組織の未来〜〜DDOの先にあるもの
2017年9月25日・記
坪田 知己
『なぜ弱さを見せあう組織が強いのか』という本の日本語訳が8月に出版されました。
これは、最近米国で注目されているDDO(Deliberately Developmental Organization=発達指向型組織)の教科書と言える本です。
しかし、私は、この本から「組織の未来」を感じることができませんでした。
現行の組織がDDOを目指すのはいいことですが、長い目で見ると、この現象は「21世紀初頭に流行ったブーム」で終わるでしょう。
それは、「組織の根本問題」に斬り込んでいないからです。
「組織の根本問題」とは、世界中のほぼ全部の組織がヒエラルキー(階層型)組織であり、支配、命令によって動いているからです。
私は、この問題を根本解決することを目指し、私たちの会社で実験中です。
2年半実践して、非常にうまくいっています。
それを紹介し、多くの人に「支配」「命令」の不合理を知って欲しいと思います。
今なぜ、DDOか
21世になってDDOという考え方が出てきたことは、「歴史の必然」だと思います。
18世紀に、英国で産業革命が起きてから、私たちの働き方は激変しました。
それまでは、農林水産業と手工業が「産業」でしたが、そこに「機械」が登場し、生産力は何十倍にも飛躍的に向上しました。
人間はその「機械」に振り回されて、過酷な労働形態が広がりました。男たちは工場やオフィスに出勤し、家族は分断され、子供たちは「学校」という収容所に通うようになりました。
これに抗議したのが、マルクスが主導した「共産主義」でした。
20世紀は、「組織労働」の形態が高度化し、一方で市場はグローバル化しました。
しかし、19世紀、20世紀を通じて、労働は「分断型」でした。
企業が要求するのは、手足と脳で、「心」は不要でした。
つまり、語学力、プログラミング能力などのスキルが要求される。
よく考えると、企業は「高度なロボット」を要求していて、「人間的要素」は不要でした。
21世紀になってAI(人工知能)が進化し、改めて「人間しかできないこと」を考えた時、20世紀型の労働観が見失っていたことに気づいたのです。
企業は「効率優先」で動いています。特に米国の企業は、「利益追及」の考えが徹底しています。企業活動は利益追及の手段です。
ということで、不要な社員は解雇し、優秀な人を中途採用します。
ビジネスマンも自分の能力を高く買ってくれる企業に転職します。これは知識労働の分野で顕著で、年間の転職率が40%という企業もザラにあります。
2〜3年で社員のほとんどが入れ替わるということになれば、企業は仕事の継続ができなくなります。
そこで、「社員育成」や「組織文化」に焦点が当たったのです。
日本の企業は、明治時代から「家族的」というようなスタイルで、新卒を採用して、企業内で育成するというのが基本でした。
野球で見てみると、一時期の読売ジャイアンツは、高額の契約金で他チームの四番バッターやメジャーリーガーを引き抜いて優勝を目指しました。
それに対抗したのが野村克也でした。他チームで「戦力外」とされた選手を雇い入れ、「野村再生工場」と言われたように、持ち場とモチベーションを注入して何度もリーグ優勝をして見せたのです。
つまり、米国の合理主義(人間疎外型)の経営が行き詰まり、その先に見えたのは、かつて「遅れていた」とされた日本型の経営だったのです。
でも、日本型の経営をそのまま取り入れているのではありません。そこには米国流の考えが底流に流れているのです。
いずれにせよ、人間をロボット化する20世紀型の労働に限界が見えたのは確かです。スキルで勝負するのではなく「全人格」を投入するのが21世紀型です。
私の目から見て、DDOはまだ「21世紀型」の入り口だと思います。
私は、もう30年も前から「最高の経営は宗教に近づく」と考えてきました。
単なる「利益追及のための共同体」(社会学でいう「アソシエーション」)ではなく、コミュニティ型に近づいて行くのです。
その先を見据えて、「組織モデル」を作るべきと考えます。
Loco共感編集部が実践してきたこと
私は、1985年に日本経済新聞の1面に連載された「21世紀企業」の取材班キャップを務めました。その頃から、世界の経営を30年近く概観してきて、「組織のガンはヒエラルキー構造だ」と確信しました。
最初に見つけたのは、ブラジルのセムコ社でした。徹底的な権限移譲で、社長のやることがほとんどありません。社員は生き生きと働き、会社はどんどん成長しています。
社長は週3回午前中出社するだけです。「社長が暇」がいい会社なのです。
ヒエラルキー組織は、究極の「無責任組織」です。「責任の押し付け合い」が組織の軸にあると言ってもいいでしょう。
『失敗の本質』という名著があります。戦時中の日本軍の敗退の原因を分析した本です。ここの書かれているのは、いい加減な上官に振り回されるかわいそうな兵隊の姿です。「責任」という概念はほとんどありません。兵は消耗されるためにあるのです。
現代のほとんどの企業組織は、こうした「組織の病弊」を抱えています。
組織がヒエラルキー型である必然性は「絶対」なのでしょうか?
