起きた大災害を思い起こさせるシチュエーションですが、そこまでシリアスなものではなく適度に笑いも入っていて楽しめました。
危機的な状況におかれたコミュニティでの人間関係、唯一の食料である缶詰を巡るトラブル、トラブルによって生じる力関係の変化。
登場する7人がそれぞれが違ったタイプの人物なので自分がどのタイプか当てはめて見るとより楽しめたような気がしました。
新蛸蔵は最近使われている言葉で言えば、リノベーション(改修・刷新)よりはコンバージョン(用途転換)という感じでした。
アートゾーン内のミュージアムと土佐バルは結構手が加えられているようなので機会があればまた行ってみようと思います。
2012年01月10日
2012年最初の

気がつけばもう2012年が始まって10日が過ぎました。
正月は実家で姪っ子と遊んだり、一条神社に初詣に行ったり、弟夫婦も含め何年かぶりに家族全員揃って過ごしました。
沖の島最初の視察から戻った日に生まれた姪っ子ももう2歳半。
びっくりするくらい言葉を喋るようになって普通に会話が成立するくらいに。
本当は「おじさん」なのに「お兄さん」と呼ばれるのがちょっと嬉しかったり。
残念ながら今年は雪が降らなかったので雪遊びはできなかったけど自転車の練習や粘土遊びを一緒にやってました。
これくらい小さな子供は見てるだけでも飽きないなあ。
仕事の方は去年に引き続き複製作業と次の仕事の準備をしてます。
一人では手に負えない仕事も出てきたけど欲張らずできる範囲でやっていきたいと思います。
毎年恒例のデハラ展にも行って来ました。
最終日ということもあってか平日でも盛況。
今年はイラストの展示でしたが相変わらずのデハラワールド全開でした。

話題のガチャガチャは故障中だったのかすぐ横に良心市のような即席のガチャマシーン(ダンボール)が置かれていたので1個買ってきました。

ありがとう、春風のギフト。
2012年もよろしくお願いします。
2011年12月31日
2011年12月14日
ほっとこうち1月号
朝布団から出るのが辛い季節になってきました。
最近はスタンプラリー龍馬像の残りの複製とキャラクターフィギュアの制作や複製作業をずっとやっていました。
合間に次の大きな仕事の打ち合わせをしたり見積もり書をとったり雑誌の取材の対応などを。
今日は先日取材を受けた『ほっとこうち』に掲載される記事の校正。
取材の時に全身写真を撮られるとは思っていなくてヨレヨレのシャツと作業用の汚い靴だったのもあって今日写真を撮り直しました。
これだけのために頼める人もいないのでセルフタイマーを使って撮影。
ピントが合わなかったり全身が入らなかったりして2時間近くも悪戦苦闘の末なんとか納得のいく写真が撮れました。
記事の方は取材で喋ったことの内容をほぼ的確に文章にしてくれているので特に訂正する必要はなく、写真説明文など細かい修正のみでした。
ほっとこうちといえば、11年前ほどにギャラリーコパで開催した写真展& 舞台美術展に当時のほっとこうち社長(現会長)が見に来てくれて個人的な制作依頼を受けたことがありました。
僕がデザインと制作を務めたよさこいチームの踊り子(当時中学生)がスタッフとして働いてるのもあって何かと縁があります。
記事が掲載されるほっとこうち1月号は今月25日発売です。
最近はスタンプラリー龍馬像の残りの複製とキャラクターフィギュアの制作や複製作業をずっとやっていました。
合間に次の大きな仕事の打ち合わせをしたり見積もり書をとったり雑誌の取材の対応などを。
今日は先日取材を受けた『ほっとこうち』に掲載される記事の校正。
取材の時に全身写真を撮られるとは思っていなくてヨレヨレのシャツと作業用の汚い靴だったのもあって今日写真を撮り直しました。
これだけのために頼める人もいないのでセルフタイマーを使って撮影。
ピントが合わなかったり全身が入らなかったりして2時間近くも悪戦苦闘の末なんとか納得のいく写真が撮れました。
記事の方は取材で喋ったことの内容をほぼ的確に文章にしてくれているので特に訂正する必要はなく、写真説明文など細かい修正のみでした。
ほっとこうちといえば、11年前ほどにギャラリーコパで開催した写真展& 舞台美術展に当時のほっとこうち社長(現会長)が見に来てくれて個人的な制作依頼を受けたことがありました。
僕がデザインと制作を務めたよさこいチームの踊り子(当時中学生)がスタッフとして働いてるのもあって何かと縁があります。
記事が掲載されるほっとこうち1月号は今月25日発売です。
2011年11月16日
龍の日

何かとバタバタしていたここ2〜3ヶ月、やっと落ち着いた感じがします。
昨日11月15日は坂本龍馬の誕生日と命日でもあり、名前に龍のつく友人の結婚記念日でもある。
高知では龍馬の誕生日を祝いあちこちでイベントが行われました。
「龍馬の生まれたまち記念館」では毎年恒例の龍馬生誕イベント。
ギリギリまで制作していた近藤長次郎像の除幕式もありました。
記念館は昨年同様すごい数のお客さんと報道陣。
段取りも分からぬまま除幕式が始まりました。
まずは龍馬の顕彰碑と長次郎像の寄贈主である柏ライオンズクラブ代表の挨拶。
そして除幕の紐を引く人の名前が読み上げられ(僕は長次郎担当)せーので除幕。
その後長次郎の妹の子孫の方と僕が長次郎像の隣に並び撮影会。
人が入れ替わり立ち代りずっと撮影会。
昨年はグダグダだったスピーチの借りを返すために今回はちゃんと言葉を用意してたのに挨拶はライオンズクラブ会長だけでした。
代わりに除幕イベント前にマスコミ数人から結構長めのインタビューを受けたので言いたいことはそこで言えたかな(後で各社の記事を見るとそれぞれ微妙にニュアンスが違ってたりする)。
この日は長次郎まんじゅうやおでんも振舞われました。
除幕後の撮影や取材が一通り終わると昼をまわってたのでおでんやまんじゅうはちょうどいい昼飯に。
二階ではおにぎりも3個いただきました。
しばらく写真撮影に付き合わされる龍馬と長次郎を見守ったあと一度帰宅。
晩は龍馬居酒屋に呼ばれていたので長次郎の子孫の方にいただいた芋焼酎「小松帯刀」を持参していきました。
お客さんはそんなにいなかったけど一人で晩酌するよりはみんなで飲んだほうがいいと思い大盤振る舞い。
美味しい食事と美味しい酒と楽しい会話で日が変わるまで過ごしいい気分で帰宅。
いつ寝たかは覚えてないが起きた時はお昼を回っていました。
そんな11月15日。
2011年09月03日
2011年08月26日
龍馬ふるさと博周遊スタンプラリー

土佐の偉人と花めぐり志国高知龍馬ふるさと博周遊スタンプラリー(長い!)が開催中です。
高知駅前の「『龍馬伝』幕末志士社中」を中心とした高知県内の施設を訪れてスタンプを集めていくという企画。
全15施設(+海洋堂ホビー館)が中部・西部・東部三つのエリアと、「偉人伝ミュージアム」・「花絵巻会場」二つのテーマに分かれていて、集めたスタンプによって6つのコースに応募すると賞品がもらえるというものです。
現在そのスタンプラリーの賞品「ふるさと博限定オリジナル龍馬像」を制作中です。
上野彦馬が撮影したあの有名な写真をもとに現存する置物龍馬像として最高クオリティを目指して制作しています。
台座含め高さ45cmほどになるので置物としては大きめのサイズです。
この龍馬像がもらえるコースに応募するには15会場すべてを周らないといけないのでかなり大変ですが、周りやすいコースもあるので興味のある人はどうぞ。
詳細はこちら
http://www.fmkochi.com/ryoma/
http://www.ryoma-furusato.jp/
2011年08月19日
2011年08月10日
花火は

高知市の花火を見てきました。
毎年思うのは高知市の花火大会はもう少し頑張って欲しいということ。
時間が長いわりに玉数は少なく散漫な感じがします。
近くで見ればそこそこ迫力はあるけど構成や演出含めいまいち盛り上がりに欠けるかなあという印象。
自分の出身だからというわけでもないけど、四万十市の花火大会(8月27日)はお勧めです。
高知市に比べ打ち上げ時間は30分短いものの玉数が多く(今年は何と9000発!高知市は4000発)、音楽とシンクロさせて打ち上げるのでまさに火の芸術という感じ。
毎年高知県では最後の花火大会になるので夏の終わりを強く感じるのもまたいいです。
(You Tubeで二年前の映像を見つけましたhttp://www.youtube.com/watch?v=4SIrKWvMJGw)
高知市の場合はどうしてもよさこいがメインで花火はオマケのような扱いになってるのでそこまで力を入れられないのかもしれません。
でも、花火は一気に咲いてぱっと散る華々しさと儚さを楽しむものだと思っているので、玉数が少ないなら小出しでパラパラ打ち上げるよりは時間を短くして密度を濃くしたほうがいいのではと思うわけです。
ということで日付も変わって誕生日を迎えてしまいました。