私が代表社員(社長)の合同会社・Loco共感編集部はコアメンバーが業務執行社員4人、デスク1人、契約ライターが約60人の小さな会社です。私以外は全員女性です。
代表社員に推された時、私は「世界一の会社」を目指すことにしました。
「命令」を禁止し、上下関係を無くしたのです。
重要なことはコアメンバーの合議で決めます。私の提案が否決されることが何度も起きましたが、それもOKです。
Loco共感編集部は不思議な会社です。
外見は編集プロダクションで、企業から記事作成の注文を受けて仕事をしています。
特殊なのは、そこに「しごとの学校」という理念を持ち込んでいることです。
契約ライターはほぼ全員が初心者です。私が提唱している「21世紀の共感文章術」を受講したことだけが、一般の人との違いです。
契約ライターの取材にはコアメンバーが同行し、書いた原稿をデスクが丁寧に添削して納品しています。
報酬は、世間のフリーライターの10倍を上回るレベルです。品質がしっかりしていることがクライアントに認められているからです。
ということで、Loco共感編集部は「究極のDDO」と言えると思います。
Loco共感編集部の理念は「成長」です。仕事をすることで、メンバー執筆のスキルを構造させ、組織も運営スキルを向上させようと考えています。
DDOの限界
『なぜ弱さを見せあう組織が強いのか』で書かれている事例は全て、ヒエラルキー組織を前提にしています。
この本の問題意識は、序章の冒頭に書かれている以下の記述です。
実は、組織に属している人のほとんどの人が、本来の仕事とは別の「もう一つの仕事」に精を出している。(中略)大半の人が「自分の弱さを隠す」ことに時間とエネルギーを費やしている。(中略)もっと価値あることにエネルギーを費やすべきではないのか?
世界中の企業が、階層型の組織構造を採用しています。この本の企業もその構造を何の疑問もなく採用しています。
ヒエラルキー組織で働く人間にとって、昇任・昇格が最優先事項になります。そこで「弱みを見せない」のが最も重要です。弱みを見せれば、マイナス査定され、ライバルからそこを突かれます。
この本は延々と「弱みを見せて、チームとして強くなろう」と書いていますが、「ヒエラルキー構造を崩すべきだ」という視点がありません。
もっと根本的なことは、「企業は利益を生むためのものだ」という考え方です。
多くの人は、仕事とは「生活費を稼ぐために、辛いことを辛抱してやっていく」と考えていると思います。
私は、「仕事は人間を成長させ、お客様に幸福を届けること」だと考えています。
目を覚まして欲しいのは、「企業の所有者は株主で、株主から選ばれた経営者が、労働者を雇用し、支配して利益を生む」という“常識”です。
Loco編は、創業メンバーはいますが、創業者はいません。誰かが「王様」になることはありません。全ては「共同責任」です。
「みんなの会社」ですから、「みんなで責任を持つ」形になっています。
Loco編は、いつもメンバーに「自然体」を求めています。もともと素人集団です。学ぶことはいっぱいあり、欠点だらけ。それでも「頑張る」のです。
「命令しないで仕事ができるのか」と不思議に思われるかもしれません。
Loco編は、クライアントから来た仕事について、メンバー全員に通知し、「やりたい」と手を挙げた人にやってもらいます。
コアメンバーはインターネットによって完全に情報を共有し、今、各自がどんな問題に直面しているかを知っています。困ったことがあれば、「私が代わりにやる」が即座に出て来ます。仕事の押し付け合いはありません。
Loco編方式から見るとDDOは「前時代の遺物」にしか見えないのです。
理想の働き方とは
Loco編とDDOの違いの根本は、「人間観の違い」だと思います。
ほとんどの企業で、社員は「客体」です。主体は経営者で、社員は「働かされている」のです。
組織運営の究極は、「主体的人間」による「自由闊達な創造力」を飛躍的に高めることです。
物事に主体的に取り組まない人間を組織に入れるべきではないのです。
Loco編コアメンバーは、全員が主体的人間です。嫌なことははっきり言うし、「やる」と決めたことは責任を持ってやります。「甘え」はありません。
また、チームワークをとても大事にしています。
メンバーの大半が子育て中のママなので「子供が熱を出した」が時々発生します。すぐさま「私が代わりに」という助け舟が出ます。
私は1994年に『マルチメディア組織革命』という本を書き、そこで、「インターネットによって情報共有が進むことによって、『コマンド(命令)駆動型』の組織が『ビジョン駆動型』に変わっていく」と予言しました。
人間を支配・被支配者に分け、命令によって動く組織は、主体的人間の協働(コラボレーション)で動く組織に変わっていくでしょう。
Loco編の過去2年半の経験は、それが「できる」という明確な実例になったと思います。
もちろん、「大組織ではどうなるか」という問題はあります。
しかし、「人間最優先」をしっかり考えて欲しい。
「組織の道具」として人間を考えないで欲しい。
人間の自由意志で「みんなで頑張ろう」が組織の根底にあるべきです。
「人間が人間を道具にする発想」は、根絶すべきだと考えます。
結論を言うと、私たちのLoco共感編集部は、既存組織の180度転換を目指していますが、DDOは30度か40度程度の「改善」に過ぎないということです。
(了)
<補足>
Loco共感編集部は「命令」がない代わりに「サポート」が必須です。
人類の歴史は「支配の歴史」でした。現代社会は「支配」「競争」で成り立っていますが、私たちは、これを相互信頼に基づく「共助社会」に変えていきたいと思います。
Loco編は、オフィスがない。固定給がほぼない成果給方式、社長の給料がゼロということで「赤字にならない構造」になっています。
ただ、「好きな時に働く」方式なので、生活保障ができる会社ではありません。
「楽しく働き、成長を喜びたい」で今後もやっていきます。


